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岸田政権が掲げる「新時代リアリズム外交」の意味

的確にパワーの分布を見抜き、自らの有利なバランスを確立する政治姿勢が岸田流だ(写真:Yoshikazu Tsuno/Gamma-Rapho/Bloomberg)
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「新時代リアリズム外交」とは何か

2022年1月1日、岸田文雄首相は自らの政策の基本方針を示す年頭所感のなかで、「普遍的価値の重視、地球規模課題の解決に向けた取り組み、国民の命と暮らしを断固として守り抜く取り組みを三本柱とした『新時代リアリズム外交』を推し進めます」と述べている。岸田首相は、徐々に自らの政権における外交政策の輪郭を描きはじめた。

この「新時代リアリズム外交」という言葉は、その1週間ほど前の12月22日の岸田首相の演説の中で、はじめて体系的に用いられた言葉である。岸田首相はそこで、「私自身、政治家として育ってきた宏池会(こうちかい)という政策集団は、昔から、リアリズムの外交、こういったものを掲げてきました」と論じた。

しばしば自民党内でリベラルな政策集団と見られる宏池会のイメージを、それとは対照的な「リアリズム」という用語で再定義しているのは興味深い。岸田首相は、自らがリベラルな政治家としてみられることをあまり好まないと報じられることもある。それゆえに、自らの外交姿勢を示す言葉に「リアリズム」というラベルをつけることによって、自民党内の保守系議員からの批判を回避したいという意図が垣間見られる。

それでは、「新時代リアリズム外交」とは具体的にどのような方針を意味するのか。また、「宏池会」首班の内閣で従来の外交路線とはどのような違いが見られることになるのだろうか。さらには、それを支える自民党内の政治力学にどのような変化が見られるのであろうか。岸田外交を、そのような自民党内の政治力学や、自民党政治の戦後史の中に位置づけることで、より深く理解できるのではないか。

マキャヴェリ主義者としての岸田文雄?

岸田文雄首相は、自民党内でのリベラル派の政策集団と見られてきた宏池会の伝統のなかで、リベラルな政策を推進すると想定されることがある。だが、実際には岸田首相は自らをリアリストとして認知されることを求めているようであり、自民党総裁選で勝利を収めた際にはマキャヴェリ主義者としての顔も示していた。それはどういうことであろうか。

戦後の政治史の中では、自民党では歴史的に3つの主流派の派閥が重要な位置を占めてきたといえる。党内での中道派の平成研究会(現在の茂木派)と、保守派の清和政策研究会(現在の安倍派)、そしてリベラル派の宏池会(現在の岸田派)である。最近では派閥の影響力が後退し、また必ずしも歴史的にも自民党の派閥がつねに単一の理念や政策構想で結束していたわけではない。とはいえ、この主要な3つの派閥の合従連衡や対立関係がしばしば、自民党政治を動かすダイナミズムとなっていた。

現在では安倍派である清和会が最大勢力であり、岸田政権は安定的な党内政治基盤を維持するために安倍派、とりわけ安倍晋三・元首相の支持が不可欠である。それゆえに自民党内の権力基盤の維持、そして自民党支持層の有権者からの好意的な評価を持続させるためにも、岸田政権は自らの軸足を中道よりも右に置かなければならないという現実がある。

事実、2012年12月に成立した第2次安倍政権の外交を岸田氏は外相として支えてきており、安倍外交のリアリズムは部分的に岸田外相の成果でもある。同じ年に初当選した同期である岸田氏と安倍氏は長年盟友関係にあって、相互に深く信頼してきた。安倍外交のリアリズムは、それゆえ、安倍首相と岸田外相の協力の帰結ともいえる。

「自由で開かれたインド太平洋」構想を継続

岸田政権が、安倍外交におけるリアリズムの伝統をかなりの程度において継承していることは、それゆえ自然なことである。実際に、自らがその成立と普及に貢献した「自由で開かれたインド太平洋」構想を、岸田首相は自らの政権においても継続している。

安倍外交のリアリズムの基本路線を岸田首相が継承していくことに加えて、岸田氏自らが党内政治においてもマキャヴェリ的ともいえるようなリアリズムを実践していることにも留意するべきだ。岸田首相は、2020年9月の自民党総裁選で菅義偉氏に敗れてから、それまでの妥協的で調和的な政治スタイルを修正して、政策においても政局においても、よりいっそうマキャヴェリズムを強め、状況に応じて迅速に重要な決断を行っている。

そうでなければ、圧倒的な世論の支持を受けて、さらに国民的な人気を誇る小泉進次郎環境大臣、石破茂元幹事長が支える河野太郎氏、党内の保守派から強い支持を受けていた高市早苗氏に対して、次期首相候補としての評価がそれほど高くはなかった岸田氏が総裁選で勝利を収めることはできなかったはずだ。

しかも、その勝利の幅が事前の予想よりも大きく、1回目の投票で国会議員票と党員票の合計で岸田文雄氏が上回ることは多くの者にとって想定外のことであった。そのことが、2回目の決選投票や、政権成立後の岸田氏への求心力につながったともいえる。

岸田氏は、一昨年9月の総裁選で敗北してから、岸田派内の有力な中堅議員である木原誠二氏や村井英樹氏、小林史明氏に自らの政権構想を策定するうえでの助言を求め、積極的に優秀な若手議員の力を取り込む姿勢を示した。そのことは、世代間対立が顕著となりつつある自民党内で、無派閥の若手議員の好印象を得ることになった。実際に「党風一新の会」の代表世話人となった若手リーダー格の福田達夫氏を自民党三役の総務会長に任命したのも、前例を打破する画期的な決断であった。

他方で、安倍派の松野博一氏を政権の要諦でもある官房長官に指名し、麻生派の鈴木俊一氏を麻生太郎氏の後継の財務大臣に、さらには茂木派の茂木敏充氏を幹事長に指名することで、主流派の派閥への配慮も示している。党内の各勢力のバランスのみならず世代間のバランスにも配慮して、それを外的圧力としてではなく、自らの指導力で調整するところは、まさにマキャヴェリ的なリアリズムともいえる。結局、自民党内の若手議員と、主要派閥の領袖と、その双方の支持を獲得した岸田氏が自民党総裁選で勝利を収めることは、ある程度自明なことであった。

岸田政権の外交的リアリズム

的確にパワーの分布を見抜き、自らの有利なバランスを確立する政治姿勢は、その外交にも見ることができる。それは、ナポレオン戦争後のオーストリア外相メッテルニヒや、19世紀のドイツ帝国宰相ビスマルクにも見られるリアリズムである。

たとえば、今年の2月に始まる北京冬季五輪に閣僚を送らないという「外交ボイコット」を決断したアメリカやイギリスなどの民主主義諸国への同調圧力が強まるなかで、岸田首相は12月24日に「外交ボイコット」という表現は使わないながらも、事実上閣僚や政府高官などの政府関係者を派遣しない決断を行った。

同時に日本オリンピック委員会会長の山下泰裕氏や、東京大会組織委員会会長の橋本聖子参議院議員を派遣する構想を示すことで、米中対立の狭間で難しい判断が迫れるなかで、昨年の東京夏季五輪への協力姿勢を示してくれた中国への一定の配慮を示した。

「2022年」は、1972年の日中国交正常化の50周年となる。日中国交正常化50年という節目の年のスタートに、日中関係が最悪になる事態を回避することができたと同時に、自らが掲げる人権外交を実践しアメリカと価値を共有する姿勢を示した。中国の軍事的脅威が高まる中で、アメリカとの外務・防衛2+2の会合を行い、これから日米両国でそれぞれ新しい国家安全保障戦略を策定するうえで、人権や民主主義という基本的価値を両国間で共有するという目標を維持することは、重要なことである。

軍備増強のみに偏重することや、外交的に敵対関係を増やすことは、必ずしもリアリズムとはいえない。日本の国益に資するようなバランス感覚や、合理的な判断によって自らの有利な国際的な位置を確保することが、外交的リアリズムである。日米同盟を強化すると同時に、日中関係を安定的に管理することが安倍政権における外交的リアリズムだとすれば、岸田政権でそのような基本路線を継承していることは適切な政策判断だ。

参院選の勝利が長期政権への絶対条件

しかしながら、2022年はよりいっそう困難な課題が続くであろう。バイデン政権のアメリカでは今年は中間選挙が控えており、よりいっそう内向きな外交を示すかもしれない。また、日中関係改善に動こうとする公明党との良好な関係を維持しながら、北京五輪後の中国が台湾問題をめぐりよりいっそう強硬姿勢を示すことで緊張が高まるかもしれない。

内政面でも、国民民主党との提携で維新の会への支持が拡大するなかで、岸田政権は今年行われる参議院議員選挙で勝利することが長期政権への絶対条件となる。岸田政権が長期政権へと進んで行く道は平坦ではない。だからこそ岸田政権は、保守主義的なイデオロギーと外交的リアリズムを結合させた安倍長期政権の統治術から多くを学ばねばなるまい。

(細谷雄一/アジア・パシフィック・イニシアティブ研究主幹、慶應義塾大学法学部教授、ケンブリッジ大学ダウニング・カレッジ訪問研究員)

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