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岸田首相の「新時代のリアリズム外交」とは何か

岸田首相が打ち出した「新時代のリアリズム外交」とは?(写真:Bloomberg)

自民党内派閥の「宏池会」は伝統的に政策通の多いハト派集団で知られ、タカ派の代表である安倍晋三前首相が属する清和会(清和政策研究会)の対極に位置する。池田勇人、大平正芳、宮澤喜一らの首相を輩出し、その源流は吉田茂までさかのぼる。吉田ドクトリンや所得倍増計画など、通底しているのは軍事より経済を、イデオロギーより現実を重視する点だろう。

その宏池会の会長でもある岸田首相が1月召集された通常国会の所信表明演説で外交に関して「新時代のリアリズム外交」という新しい概念を打ち出した。「新時代のリアリズム外交」はいかにも「宏池会」らしい表現だが、その内容はまだはっきりしない。

岸田首相はこの言葉の説明として、「自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値や原則の重視」「気候変動問題などの地球規模課題への積極的取り組み」「国民の命と暮らしを断固として守り抜く取り組み」という3つの柱をあげた。

安倍氏など清和会への違和感が根底に

しかし、その具体的内容となると、日米同盟関係の強化、北朝鮮による拉致問題や核ミサイル開発問題の解決、沖縄の基地負担の軽減、「自由で開かれたインド太平洋」の推進など、特別目新しい政策はなかった。目立ったのは広島選出の議員らしく「核兵器のない世界の追求」を強調している点だろうが、これは岸田首相の持論といったところだろう。

首相の施政方針演説や所信表明演説は、かつては各省の政策の寄せ集めにすぎなかった。それを嫌った小泉純一郎首相のように演説にほとんど重きを置かなかった首相もいた。ところが政治主導がいわれる近年は、細部はともかく重要部分は首相官邸で書き上げており、各省官僚の関与は激減したとされる。

岸田首相が打ち上げた「新時代のリアリズム外交」も外務省はまったく関与していないという。しかし、外務省幹部は「内容を見る限りこれまでの外交政策と変わりないので安心している」と話す。

就任直後の国会での所信表明演説で岸田首相は外交について「強い覚悟をもって毅然とした外交を進めます」と発言していた。「毅然とした外交」は自民党内タカ派が好んで使う表現だ。就任直後の高揚感もあってこういう言葉を使ったのかもしれないが、1月の演説からは消え、正反対の「リアリズム」が登場した。

こうした変化から推測するに、岸田首相は森喜朗首相を皮切りに小泉、安倍氏と続いた清和会出身政権の外交政策に少なからぬ違和感を持っているのだろう。しかし、いきなり宏池会的カラーを前面に出せば党内の強い反発を招くことになる。だから、宏池会のホープである林芳正氏を外相に起用したうえで、権力基盤を徐々に固めながら自分らしい外交を展開しようとしているのかもしれない。

そこで岸田氏の著作物(『岸田ビジョン』、『核兵器のない世界へ』)などから、岸田首相のいう「新時代のリアリズム外交」を読み解いてみたい。

外相を長く務めた自信と「宏池会」の誇り

一見、控えめに見える岸田首相だが、安倍政権時代に4年7カ月も外相を務めたこともあって、「外交・安全保障の分野では、私以上に経験豊かな政治家はあまり見当たらないと自負している」と、外交にはかなりの自信を持っている。

安倍政権時代の外交は、安倍首相とトランプ大統領の緊密な関係、官邸主導で展開された北方領土問題に関する日ロ首脳会談など、主要外交はことごとく安倍首相中心に展開され、岸田外相の影は薄かった。数少ない成果だった従軍慰安婦をめぐる日韓合意も、文在寅大統領があっさりと反故にしてしまった。そういう意味では不遇の外相でもあるが、長期間の外相時代に培った世界各国の人脈の広さなどが岸田氏の自信につながっているようだ。

もう一つの自負は、宏池会に対する誇りであろう。1955年に保守合同して結成された自民党内には2つの流れがある。岸田氏に言わせるとそれは、自主憲法制定や再軍備を主張した鳩山一郎を中心とする「戦前保守派」と、再軍備を脇に置き敗戦で疲弊した日本経済再生を優先した吉田茂を中心とする「戦後保守派」である。

「戦前保守派」は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって公職追放され、後に解除されて政界に復帰した勢力が中心だった。宮澤喜一元首相は、当時の状況について「鳩山さんに代表される追放復活者の方々の顔ぶれを見て、彼らの信条どおりの政治が実現すれば、明らかに戦前にさかのぼることになるのですから。私たちとは明らかに違う人たちが戻ってきたということがはっきりしていました」(『90年代の証言 宮澤喜一』)と述べている。

岸田氏に言わせると、戦前のイデオロギーにこだわる鳩山らに対し、吉田らは現実主義(リアリズム)に徹してきた。それが宏池会に生き続けており、「新時代のリアリズム外交」という言葉が出てきたのであろう。

そのうえで自らの経験を踏まえた外交について、「外相時代の経験から言えば、外交では対話を絶やさないことが重要だ」「外交の要諦はまず相手の話を聞くこと。すべてはそこから始まります。相手国にこちらの思いを押し付けてはならない。押し付けたら向こうは受け付けてくれません」と述べている。いかにもハト派らしい考え方である。

日米関係については意外に懐疑的

主要国との関係についてみてみると、まず日米関係については意外にも懐疑的な考えを持っていることがわかる。もちろん日米同盟関係の重要さを認めているが、「アメリカとの適切な距離感が、今後の日本外交の一つの課題になると考える」、「日本はアメリカの代理国ではなく、独自のどんな役割を果たせるのか。ルール作り、枠組み、アジア地域の秩序維持をリードする役目がある」として「日米安保体制のバージョンアップ」を唱えている。

こうした発想は、日米関係を最優先してきた小泉、安倍首相ら清和会政権との大きな違いでもあるだろう。しかし、その具体的内容はまだ明らかにはされていない。

対中外交については強硬論一辺倒の自民党内タカ派とは明らかに一線を引いている。施政方針演説は「主張すべきは主張し、責任ある行動を強く求めていく」「対話をしっかりと重ね、共通の課題については協力し、本年が日中国交正常化50周年であることも念頭に、建設的かつ安定的な関係の構築を目指します」と今のところ当たり障りのない一般論を述べている。

著書では多少踏み込んで「RCEP(東アジア地域包括的経済連携)やTPP協定といった枠組みを主導することで中国を含めた大きな輪を作り、そこに時間をかけてアメリカを巻き込んでいく」と書いているが、簡単な話ではない。自民党内に中国に対する厳しい意見があふれている中、容易に具体策を打ち出すことはできないだろう。

慰安婦合意を反故にされた韓国に対しては当然だが厳しい姿勢を示している。

現代の文在寅政権を「支持率維持のために世論受けする反日に活路を見出そうとしている」、「韓国政治がいくら苛烈でも合意を国際事情で変えられたら信頼関係は保てない」などとストレートに批判、「国と国の国際的約束ほど重いものはなく、韓国がとる態度には、率直に言って腹が立ちます」と岸田氏としては珍しく感情をあらわにしている。

韓国とは政権交代を機に関係改善を模索

日韓合意を無視した文在寅大統領の任期は残り4カ月余り。岸田首相は「原理原則は決して曲げずに、日本の最終的な国益のために折り合っていくことが外交のありようの基本である」とも書いており、ここでも宏池会流のリアリズムを捨てたわけではない。韓国での政権交代を機に、新大統領との間で関係改善を模索していくことになる。

日米中の外交を考えた時、2022年は3国とも重要な政治イベントを抱えているため外交的に動きにくい年だ。アメリカは11月に中間選挙を、中国も秋に党大会を控えている。それらの結果が出なければ、両国とも本格的な外交を展開しにくい。同じことは日本にも言え、7月に予定されている参院議員選挙に向けこれから半年間の政治の焦点は選挙となる。

韓国の大統領選を含め各国の政治体制やその動向が明らかになったのちに、本格的な外交が動き出す。岸田首相が唱えた「新時代のリアリズム外交」の具体像はその時に明らかになるのだろう。

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