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ひろゆき「怒られることはリスクでない」と語る訳

怒られてもまったく動じない「論破王」ひろゆきさんの考え方とは?(写真提供:朝日新聞出版)
舌鋒鋭い発言で知られ、時に“論破王”ともいわれるひろゆき氏。議論に強くなり、人間関係やコミュニケーションでストレスをためないためのコツを著書『論破力』から一部を抜粋・再構成して紹介します。

地雷はいっそ踏めばいい?

何か人に理不尽に怒られたりトラブったりしたのがきっかけで、「人が怖くなった」とか言っている人がいますが、きっと「万人に好かれなきゃいけない」と思っているからなのでしょうね。

おいらはそもそも他人に興味がないので、みんなに好かれたいとも思わない。嫌われたら嫌われたで、「あ、そうっすねー」です。

なので、そういう意味では人を怖いとか思ったことはありません。もちろん、理不尽なことで怒られることはけっこうあります。

たとえば、メールアドレスのTOの欄の順番で「自分が後ろになっているのは失礼だ」とすごく怒った人がいました。ビジネスマナー本とかには書いてあるのかもしれませんが、実際にはわりと珍しい「地雷」なので、「へぇー、本当にあるんだ」と思って、逆に感心してしまいました。

どこに埋まっているかわからない地雷なら、いっそいっぱい踏めばいいのではないでしょうか。

同じ過ちを繰り返すのは論外として、同じ過ちさえ繰り返さなければ、めちゃくちゃ珍しい地雷以外はそんなに踏まなくなると思うのですよ。そうなると、めちゃくちゃ珍しい地雷を踏んだときには、むしろ「笑い話」にできるじゃないですか。

その話を聞いたみんながみんな「怒られて当然、あなたが悪いよ」と言うようなことは普通していないはずなので、そういう珍しい地雷は、面白ネタになると思います。

その意味では、笑ってくれる仲間がいるかどうかのほうが重要なのかもしれませんね。

おいらは何か失敗したときに、けっこう「あっ、これは友だちに話すネタになるな」という切り替え方をします。そうすると失敗を引きずらなくて済む。

裏返して言えば、ネタにできる場や相手がいない人は、そういう切り替えができないのできついと思います。

要は、いっぱい地雷を踏んでも、「飲み会のときのネタ話になるからいいかな」と思っていられるように、「気楽に話せる仲間をつくっておきましょう」というのが、いちばんの地雷対策ということではないでしょうか。

そうしたら、地雷を踏んだときに「やったー」と思えるはずです。「このくらいで怒るのは相手がおかしいよね」というのは、職場の同僚もわかってくれるはずで、普通は自分のマイナスにはならないでしょう。

ちなみに、おいらはめちゃめちゃ石橋をたたいて渡る派です。「地雷が爆発しても安全」と思えるくらい石橋をたたいているので、怒られることはおいらにとってリスクにならないというわけです。

「相手の人に嫌われたらどうしよう?」と悩むのではなくて、「この人に嫌われて、一生この人と会わなくても特に困らんな」というところまでシミュレーションします。

つまり、先に最悪の状況の想定ができているので、地雷を踏んでも「あー、そうですよね」で、はい、終了……と。

怒られるのはおいしい

人に怒られることじたいをマイナスと感じる人もいるでしょうが、特に傷ついた人がいなくて実質的に損害がない場合、怒っている人を見られるというのは、おいらにとってはエンタメなのですよ。

会議で怒っている人とかはめちゃめちゃ好きで、「わー、怒ってる、怒ってる」と、かなり面白がっています。

怒っている人に、どういうボールを投げたら怒りが上がったり下がったりするのかというのを試すのもけっこう好きです。怒りのガソリンをわざとくべて、「おっ、すげー、そこで机たたくか!」とかを、心の中でニヤニヤしながら見ています。

殴られても「ちょっとおいしい」ぐらいに思っていますからね。実際に殴られたらけっこうお金がもらえるじゃないですか、なので「お得」みたいな……。

おいらは、昔キックボクシングをやっていたので、どの程度殴られたらどれくらいのケガになるかということがわかっています。人生で一度も殴られたことがない人は、「殴られるとすごい痛そう、だから怖い」みたいに思うのでしょうが、実際には、それほど大したことがないのですよ。殴られ慣れていない人と同じように、怒られ慣れていない「いい子」というのは、やっぱり怒られることを実際以上に恐れてしまうという面があるでしょうね。

おいら、たぶん小学校のときに怒られないで帰った日というのはなかったと思います。その頃から遅刻も多くて、毎日必ず何かしらで怒られていました。そうなると、怒られるのはおいらにとって日常茶飯事で、怒られないと逆に不安を感じるようになります。

怒られるキャラで困ったことはない

小学校3年生のとき、列になっていて、「西村、ちょっと前に来い」と言われて、「何も悪いことしてないのに呼ばれてる、これは変だ」とすごく不安になって、前に行けなかったことがありました。それは単に列を二つに分けるためだったのですが……というぐらい、おいらにとっては先生に名前を呼ばれて怒られるというのが当たり前のことでした。

けれども、そういうキャラで特に困ったことは別になくて、友だちもずっとおいらが怒られている姿を見ているので、怒られたから仲間外れになるというようなこともありません。要は、怒られることは大したことないということが、慣れているおいらには、ずいぶん昔からわかっているわけです。

考えてみたら、昔の学校では怒られるのと殴られるのがセットでした。社会人になったら怒られても殴られないじゃないですか。1時間立たされるというのもありました。会社で怒られても立たされるとかないじゃないですか。せいぜい口頭で怒鳴られるくらいで、その意味では「すげー、ぬるい」と思うのですがね。

ビジネスシーンでは、怒られると「自分の価値が下がる」とか「自分が低く見られる」といったことを気にする人もいるようです。基本的には、仕事の評価というのは「結果が出るかどうか」なので、プロセスとか態度とかはあまり関係がないのではないでしょうか。結果が失敗したときも、失敗しても責任がこないような布石さえちゃんと打っておけば大丈夫のはずです。

たとえば、判断をするときに自分の独断ではなくて「この人が判断した」とか「みんなでこれは進めようって言ったよね」とか、いわば責任の所在をきちんとしておけば、過度に責められることはないはずなのですよ。

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