改めて知りたい「ウクライナ侵略」が起きた理由

ロシアのウクライナ侵攻はなぜ起きたのでしょうか。戦争が起こった背景や阻止できなかった原因に対する考察を試みます(画像:Tak/PIXTA)
2022年2月から続く「ウクライナ危機」。日々の報道や物価の上昇により、「世界はどうなってしまうのか?」という漠然とした不安を抱いている方も多いのではないでしょうか。
慶應義塾大学 総合政策学部教授で、国際安全保障論やアジア太平洋の安全保障を専門とする神保謙の著書、『何がロシアのウクライナ侵攻を招いたか ウクライナ危機で世界はどう変わるのか』では、今回のウクライナ危機を個人(individual)、国家(state)、国際システム(international system)の3つのレベルに分類し、戦争が起こった背景や阻止できなかった原因に対する考察を試みています。
今、改めて知っておきたい「ウクライナ危機」の本質について、本稿では同書より一部を抜粋しお届けします。

国際秩序の変化とウクライナ危機の政策過程

ロシアのウクライナ侵攻はなぜ起きたのか。この問いに答えるためには、複数のレベルからの検討と、各レベル間の相互作用を考える必要がある。

多くの読者の見立ては「プーチン大統領の個人的な判断が決定的だった」というものであろうと想像する。たしかに、権威主義国家ロシアにおける大統領の権限は強大であり、ましてや戦争という国家の行く末を左右する大統領の判断は絶対的である。

その意味において、プーチン大統領の判断に関する心理的な考察が、戦争勃発の本質的なテーマであることに疑問の余地はない。

しかし、それだけでは国際関係の分析として十分ではない。仮にロシアの大統領がプーチンでなかったとしても、ロシアはウクライナに侵攻したかもしれない。またプーチン大統領個人の判断の中にも、ウクライナ侵略によってロシアの国家利益が増進できる、という合理性があったはずだ。

だとすると、プーチン大統領をこのような立場に導いた構造とは何なのか、ということに目を向けざるをえない。ウクライナ侵攻の合理性を成り立たせている国際関係の理解や、ロシアの国家としての損得計算はどのようなものだったのか、という考察が必要となる。

また、国際関係が相互作用で成り立っている以上、アメリカ・欧州諸国・中国といった大国の動向とプーチン大統領の判断を横に並べて関係性を判断する必要がある。

つまりいくつかの異なるレベルの情報を照らし合わせて、因果関係と相関関係の理解を深めていく余地がある。

ここでは国際政治学の泰斗ケネス・ウォルツの著書『人間・国家・戦争 国際政治の3つのイメージ』で描かれた、戦争の因果関係の3つのレベル、すなわち個人(individual)、国家(state)、国際システム(international system)に分類して考えてみたい 。

(出所)『何がロシアのウクライナ侵攻を招いたか ウクライナ危機で世界はどう変わるのか』

まず世界という大きな空間から国家そして個人へと空間の絞り込みをはかってみたい。すなわち、「国際システム」から「国家」、そして「個人」へと分析を進めてみよう。

プーチン大統領「個人」からみたウクライナ侵攻

分析の第1レベルである「個人」の役割を検討してみよう。プーチン大統領は、なぜウクライナ侵攻を決断したのか、という中核的な問いである。特に個人独裁に近い権威主義国家において、プーチン大統領の理念、情勢認識、決断がもっとも重要であることに疑問の余地はない。

プーチン大統領個人をプロファイリングしながら、政治心理学、動機付け、行動理論、性格分析などから読み解いていく必要があるだろう。こうした分析は、情報コミュニティーの真価がもっとも問われる領域でもある。ここでは4つほど特徴を挙げてみたい。

① 強いロシアを回復させたいという執念

第1は、プーチン大統領が冷戦後に失われたロシアの栄光を取り戻し、強いロシアを回復させたいという執念を持っていたことである。

2021年7月にプーチン大統領が発表した18ページにわたる論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」には、ロシア人とウクライナ人は1つの民族で、独立国家としてのウクライナの主権を否定し、ウクライナをロシアの歴史的領土とみなす。またウクライナで生じている危機は、西側外国勢力が反ロシアを掲げて危機を演出したと論じている。

プーチン大統領にとって、ウクライナはロシアに回収されなければならない領土として位置づけられていた。

② アメリカとNATO諸国がロシアの安全を脅かしているという観念

第2にプーチン大統領が強く抱くのは、アメリカとNATO諸国がロシアの安全を脅かしているという観念である。

プーチン大統領が国家安全保障会議での冒頭発言で、アメリカやNATO諸国が「ウクライナを用いてロシアと対峙することは深刻な脅威となる」と述べている。

仮にロシアと領土を一体化しなければならないウクライナがNATOに加盟することとなれば、ロシアはNATOとの軍事衝突を余儀なくされる。これこそがアメリカが「ロシアの解体を目指している」(パトルシェフ安全保障会議書記)証左として認識されるのである。

このようなウクライナの西側傾斜やEU・NATO加盟の動きが本格化する前に、ロシアは行動しなければならない、と考えた可能性が高い。

「短期間で目標達成できるという自信」も

③ ロシア系住民がウクライナ指導層に抑圧されているという主張

第3は、こうしたアメリカの影響を強く受けたウクライナの指導層が、ロシア系住民を抑圧しているため、ロシアは国家として彼らを保護しなければならないと考えていることである。

プーチン大統領の認識では、ドンバス地方におけるロシア系住民に対して、ウクライナ軍が執拗な攻撃を加えて多くの住民が死傷し、それは虐待やジェノサイドといった概念を当てはめるにふさわしい状況と捉えられている。それが「ウクライナをネオナチ勢力から解放する」という主張に結びつく。

④ 短期間で目標を達成できるという自信

第4は、ウクライナ侵攻が短期間で成功し、ロシアの被る損害は許容可能なものとなる、という自信である。その背景には、ウクライナ軍の能力やウクライナ国民の抵抗の意志に対する過小評価があったに違いない。

また、アメリカやNATO諸国は直接軍事介入できないという確信も、ウクライナ侵攻を決断した理由となったことが考えられる。欧米諸国からの経済制裁も織り込み済みだったろうが、これほどの規模で制裁が展開されたことは予想外だったのではないだろうか。

以上のようなプーチン自身の観念は、誇大妄想のようにも聞こえるし、実態と大きく異なることも指摘できる。

アメリカやNATO諸国はプーチンが考えるほど、ロシアに敵対的であったとはいえない。ましてやアメリカの目的がロシアの解体にある、という考え方をアメリカ国内から見いだすことは困難である。

またドンバス地方において内戦が展開されたことは事実だが、ロシア系住民がジェノサイドの危機に瀕しているというのは誇大評価であろう。

さらに、アメリカに扇動されたにすぎないウクライナ国民がロシアからの解放を待ち望んでいるかのような考え方は、大きく実態と異なっている。

ロシアのウクライナ侵攻は防げたのか?

仮にこうしたプーチン大統領個人の考え方が是正されていれば、ロシアのウクライナ侵攻は防げていたかもしれない。またアメリカ・NATOが軍事介入する可能性を強く示唆すれば、プーチン大統領は軍事行動を思いとどまったかもしれない。

何がロシアのウクライナ侵攻を招いたか ウクライナ危機で世界はどう変わるのか

さらに経済制裁の苛烈な効果や、国際社会で孤立することを事前に示せていれば、プーチンの損得計算を冷静に働かせる効果を持ったかもしれない。

こうした働きかけが成功していれば、多くのウクライナ国民の命は助かっていたかもしれないのだ。

しかし、以上の見解も仮説に基づく見立てにすぎない可能性もある。それは第1イメージ(個人の考え)も、第2イメージ(国家統治や組織)、第3イメージ(国際システム)の相互関係によって成り立っているからである。

だとすれば、ウクライナ危機はウクライナ侵攻の政策過程の検証だけでなく、より広い観点から分析を深めていかなければならない。こうした多角的検討から、次の人道的な悲劇や国際秩序の破綻を防ぐための叡智を導くことができるかもしれないのだ。

(神保 謙 : 慶應義塾大学総合政策学部教授)

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