NYで開眼!栃木で「竹の農場」盛り上げる男の発想

竹の新たな可能性を切り開く農場の秘密とは?(写真提供:若山農場)

かぐや姫の物語で象徴的に登場する竹(タケ)。日本人が親近感を覚える植物のひとつだ。

私たちがもっともよく目にする大型のタケは、モウソウチクという。地上部は20メートルに達し、ビル7階もの高さとなる。壮観だが、いい面だけではない。周囲をその高さで囲まれてしまえば、広葉樹も針葉樹も日光が届かず、枯れてしまうのだ。

「竹害」となり、ときに日本人に牙をむく竹だが…

さらに、モウソウチクは斜面では雑草のように薄く地下茎を伸ばす性質を持つ。樹木ほど根を深く伸ばせないため、土砂災害の危険性を高めてしまう。過疎化の進行にともなって近年、里山における竹の管理が追いつかず、竹やぶ化が進行。竹害(ちくがい)と呼ばれる社会問題にもなっている。

いつの間にか嫌われ者になりつつあるタケだが、新たな可能性を切り開こうと奮闘する人たちもいる。

栃木県宇都宮市北部にある竹の農場、若竹の杜 若山農場がそれだ。江戸時代初期から続く若山農場。一般にはシーズン外れのゴールデンウィークでもタケノコを出荷できる業者として、また造園用の苗木を生産する業者として、知る人ぞ知る存在だ。

その竹林は、ロケ地としてもよく使われている。映画『るろうに剣心 伝説の最期編』、『キングダム KINGDOM』では重要なシーンが、椎名林檎「いろはにほへと」のプロモーションビデオでは全編が、若山農場の竹林で撮影されたほど。

5年前より竹林を一般公開している若山農場を訪問し、タケについて考えてみた。

(写真提供:若山農場)

江戸幕府の新田開発のために移住してきた先祖たち

若山農場を率いているのは若山太郎さん。若山家は寛文10(1670)年にこの地に移住してきて以来、350年にわたって家業を守っている。現在の事業の柱は3つ。タケノコ、栗などを生産する農産物部門、タケの苗木を生産する植木部門、竹林を見せるロケーション部門だ。

若山太郎さん(写真:筆者撮影)

「徳川幕府の新田開発のために、渡良瀬川流域で水害に困っていた先祖がこの地に移住したのが始まりです。未開の原野を開墾したものの、用水完成が100年遅れて水田にできず、畑作地として色々な作物を栽培していたようです。

いまも残るクリとタケを植えたのが祖父の善三でした。宇都宮大学の前身で近代農法を学んだ祖父は、戦後クリ栽培で成功し、全国に栗の栽培技術を広めたことで名を成した人物です。物資の乏しい時代でしたから、竹の需要も大きく、東京に出荷する春のタケノコと秋の栗、冬場の竹材と、商売は順調でした」

祖父までの先祖たちの活躍を紹介してくれた若山さんだったが、ここからは一転して苦難の歴史が語られた。

「全国の栗産地で祖父の名前を知らない人はいなかったはずです。祖父たちはさらに韓国や中国にまでクリを普及してしまいました。その結果、韓国と中国から輸入される安い栗によって価格が暴落し、国内産地は大打撃を受けました。もちろんうちもです」

若山さんの父は儲からないクリを切り倒し、タケの栽培面積を増やしていく。だが、プラスチック製品の台頭によって竹材の需要も激減し、若山農場の経営は一段と悪化していった。頼みの綱は食用のタケノコのみ。お得意さんは東京の高級料亭だった。彼らが求めたのは見た目のよい小ぶりなサイズ。これらは高く売れたものの、一般的なサイズよりも味が劣る欠点があった。

「ある年、父は120年に1度といわれるモウソウチクの開花に遭遇しました。どうもその時にタケの品種改良を思いついたようです。おいしい小ぶりのタケノコが採れる品種を作ればよいと」

タネから育てたタケの性質がわかるまでには10年は必要だ。お金は出ていくばかり。それでも若山さんの父は大量のタネを播き、タケの改良に没頭し、ついに目的の品種の育成に成功する。

しかし再び若山農場を時代の波が襲う。

「栗に続いて、タケノコも中国から輸入されるようになり、新品種を作っても儲からなかったのです。次に父は竹材の価値を高めようと、竹垣に使う耐久性の優れた竹材開発に打ち込みました。特許まで取ったのですがそれで満足してしまい、これも利益にはつながりませんでした」

東京に逃げ雇われ社長になった若山さん、再び家業へ

苦しい家業から逃れるために、長男でありながら若山さんは東京の大学に進み、そのまま造園の施工会社に就職する。実家にはもう戻らないと心に決めて。

「ランドスケープの仕事で、とてもやりがいがありました。バブル景気で大きな仕事が次々舞い込んできましたしね。競うように大規模再開発が続く中で、建築設計業界からある問題が提起されたのです」

それは、無機質な都市の高層建築に映え、日本らしさが伝わる植木がないという問題だった。松も梅も桜も癖が強すぎて、都市空間には不釣り合いであるためだ。そんな時にニューヨークに出張した若山さんは、IBM本社の中庭で衝撃の光景を目にしてしまう。

「IBM本社の中庭にモウソウチクが植えられていたんです。空を突き刺すようにすらっと伸びた緑の稈と木陰でくつろぐ人々を見て、これだって思いました」

いまや多くのビルで見られるようになった「竹」。写真は虎ノ門ヒルズ(写真:若山さん提供)

設計者は、当時ピーター・ウォーカーという建築会社に勤めていた三谷康彦氏。三谷さんが日本に戻っていることを知った若山さんは、すぐに日本の都市空間でのモウソウチクの使い方について教えを請いに行った。ところが日本では無理だとの予想外の回答。「狭いスペースに植えるとタケはうまく育たない。枯らさないためには、地面から5メートル以上には成長させられず、先端を切らなければならない。そんな竹の姿は見せたくない」、と三谷さんは憤慨して語ってくれたのだそう。

自分でも切り詰めて使っていた若山さんは、このとき、実家がタケのプロであることを思い出し、父に何かよい方法はないかと尋ねてみた。すると意外な答えが返ってきた。

「父は『そんなことは簡単だ』と言うのです。深く耕した土に植えれば、タケは狭い場所でもちゃんと育つんだと。さらに高さを制限した不格好な竹にしない方法については、まさにそれに適した品種が農場にあるって言うんです」

それはモウソウチクの4分の1サイズの品種で、若山さんが会社に提案したら即採用となった。これこそが現在に至るまでの若山農場の稼ぎ頭のひとつ、オリジナル品種「姫曙孟宗竹」となった。

「姫曙孟宗竹が幕張の日本IBMに植えられた時はうれしかったですね。『都市空間の中でタケほど映える植物はない』って、ものすごく評判になりました。そこからは苗木の注文が大量に舞い込んで。雇われ社長の立場で姫曙孟宗竹を販売しても、実家はあまり儲かりませんから、私が戻って苗木卸だけでなく、施工会社への直接販売をやるようになって今に至ります」

完全否定していた父の品種改良の仕事。その存在すら気にも留めていなかった姫曙孟宗竹に導かれるようにして家業を継いだ若山さん。タケとの関係はさらに深まっていくことになる。

聖地巡礼で押し寄せたファンの気持ちを変えた竹林

ロケ撮影に人気の金明孟宗竹のエリア(写真提供:若山農場)

若山さんが観光地としての一般公開に踏み切ったのは、2017年4月。これを後押ししたのは、“聖地巡礼”で押し寄せた若者たちとの会話からだった。

「うちの竹林のことが知られるようになり、テレビCMや映画のロケで使っていただける機会が増えていきました。特に『るろうに剣心 伝説の最期編』のポスターの影響は大きかったです」

「聖地巡礼っていうんですか。日曜日で休日だったのに、ファンが押し寄せてきてしまったことがあって。しかたなく農場内の案内をボランティアでしたんです。みなさん歩きながら、口々に映画のこととか俳優のことを私に話しかけてくるんですよ。タケのこともうちの業務のことも、まったく興味を示さずに」

と、苦笑いしながら当時の状況を明かしてくれる若山さん。ところが、この中の若者のひと言に、新規ビジネスの可能性を見出すことになる。

手ぶらで野宿ができるレンタルセット(写真提供:若山農場)

「撮影場所からの帰り道の会話が、『タケって綺麗なんですね』のひと言から、竹の話題に変わったことが何度もあったんです。それが年齢性別を問わず、みなさん驚くほど喜んだ顔をして」

この頃には経営を立て直していたものの、若山さんの家業に対するイメージは変わらなかった。

「私は家業が嫌で嫌でたまらなかったんですけど、この竹林の景色だけは幼い頃からずっと大好きなままだと気づいたんです。この時なんですよね。農場を観光地にしたいという気持ちがふつふつと湧いてきたのは」

農家のプライドが観光事業参入の原動力に

はたして若山さんが打ち出したのは、何もない竹林をただ歩いてほしいというコンセプトだった。

「日常を忘れられる竹だけのステキな空間。景勝地じゃない、庭園でもない、寺社仏閣でもない。農場なんだけど竹だけは圧巻。そこには農家のプライドを懸けて、徹底的にこだわっています」

(写真:筆者撮影)

竹の魅力がより伝わるように、年々進化を遂げている若山農場。昨年からは、竹林で野宿もできるように整備されている。

約21ha(東京ドーム5個分)の竹林が育む空間に身を投じ、五感でたっぷりとタケを感じてみれば、竹とタケノコを見る目がいつの間にか変わっている自分自身に驚くはずだ。

生きている植物としてのタケの温もりを感じられる「若竹の杜 若山農場」は、東北自動車道宇都宮インターチェンジから車で10分足らず。農場に不釣り合いなほどキレイなトイレにも、よい思い出だけを持って帰ってほしいという若山さんの思い入れが詰まっている。

(写真:筆者撮影)

タケノコ生産のプロが語るタケノコのあく抜きの新常識

タケノコを知り尽くす若山さんが、あく抜きの“新常識”についても教えてくれた。

「竹かんむりに旬と書いて筍ですよね。鮮度が命の食材だということは、誰もが知っています。でも、朝掘りが流通している京都を除いて、タケノコを収穫当日に店頭に並べるのは現実的に無理です。だからこそ鮮度を保証するには、自分で掘るのが一番。タケノコ本来のおいしさは、こうして初めて味わえるのです」

通常サイズと高級料亭向けの大きさの違い(写真提供:若山農場)

といっても、自分で掘った後、どうやれば美味しく食べられるのか。

「タケノコのあく抜きって面倒くさいイメージがあるじゃないですか。皮ごと糠とトウガラシを入れたお湯で長時間煮るという。でも実はもっと簡単な方法があるんです」

一般的に知られたやり方は間違いだと断言する若山さんが言う方法は、まさに新常識だった。

「まず皮をがばっと全部むく。何も入れないたっぷりの水にただ沈めて沸騰させて煮るだけ。そのまま鍋に沈められない大きさだったら、切っちゃっても構いません。タケノコのえぐみの正体は、ホモゲンチジン酸。皮を(全部)むくのは、皮のままだと、ホモゲンチジン酸が水に溶け出しにくくなるからです。その日に掘ったものなら20~30分で十分。スーパーの店頭のものでも40~50分であくは抜けます」

糠やとぎ汁を使わない理由は、それらのにおいが移ってしまいタケノコ本来の香りが楽しめなくなるため。確かにこの新常識なら、タケノコを煮るのが面倒くさいという人を減らせそうだ。

「料理本のレシピは、なぜか余計な手間を読者に押しつけてしまうことがあります。かといってph調整剤を使っているタケノコの水煮では、本来の香りと食感は楽しめません。水煮のタケノコを嫌う子どもは結構いるんですよ。こうして煮たタケノコなら大喜びするのに。

タケノコはどんな煮物に使っても、煮物もタケノコ自体もどっちもおいしくなる。どんな煮物でも構いません。余ってしまった味がしみたタケノコはそのまま天ぷらにすれば、絶品料理に変身します」

(写真提供:若山農場)

若山農場ではなんと、おいしいタケノコを一年中楽しんでもらうことを目的に、この水でただ煮ただけのタケノコの瓶詰めを商品化している。

「『こんな水煮の瓶詰なんて誰も買わないよ!』。お付き合いのあるバイヤー全員にこう言われました。でも、飛ぶように売れてるんですよ。旬の味を一年中楽しみたい人が多くいらっしゃる証拠です。おかげ様で次のシーズンの収穫が始まる前に、直販のみで全量売り切れてしまいます」

「いつか竹やぶすら宝の山に変わる」と語る若山さん。「竹害」などと呼ばれ嫌われ者になりつつあるタケの未来が、明るい方へと変わっていくことを願ってやまない。

(竹下 大学 : 品種ナビゲーター)

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