「歳をとれば脳の働きは弱まる」と思う人の大誤解

シニア

物忘れをするようになると、勉強はできないでしょうか? 「歳をとれば脳の働きが弱まる」というのは間違った考えです(写真:miya227/PIXTA)
歳をとると誰でも物忘れをしやすくなります。ですが、シニアになってしまうと、知的能力が低下するかというと、決してそんなことはありません。
経済学者として日本経済を観測し続け、大ベストセラー『「超」勉強法』をはじめ、独自の勉強法を編み出してきた経済学の大家、野口悠紀雄氏が、「人生100年時代の勉強法」を伝授した『83歳、いま何より勉強が楽しい』より一部抜粋、再構成してお届けします。

物忘れは、知的能力の低下のためか?

「シニアになっても勉強を続けよう」という意見に対して、高齢者になると、知的能力が低下してしまうのではないかという意見が提起されるでしょう。「勉強を続けたいのは山々だけれども、記憶力が落ちてしまうので難しい」という考えです。だから、「高齢者に勉強は無理だ」と言う人もいます。

実際、私自身が、忘れることが多くなったと感じることがあります。とくに、人の名前です。コロナ禍で会合が少なくなったこともあり、しばらくの間会わなかった人たちの名前を忘れていることに、ふと気がつきます。これで大丈夫だろうか? と、不安に思うことも少なくありません。

では、物忘れをするようになると、勉強はできないでしょうか?

実は最近のさまざまな研究は、これとは違う結論を出しています。これは大変励みになることです。

神経可塑性:勉強によって脳の細胞構造が変わる

アメリカの有名なサイエンス・ライターであるハンク・グリーン氏は、高齢者の知的能力に関して、非常に興味深い意見を述べています(ハンク・グリーン「大人になっても脳は成長する!勉強しているときに頭の中で起こっていること」ログミーBiz、2016年7月13日)。

この考えを以下に紹介しましょう。

20年前には、大人になったら、脳がほぼ固定されてしまうものだと考えられていました。だから、勉強することはできるけれども、それによって脳が発達するというようなことは起こらないと、考えられていたのです。

一定の年齢後の脳の役割は、内臓を動かしたり、日常生活で必要な動作をすることなどに限られる、と考えられていました。

しかし、その後、脳機能イメージング技術が進歩し、脳の働きを示す鮮明な画像を撮ることができるようになりました。そして、多くの新しい事実が発見されたのです。

とくに重要な発見は、勉強をすれば脳の細胞構造が変わっていくことです。つまり、脳に新しい情報を入れれば、脳は一生にわたって変化し続けるということが分かったのです。

この発見は、すばらしいものだと思います。脳がこのように変化することは、「神経可塑性」と呼ばれます。生物は、生きている限り新しい状況に対応して変化し続けるのですが、生物学ではこの性質を、「可塑性」と呼んでいます。脳はこのような変化が得意だということになるわけです。

脳の能力は向上し続ける

グリーン氏の記事によると、人間が生まれたときの脳細胞(ニューロン)には、2500本のシナプス(神経細胞同士が連絡する接点)があります。接続の数は、その後増えていって、3歳になると、約6倍、つまり、約1万5000本になります。

しかし、ここがピークで、その後は、シナプスの数は減っていくのです。このような過程を、「シナプス剪定」と呼んでいます。

シナプスの数だけからすると、人間の脳の能力は、3歳のときに一番高くなり、その後は、下がっていくように思えます。

しかし、実はそうではなく、シナプスの数が減るのは、必要なくなったシナプスを減らしていくことなのだそうです。ですから、脳の能力は、この後も向上し続けることになります。

実際、人間は、その後、さまざまなことを学び、またさまざまな新しいスキルを身につけます。そして、ニューロンも成長していきます。

ここで重要なのは、脳の細胞が情報を保存している期間によって、ニューロンの接続が変わるということです。短期記憶で情報を保存する場合には、すでに存在しているシナプスの構造が変化して、樹状突起が強くなったり、増えたりします。つまり、新しい接続を作らずに、すでに存在している接続を強めるのです。

それに対して、勉強して得た知識など重要な情報の場合には、その情報を応用するたびに、長い期間にわたってニューロンが新しい接続を作るのです。これによって、情報を長期的に保存し、一生使えるようにできます。これが、長期記憶です。

以上で紹介したグリーン氏の見解は、高齢者の勉強を激励する大変力強いメッセージです。

加齢と知能の関係については、多くの研究がなされるようになってきました。そして、数々の発見がなされています。例えば、知能について、次の2つの脳を区別するという考えが、ホーンとキャッテルという2人の学者によって提唱されました(西田裕紀子「高齢期における知能の加齢変化」健康長寿ネット、長寿科学振興財団、2019年2月1日)。

2つの区別とは、「結晶性知能」と、「流動性知能」との区別です。

結晶性知能とは、個人の長期間にわたる経験や、教育や学習を通じて獲得した知能です。これは、言語能力や、理解力、あるいは洞察力に関連しています。それに対して、流動性知能とは、新しい情報を獲得し、それを処理して操作していく能力です。

ホーンとキャッテルは、流動性知能は年齢とともに低下していくが、結晶性知能は、60歳頃まで上昇を続けて、その後も、ほとんど低下しないことを見出しました。

例えば、言葉を操る能力は結晶性知能に関連しているため、高齢者になっても、高い水準を維持できるのです。つまり、年齢を加えるのは、ポジティブな意味を持っているということになります。これも、高齢者にとっては、大いに励みになる研究結果です。

勉強は何歳から始めてもよい

高齢者の脳の研究は、日本でもなされています。東北大学の加齢医学研究所の瀧靖之教授は、脳のMRI画像の分析を行うことによって、認知症の発生の予防を研究しています(「脳のパフォーマンス最大に 脳医学者お薦めの勉強法」NIKKEI STYLE、2018年12月6日。「シニアの勉強法、予復習で効果的に 何歳から始めても大丈夫」100歳時代、ライフプラン 産経新聞、2022年8月3日)。

大人の脳も、子供の脳と同じように成長することができるということが、重要な発見です。新しいことを学ぶと、脳に情報伝達の回路ができる。勉強を続ける限り、そのような回路が確実に増えて、そして、新しい能力を身につけることができるというのです。だから、勉強は、何歳になって行っても有効なものだということになります。

これは、すでに述べた、海外での研究と同じような結果です。

「勉強したいと思うけれども、近頃物忘れが激しくなって」と心配している高齢者にとって、瀧教授の研究結果は誠に朗報です。こうした研究に力づけられて、ぜひ積極的に勉強を進めていくことにしましょう。

瀧教授は、また、好奇心が非常に重要な役割を果たすことを指摘しています。勉強を嫌いだと感じると、ストレスホルモンが分泌されて、うまくいかない。しかし逆に、勉強が好きだと考えると、記憶がより定着しやすくなるということになります。脳の働きをよくするには、運動することも重要です。散歩などの運動が、脳の働きを活性化してくれるそうです。

以上の研究成果を見ていると、脳の働きについて私たちが普段考えている内容は、間違っていることもあり、また正しいこともあることに気づかされます。

「歳をとれば脳の働きが弱まる」というのは間違った考えです。その反面で、「好奇心の強さが勉強を進めていく」というのは正しい考えです。

このような研究結果は、われわれが勉強を進めていく上で、励みにもなるし、またどのような方法で進めたらよいかという指針を与えてくれることにもなります。研究結果を参照することで、正しい方法で勉強を進めていくことができます。

歳をとらないと悪魔の言葉は分からない

人間は歳をとるほど賢くなるだろうとは、私はずっと前から信じていたことです。歳をとるほど経験が増え、知識も増えるからです。そして、『ファウスト』の中で、悪魔メフィストフェレスが、つぎのように言っているからです(注1)。

Der Teufel, der ist alt, So werdet alt, ihn zu verstehen!
(「悪魔は年寄りだ。だから、歳をとらないと悪魔の言葉は分かりませんよ」)

メフィストの言葉が正しいとすると、「若い人には世の中の仕組みは理解できない」ということになります。

ゲーテ自身も、エッカーマンとの対話で、「歳をとると、若いころとはちがったふうに世の中のことを考えるようになるものだ」と語っています(注2)。

私も、この歳になってから、やっと世の中の仕組みが分かってきたような気がします。ほんの少しずつであり、もちろんゲーテには及びもつきませんが、メフィストフェレスは及第点をつけてくれるでしょうか?

(注1)Johann Wolfgang von Goethe, Faust II, Vers 6815 ff

(注2)エッカーマン『ゲーテとの対話』(第2部1829年12月6日)、山下 肇訳、岩波文庫・改版、1968年

上に述べた信念を裏付けるもう一つの例を示しましょう。

1984年のアメリカ大統領選で、共和党候補はレーガン大統領、民主党候補はモンデール前副大統領でした。テレビ討論会で、ボルチモア・サンの記者がレーガン大統領に質問します。

「年齢の問題を争点にするつもりはない」

「あなたはすでに歴史上最高齢の大統領です。モンデール候補との討論の後、あなたは大変疲れた様子だったと、あなたのスタッフは話しています。ところで、ケネディ大統領は、キューバ危機の際に何日も眠れなかったそうです。そうしたことになった場合、あなたのように高齢な方は、激務に耐えられないということはないでしょうか?」

レーガンは、静かに答えます。「そんなことは決してありません」。ここで一息つき、深刻な表情で、つぎのように続けました。

「私は、年齢の問題を政治的な争点にするつもりはありません。したがって、私は、対立候補の若さと経験のなさを、政治的に利用しようなどとは考えていないのです」

会場は爆笑に包まれ、モンデールも思わずつられて笑ってしまいました(注)。

レーガンは続けて、「セネカだったかシセロだったかが言ったとおり、シニアが若者を指導しないと、国家は成りたたないのです」と言ったのです(即興で、です)!

追い込もうとした記者は、レーガンに完敗しただけでなく、彼に政治的得点を与えてしまったのです。この選挙においてレーガンは、モンデールの地元であるミネソタ州を除く49州を獲得するという地滑り的・歴史的・大勝利を実現しました。

(注)このシーンは、下記で見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=0RtXmnUe9s0

(野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授)

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