アメリカ「中絶反対派」がこんなにも強力な理由

「中絶は殺人だ」と語るバーバラ・スミスさん。筆者が暮らしていたミシガン州の小さな町では絶大な影響力を持っていた(写真:筆者撮影)
アメリカで中絶をめぐる激しい議論が巻き起こっている。きっかけとなったのは、人工中絶の権利を認めるアメリカ最高裁の判決「ロー対ウェイド裁判」が覆る可能性があるという情報が漏えいしたことだ。近く最高裁の最終意見が出るとみられる中、アメリカでは著名人も巻き込んだ「プロチョイス(人工中絶擁護派)」と「プロライフ(中絶反対派)」の戦いが激しくなっている。
一方、日本では人工中絶には配偶者の同意が必要とする母体保護法に対する批判が強まっている。アメリカを含む多くの国では、女性が妊娠、出産、中絶など性や子どもを産むことを選択・決定できる「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)」が認められているが、日本ではまだこの意識は低いと言わざるをえない。
アメリカでの論争はけっして日本人に関係がないことではない。個人が「中絶」を選ぶ権利が、なぜ裁判所と政治を巻き込む社会問題となっているのか。本稿ではアメリカの新聞社で現地コミュニティを取材してきたジャーナリストの長野美穂氏がその背景をお伝えする。
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避妊ピルを常備する高校生

アメリカの中絶問題を紐解くカギの1つとして、避妊の手段へのアクセスを見てみよう。

日本で避妊ピルが承認されたのは1999年。その2年前に、筆者はミシガン州の小さな町にある家庭でホームステイを経験していた。外国人の筆者を快く迎え入れてくれたその家庭には、17歳の高校生のサラがいた。彼女と私は同じバスルームを2人で共有して使うことになった。

ある日、戸棚の引き出しの中に、円形のプラスチックケースに入ったキラキラ光る数十の錠剤があるのに気付いた。

「ピンクとか青の色がついていてかわいいね。これはビタミン剤?」と聞いてみた。
「え、ピルだよ」とサラ。
「ピル? このビタミン剤みたいのが避妊ピル?!」
「そうだよ。知らないの?飲み忘れないように、錠剤の色が毎日違うわけ。で、時計回りに順番に飲んでいくんだよ」
「初めて見た。日本では避妊ピルはまだ承認されてないんだよ。そうか、これがピルなのか!」
「え? 避妊ピルがない国から来たの? じゃ、ジャパンでは、女性たちは望まない妊娠からどうやって自分の身を守るわけ?」

人口6000人の小さな町に住む高校生にそう聞かれて言葉に詰まった。当時、日本での中絶の件数は年間約34万件で、現在の2倍以上の数だった。

「このピル、どうやって手に入れたの?」
「入手経路はいろいろあるよ。地元のプランド・ペアレントフッドでも処方してくれるし」

プランド・ペアレントフッドとは日本語に訳すと「全米家族計画連盟」で、避妊薬の処方や、中絶の処置などを提供する医療サービス非営利団体のことだ。

「サラのお母さんはこのピルのこと知ってる?」
「病院では医師の処方箋が必要だけど、親の許可なしで高校生にピルを提供してくれる所は街に複数ある。だから親を通さなくてもOKなんだよ」
「そうなのか!」
「ちょっと、本当に何も知らないんだね。大丈夫?」

私はバスルームに一眼レフのカメラを持ち込んで「ピルを撮影してもいいかな?」とサラに聞いた。「いいけど……変わった人だね」とあきれられたのを覚えている。

ディズニー映画に夢中なサラは、壁中にプリンセスのポスターを貼っていた。ファンタジーいっぱいの夢のお姫様イメージと戸棚の中にある避妊ピルの存在。異質なはずのその2つが共存するのが、アメリカの高校生の現実なのだと知った。

山のように来る「中絶反対」の投書

その後、同じ街の新聞社で記者として働き始めて驚いた。「中絶は神への冒涜!」「中絶反対!」「受精の瞬間から胎児には生きる権利がある。殺すな」と書かれた読者からの手紙や投書が毎日大量に編集部に届くのだ。「ダーウィンの進化論なんて許せない。そんなものを学校で教えるな」と書かれた手紙もあった。

ほとんどの同僚記者たちは毎日届く投書に「またか……」とうんざりしていた。大量の投書はほぼすべてが紙面の投書欄に印刷されて読者のもとに届く。投書欄は人気のコーナーでもあるのだ。

日本からやって来た私には、「中絶」というごくプライベートな選択に対して、住民たちの感情がここまで沸騰している理由が理解できなかった。アメリカでは中絶は合法であり、1973年の最高裁の「ロー対ウェイド判決」によりその権利がすでに保障されているのに、なぜ他人の選択をここまで糾弾するのかーー。

「中絶問題を取材したい」と言うと、エディターが地元の「中絶反対派」のリーダー的人物の名前をメモに書いてくれた。アポを取り、出かけようとすると、同僚記者たちは「ひえー、あそこに行ってはたして洗脳されずに無事に帰ってこられるかな?神のご加護を!」と大騒ぎだった。

「中絶問題とキリスト教信者の政治的パワー。これがわからないとアメリカって国の半分もわからないよ。頑張って」と背中を押してくれたエディターもいた。

「中絶は殺人です。おそろしい罪です」

街はずれにある、マリアン・ピース・センターというキリスト教団体の運営者、バーバラ・スミスさんの自宅を訪ねた。彼女は小さな街に、全米から4000人のカトリック教徒を集めてイベントを開催してしまうほどの大きな影響力の持ち主だ。

彼女とその仲間は、中絶処置を提供するプランド・ペアレントフッドの建物の前で「中絶反対」を唱え、マリア像を手に賛美歌を歌い祈るイベントも行っていた。

「あなたの宗教は何?」とスミスさんは開口一番、私に聞いてきた。「無宗教です」と私が答えると「そう。私はカトリック教徒。中絶は殺人です。おそろしい罪です」と言った。部屋の中には100体以上のキリスト像が飾られており、台所のシンクの中にも、十字架に磔されたキリスト教像が置かれていた。

「この国では法律上、中絶は合法ですよね? それなのに、なぜ罪なのでしょうか?」と聞いてみた。

「たとえこの世の法律で合法であろうと、神の法の下では最大の罪です。妊娠の瞬間から私たちには産む以外のチョイスはありません。授かった命を殺す権利は、誰にもないからです」

汝殺すなかれ、という聖書の言葉を守ることがカトリック教徒としての最大の使命なのだという。

「では、もしあなたがレイプされて妊娠したとして、中絶はしないんですね?」と聞くと「もちろんです。そうだ、ちょっと待ってて」

彼女が隣の部屋から連れてきたのは、透き通るような白い肌とばら色の頬をした20歳ぐらいの若い女性だった。「この子は私の養子です。この子の母親はレイプされたんです」。するとその女性は「こんにちは!」と曇りのまったくない笑顔で微笑み、さっと手を差し出した。

手を黙って握り返すのが精一杯で、咄嗟に言葉が出てこない。もしこの女性の母親が中絶を選んでいたら、今目の前で立って微笑んでいるこの人は、この世に存在しなかったわけか。
 
まったく動じず、強烈な明るさを放つその若い女性の存在感に圧倒されて、思考が追いつかない。望まない妊娠の結果、中絶を選ぶ女性の数は、子どもを産んで養子に出す女性の数より圧倒的に多い。これがアメリカの現実だ。

スミスさんのように養子として赤ん坊を引き取り育てる努力は並大抵のことではないはずだ。だが、中絶を選んだ女性を「神に背く大罪」という言葉で糾弾するのははたしてフェアなのか。

中絶をするかしないかは個人の選択

中絶を選ぶしかない女性たちがなぜ多数いるのか、その理由を知る必要があると思った。同じ街のプランド・ペアレントフッドの代表者のマーサ・ランカスターさんを取材すると「若い女性たちが中絶を選択する一番の理由は、経済的な問題です」と即答した。

プランド・ペアレントフッドが中絶反対派から「最大の中絶提供団体」として糾弾されていることを問うと、彼女はこう答えた。

「私たちは中絶すべきだと宣伝しているわけではありません。中絶するかしないかはあくまで個人の選択です。中絶以外にも出産して子どもを養子に出す選択肢もあります。でも、多くの女性がさまざまな理由から、出産して養子に出すよりも、中絶を選ぶのがこの国の現実で、その選択権はあくまで彼女たちにあります」

同じ街のカトリック教会の神父に「もしカトリック教徒が中絶したらどうなるのか?」と聞くと「中絶は破門に相当する。だが、もし本人が悔い改めれば、カウンセリングをして、教会から追放することはしない」と答えた。

ちなみにカトリックの神父は全員、男性だ。宗教が日々の暮らしと密接に関わっている小さな町では、自分の属するキリスト教会から追い出されることは死活問題に近い。

カトリック教徒であり、中絶を選んだ地元女性に取材すると「自分の決断を後悔はしていない。若くて知識も経済力もなかった当時の自分には、中絶以外の選択肢はなかった。中絶前も中絶後も、自分がカトリック教徒であることは変わりない」と語った。

この女性は、同じ州内の離れた街で、誰にも言わずに中絶をすることを選んだ。自分の街の中絶クリニックの駐車場に車をとめただけで、個人を容易に特定され、中絶反対派から糾弾される可能性があるからだ。

中絶擁護派と反対派が激しくぶつかるデモ

その後、首都ワシントンで開催された「中絶反対1万人デモ」に参加するスミスさん一行30人の旅を同行取材した。デモ参加者の多くは高校生だった。彼らが手作りで用意してきた「中絶は殺人だ」と書かれたプラカードを掲げて行進を始めると、アメリカ最高裁の前で「中絶は女性の選択肢であり権利だ」と主張するプロチョイス(中絶権利擁護)派に取り囲まれた。

するといきなり「あんたたちは命を殺しているんだよ。それがわからないのか!」と叫ぶ集団が現れて、中絶擁護派の持つピンク色の風船を引きずり下ろした。すぐに警官が駆けつけた。

中絶反対を表明する人たちの中にも穏健派から過激派までさまざまな集団があり、過激派は血まみれの胎児の写真を拡大したパネルを作り、それを中絶擁護派に投げつけていた。

賛美歌を歌いながらマリア像を掲げて歩くスミスさんと高校生の一行は、この過激な衝突に面食らって後ずさっていた。スミスさん一行が着ているのは、ミシガンの地元の地名のロゴが入ったスウェットやジーンズやジャージに白いスニーカーだ。

対して、中絶の権利を守ろうと主張する人々は、黒い革ジャンにピアス、さまざまな色に染めた髪の毛など都市型ファッションが主流で、その違いは一目瞭然だ。

「ライフ イズ ライト」という大合唱が最高裁ビルの前で響くと、「アボーション(中絶)イズ ライト」という声が続く。中絶反対派と中絶賛成派の両者の間に対話がまったく存在せず、それぞれ「相手が間違っている」と主張し、どちらも一歩も譲らないまま1万人規模のデモが終わった。

その翌年、大学1年生になったホストシスターのサラが妊娠していることがわかった。ピルを飲んでいたはずでは、と思ったが、どんな避妊法も100%ではない。サラは悩んだ末、産むことを決断した。「今年はいつもとはちょっと違った年になりそうだよ」と緊張した表情でサラは言った。

子どもの父親は、高校の同級生で別の大学に通うボーイフレンドだ。2人は結婚せず、サラは両親と相談してシングルマザーになる決意を固めた。私は出産に立ち会い、赤ちゃんが生まれてくる瞬間を撮影した。

つい1年前までプロムに着ていくドレス選びで大騒ぎしていたサラが、保育所探しに奔走しながら赤ちゃんのオムツを替えているのを見て、彼女の人生が激変したことを実感した。

それから20年後のアメリカ

そして現在、2022年。最高裁判所の「中絶は合憲」という49年前のロー対ウェイド判決が覆る可能性が出てきた。

もし多数派の保守派判事たちが「違憲」と投票すれば中絶は「合憲」ではなくなるのだ。その場合、各州の法律で「合法」か「非合法」が定められる。つまり、中絶が「犯罪」になる州が出てくる。

カリフォルニア州のロサンゼルスでは、中絶の権利を守るためのデモが行われ、数万人が参加した。

「私の母は50年以上前の中絶非合法時代に看護師として働き、自己流で中絶して命を落としそうになった女性たちを実際に見てきた」。そう語るのはメイクアップ・アーティストのエリサ・マーシュさん(55歳)だ。

もし非合法時代に逆戻りして、中絶のアクセスを失う女性たちが出てくれば、再び命を失う女性が出てくるとマーシュさんは危惧する。彼女は、中絶反対派のキリスト教信者の親戚の女性と会話していた時に、相手にこう尋ねたという。

「過去に中絶経験がある女性で、その後の人生を元気に無事に生きている人を、個人的に知っている?」その女性は「そんな人は知らない」と答えたという。 

そこでマーシュさんは「今、あなたの目の前にいるんだけど。私には中絶経験があるけど、自分の人生を精一杯生きていて、当時の選択を後悔してはいない」と告白した。その場に同席していたエリサさんの娘で現在15歳のテアさんは「お母さん、中絶経験があったの?」と驚いたという。

親戚と娘の前で自分の過去を告白したエリサさんはこう言う。「中絶は自分にとって決して簡単な決断ではなく、苦しみはしたけど、当時の自分にとってはあの選択が正しかった。中絶を恥だと思い込ませ、中絶経験者の口を封じようとする風潮を打破したいと思う」と言った。

同性婚が合法の時代に中絶が非合法!?

娘のテアさんは、中絶をすでに非合法と定めた他州から、カリフォルニアに州を越えて来た友人を知っている。「友人は同い年の15歳。親には妊娠の事実を言えず、たった1人で州を越えて中絶手術できるクリニックを探しにやってきた」と言う。

中絶の権利の保護を訴えるエリサ・マーシュさん(右)と娘のテアさん(写真:筆者撮影)

筆者が取材をしてきたミシガン州では「中絶は4年以下の懲役刑に処する重罪」とする1931年の法律がまだ残っている。もし最高裁が連邦政府レベルでの「中絶合憲」を覆せば、この古い法律を適用する街が出てくるかもしれない。

テアさんは言う。「同性婚が合法化されたのは私が6歳の時だった。同性愛者の自分にとって、最高のニュースだった。そんな現代に、中絶が非合法の時代に逆戻りなんて信じられない。そもそも女性1人で妊娠するわけではない。アメリカ議会の75%を占める男性たちを味方につけて、非合法化を避けなければ、私たちの世代の10代の女性たちが犯罪者になってしまう時代がくる」。

宗教と政治とさまざまな感情が絡み合ったアメリカの中絶問題。最高裁判所が新たな決断を下す日は明日かもしれない。

(長野 美穂 : ジャーナリスト)

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