緊急宣言とまん延防止 9月30日で解除へ

感染制御しても批判「横浜クルーズ船」の理不尽

ダイヤモンド・プリンセス号の船内で検体採取をする自衛官(写真提供:防衛省統合幕僚監部)
クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス(DP)号」で新型コロナウイルスの集団感染が発生してから1年あまり。対処に当たった中心メンバーが厚生労働省DMAT(災害派遣医療チーム)事務局の近藤久禎次長(50)と神奈川県の阿南英明・医療危機対策統括官(55)だ。
『世界を敵に回しても、命のために闘う ダイヤモンド・プリンセス号の真実』を上梓した毎日新聞の瀧野隆浩氏が聞き手となって行われた対談の第2回は、当時、国内外のメディアから厳しい批判を浴びた船内の感染対策について、現場関係者しか知りえない事実と、その後の日本の感染症対策の基礎となった貴重な教訓について語る。
第1回:「横浜クルーズ船感染」現場医師が今明かす真相

船内は「アンダーコントロール」状態だった

――それにしても、当時の新聞を読み返すと、「誤算」「対応後手」「失敗例」などと、DP船内の感染対策は厳しく批判されていましたね。

阿南:いろいろ批判はされていたけど、(2020年)2月5日の乗客への自室待機(隔離)要請以後、大きな感染の拡大はなかったはずですけどね。

近藤:そもそもDMATが船内活動を開始して5日目になる2月11日に、日本環境感染学会のチームが乗船して感染対策をチェックして「問題なし」という判断をしてもらっています。注意すべき点を指摘してもらってA4版1枚の書類にまとめてありますが、おおむね大丈夫だと。

それから、活動の進み具合でいえば、(汚水処理のためDP号が埠頭から離岸した)11日までに、救急措置が必要な人は船から降ろし、薬が必要な人への処方も一応終わりました。そうして15日ぐらいまでには、具合の悪い人をどうやって早期に見つけ出し、陽性患者をどういう手順で搬送するかなどのルーティンはほぼ固まっていたんです。

何より、連日30~40人ほどいた新規の発熱患者が、15日以降はほぼ1桁になりましたから。これが大きい。安倍(晋三・元首相)さんの五輪招致演説で有名になった言葉を借りるなら、「アンダーコントロール(制御されている)」状態だったんです。

――その感染症の専門家チームは、帰ってしまったんですよね。

近藤:はい。3日間船内にいて、14日に活動休止して、撤退しました。

――なぜですか。影響はなかったんですか。

近藤久禎(こんどう・ひさよし)/1970年生まれ。日本医科大学大学院医学研究科卒業、放射線医学総合研究所研究員、厚生労働省技官、日本医科大学付属病院高度救命救急センターを経て、2010年から厚労省DMAT事務局次長に就任(筆者撮影)

近藤:理由はわかりません。でも、まあ、新規発熱者が1桁となったことでもわかるように、平常な状態に戻りつつあったから、そんなに腹は立ちませんでしたけどね。身の危険を感じて撤退、というのならまだわかるんですが、だったらなんで、いちばん危なかった12日とか13日にいて、落ち着いてきた14日になって帰るのかなって思いましたよ(笑)。こういうときに、体を張らないんだねって。

阿南:本当に真相はわからない。想像するに、指揮する人が最前線にいてはダメだとか、そういう判断だったのか。でも、指揮官が仮に後ろに下がったら、いったい誰が前に出るの? 誰もいなくなったら、意味ないじゃん、っていう話ですよ。

神戸大学の岩田健太郎教授が広げた波紋

――そうした感染症の専門家に対する不信感が募っていたところに神戸大学の岩田健太郎教授が船に乗り込んできた。岩田教授は船内を2時間ほど見て回り、「悲惨な状態。心底怖いと思った」などと船内の感染対策の甘さを指摘する動画をネット上で公開(のちに削除)し、さらに海外メディアの前で会見を開きました。

近藤:厚労省の関係者から「彼をDMATとして乗せてもいいか」と電話があったから、断ったんです。彼はDMATの研修も受けてないし、第一、この現場はうちの精鋭を投入している、非常に困難な現場だから。国が感染症の専門家を乗せたいというなら止めはしないけど、さっきも言ったように、落ち着き始めた時期でした。現場としては、新たに感染症の専門家を欲しいとは思っていませんでした。

阿南:ただ、彼がネットで煽情的に批判したせいで、DMATの派遣要請が病院から拒否されるケースが相次いだのは事実です。派遣元の病院長が「行くな」と言うんです。船内の乗客を多数下船させる大事な時期なのに、その要員がいなくなった。

藤田医科大に100人以上の患者を搬送するときなど、活動が終わって愛知や大阪に帰る隊員を呼びとめ、「一緒に行ってくれ」って頼み込みました。一方で、病院長の意向に従わずに活動を続けてくれた仲間もいて、あれはうれしかったですね。

近藤:専門家として目についたことはあったにせよ、現場の支援に行ったあと、「あそこはこんなにひどかった」とか「これはオレが立て直してやったんだ」とか、DMATであれば外に向かっては言いません。DP号のスタッフを支えるのが目的なのだから。

阿南:ここは大事なんですけど、われわれは現場に行って「何をすべきか」と考えてはいけない。現場では「何を求められているか」と考える。

DMATの「A」は「Assistance」ですから、現場に何が足りなくて、医療者は何に困っているのか。それを徹底的に聞きだす。ここが原則なんです。「オレがいちばん知っているから、オレの言うことを聞け」というのは絶対してはならない。2005年の創設以降、初期はいろいろ失敗もあって、近藤次長がDMATの教育を変えてきたんです。

近藤:今ではまずスキルではなく、理念を教え込んでいますから。

コロナ医療体制の考え方のベースができた

――DP号から得た教訓というものは何ですか。

阿南:4つにまとめてみました。➀高齢者やハイリスクの方への特別な配慮、➁軽症・無症状者は入院させず、ホテル・自宅療養に、➂入院先マッチングなど情報収集基盤の確立、➃重症者を診るICUの負担軽減のため人員・物資のリソースの最適化、です。これをまとめたものが「神奈川モデル」といわれている医療体制です。

阿南英明(あなん・ひであき)/1965年生まれ。新潟大学医学部医学科卒業。横浜市立大学救命救急センター、藤沢市民病院救急部などを経て、2012年に藤沢市民病院救命救急センター長・救急科部長となり、2019年4月から同院副院長。2020年4月に神奈川県健康医療局技監(医療危機対策統括官)に就任。2021年3月から厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリー・ボードの構成員(筆者撮影)

とくに重要なのは➁で、私たちは災害医療にある「中等症」という考え方をコロナ対策に取り入れました。

軽くはないけど、今すぐ命にかかわる状態でもない中等症の患者を重点医療機関で集め、経過をみながら振り分けて、重症者は人工呼吸器やECMO(人工心肺装置)のある高度医療機関へ、軽症・無症状者はホテルや自宅でモニタリングするという仕組みです。

この考え方が、今の日本のコロナ医療体制のベースになっています。

近藤:私も考えたことは4つで、基本的には阿南先生と同じ。私の言い方だと(A)現場と後方搬送の調整機構が必須、(B)受け入れ病床確保の必要性、(C)軽症患者を受け入れる宿泊施設の必要性、(D)PCR要員確保の必要性、ということになります。

やはり、とにかく軽症者のいる場所を確保しないと、病院に入れたら医療体制は崩壊してしまう。軽症者は「医療」はなくてもいいのだから。

阿南:感染症法って、隔離は入院のことだからね。

近藤:自衛隊中央病院みたいなところに、まずたくさん受け入れてもらったのはよかった。あれでホテル療養という考え方につながりましたから。

――DP号での集団感染が、もし最初に起きていなかったら、どうなっていたのでしょう。

近藤:永寿総合病院(東京都台東区、2020年3月に院内感染が起き、入院患者43人が亡くなった)のようなケースがいきなりあちこちで起きて……。

阿南:内科医、呼吸器内科医がまずみて、そして感染症の専門家が出ていって、というパターンかなあ。

――危機の対処ができるチームができるだけ早期に入らないと、ヤバいのでしょうね。

近藤:「武漢からの邦人帰国」、それに続く「DP号」のオペレーションがなかったら、DMATの出番はなかったでしょうね。

DMATのコアテーマは「医療(病院)支援」

阿南:今はクラスター(感染者集団)が出たらすぐDMAT派遣ということになっている。厚労省の通知も出ました。DP号でやったことが実績になったのだと思います。いきなり大勢のコロナ患者が出たとき、患者をどう搬送するのか、そういう搬送調整をやらせろ、と。ただ、その搬送調整というのは、われわれDMATの一部分でしかない。

――どういうことですか。

近藤:DMATのコアとなるテーマは「医療(病院)支援」なんです。その一環として搬送調整があった。でも、ただ患者を運ぶだけではありません。大災害とか、今回のような集団感染があった現場で、もともとあった医療体制にどうやって立て直すのか。全体をみてそこを支援していく。

例えば、5万床の病床があった地域で大地震が起きて、5000人が負傷したとします。がれきの下から負傷者を救い出し、医療機関に搬送したら、それで終わりでしょうか。

そうではありません。5万床あったということは、すでに5万人近くの患者さんが入院していたということです。入院していた5万人もの命を脅かされているのです。つまり、5000人の新規の患者だけのオペレーションではないのです。全体を見渡したうえで、地域の医療支援をしていかなければならないのです。

阿南:今はコロナにみなさんの目が向いていますが、コロナは1つの病気にすぎません。患者の数だって、コロナ患者は全体のほんの一部です。

DP号のときは、緊急の災害対応をしてきましたが、DP号収束以降は通常の医療ができる仕組みに戻していく必要がありました。だから、私たちは「神奈川モデル」を日々更新しながら、災害からの「復興」を目指しているのです。

(4月21日配信予定の最終回に続く)

ジャンルで探す