米大統領選に翻弄される日鉄のUSスチール買収

USスチールは高炉6基だけではなく、二酸化炭素排出量が少ない電気炉も持つ(写真:USスチール)

「USスチール(USS)は1世紀以上にわたりアメリカの象徴的な企業だった。今後も完全なアメリカ企業であり続けるべきだ」

4月17日、ペンシルベニア州ピッツバーグにある全米鉄鋼労働組合(USW)の本部を訪れたアメリカのバイデン大統領は、冒頭のように語り、集まった組合員から喝さいを浴びた。この発言を受けて、日本製鉄はUSSと共同で以下のような趣旨のステートメントを翌18日に発表した。

「すべてのステークホルダー、アメリカ鉄鋼業およびアメリカ全体に多大な利益をもたらします」「USSはアメリカの会社であり、本社はピッツバーグで変わりません」「雇用を守ります。工場閉鎖も行いません」

日鉄によるアメリカの名門鉄鋼メーカー・USS買収が、大きな節目をクリアしたのはほんの数日前のことだ――。

株主総会では承認されたが

4月12日、USSの特別株主総会がオンラインで開かれた。日鉄による買収提案は総会での投票総数の98%超、発行済み株式数の71%の賛成で承認された。

当然といえば当然だ。日鉄が提示した1株55ドル(総額2兆円超)は、昨年12月の買収発表前におけるUSSの株価の40%増しの条件。USSが身売りを含めた「戦略的選択肢」の検討を公表した昨年8月以前の株価に対してなら140%のプレミアム。USSの取締役会も、議決権行使助言会社も、株主に対して買収提案への賛成を推奨していた。

しかし、買収の先行きはまったく見通せない。

目下、最大の障害となっているのはUSWの反対だ。USWはアメリカの鉄鋼2位・クリーブランド・クリフスによるUSS買収を後押ししており、日鉄の買収に対して「失望した」「献身的な労働者の懸念を脇に押しやり、外資系企業に売却することを選んだ」などと非難している。

これに政治も呼応する。日鉄による買収計画が発表された後、共和党の大統領候補であるトランプ氏は「絶対に阻止する」と表明。バイデン大統領も「アメリカ国内で所有・運営されるアメリカの鉄鋼企業であり続けることが重要だ」との声明を発表していた。

問題をややこしくしているのが、今年がアメリカ大統領選挙の年で、かつUSS本社が「スイングステート」(選挙のたびに勝利政党が替わる「揺れる州」)として知られるペンシルベニア州にあることだ。

激戦が予想される大統領選挙をにらめば、強い集票力を持つUSWが反対している以上、政治的に買収支持の表明は難しい。バイデン政権は反対ではないとされるが、4月10日の日米首脳共同記者会見でもバイデン大統領は「アメリカの労働者に対する約束を守る」と述べるにとどめた。さらに、冒頭のようにUSWに寄り添う姿勢を改めて強調した。

日鉄のアメリカでの商売はわずか

買収成立には、反トラスト法(独占禁止法)や、アメリカの安全保障上の懸念を審査する対米外国投資委員会(CFIUS)の認可が必要になる。ただ、日鉄のアメリカでの商売はわずかで、同盟国・日本の企業でもある。本来なら独禁法もCFIUSも障害にはなりにくい。

だが、ともに政府の組織が判断する以上、政治の影響は避けられない。アメリカの一部政治家が日鉄の中国事業を問題視し、日鉄の中国拠点が新疆ウイグル自治区に存在するといった報道も出た。日鉄は即座に「そのような事実はいっさいない」と声明を出す羽目になった。

「冷静に考えるとアメリカに損はない。USSと(USWが)結んでいる労働協約を100%守る。丁寧に説明していけば必ず合意できる」(日鉄の橋本英二会長)

USS買収を決めた、日本製鉄の橋本英二会長(撮影:尾形文繁)

日鉄はロビイストを雇って政治家に働きかけるとともに、USWに対しては現行の労働協約を140%上回る14億ドルの追加投資や、同協約期間内にレイオフや工場閉鎖を行わないといった約束を示すなど、理解を得ようと力を尽くしている。

日鉄とUSSは今年9月末までの買収完了を目指しているが、少なくとも11月の大統領選挙の前に認可が下りる可能性は低いとの見方が大勢だ。

トランプ大統領なら困難に

今後のシナリオはいくつか考えられるが、前提となるのはUSWが矛を収めること。実は、USWの賛同は買収に必須ではない。とはいえ、買収後の経営安定や独禁法・CFIUSの審査への影響を勘案すると強行突破は現実的ではない。

USWの賛同をいかに引き出すか。2026年9月末までの現行労働協約の、その先についても労組への譲歩を示せば可能性はある。USWが支持に回ると、バイデン政権ならば買収への道が開ける。

その場合も「大統領選挙前に当局の認可が下りることは難しい」とアメリカ政治が専門の前嶋和弘・上智大学教授は解説する。トランプ氏に「USWはだまされた」「バイデンがアメリカを売った」と攻撃されかねない。

「アメリカファーストを掲げるトランプ氏が大統領となれば、買収成立は厳しくなる」(前嶋教授)。つまり買収が完了するとしても、バイデン大統領が再選され、落ち着いた頃となる。

買収契約では、2025年6月18日までに規制当局からの許認可を取得できず、USSから契約を解除された場合、日鉄は5億6500万ドルの違約金を支払わなければならない。この時期を過ぎても両社が交渉を継続することはできるので、USSの関心をつなぎ留められるかがカギを握る。

乾坤一擲(けんこんいってき)、海外での巨額買収に乗り出した日鉄。理不尽な政治に屈せず、初志貫徹できるか。

(山田 雄大 : 東洋経済 コラムニスト)

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