私たちが忘れた「愚行権」行使する人々の生き様

「日本3大ドヤ街」の一つ「寿町」で生きる人たちの生き様とは?(写真:筆者提供)
東京の山谷、大阪の西成と並び称される「日本3大ドヤ街」の一つ「寿町」。
伊勢佐木町の隣町であり、寿町の向こう隣には、横浜中華街や横浜スタジアム、横浜元町がある。横浜の一等地だ。
その寿町を6年にわたって取材し、全貌を明らかにしたノンフィクション、『寿町のひとびと』がこのほど上梓された。著者は『東京タクシードライバー』(新潮ドキュメント賞候補作)を描いた山田清機氏。寿町の住人、寿町で働く人、寿町の支援者らの人生を見つめた14話のうち、「第三話 愚行権」から一部を抜粋・再構成して紹介する。

丸顔で髪を短く刈っているせいか、NPO法人ことぶき介護の管理者、梅田達也(46)にインタビューをしていると、僧侶と話しているような気分になってくる。

料理はやりたいけれど料理人にはなりたくないという奇妙な理由でヘルパーとなり、1998年から寿町と関わってきた梅田は、寿町における男性ヘルパーの草分け的存在である。梅田が言う。

「1997年に生活館(横浜市寿生活館)の女性ケースワーカーがストーカーに殺される事件があって、当時は4人の女性ヘルパーだけでやっていたのですが、男性がいた方がいいだろうということで私が生活館に派遣されることになったのです」

ヘルパーになった1996年当時、梅田は横浜市ホームヘルプ協会の登録メンバーだったが、7000人近い登録メンバーの中に男性はわずか40人ほどしかおらず、さらに20代の生きのいい男性ヘルパーとなると、わずか3、4人という状況だった。

そうした稀少性が災いして、梅田はやっかいな利用者ばかりを担当させられるハメになった。現在はNPO法人の管理者としてケアマネージャーとヘルパーを派遣する立場にあるが、いまでも女性ヘルパーにセクハラをする利用者やアルコール依存症の利用者には、梅田が直接対応することが多い。もちろん、その手の利用者から歓迎されることはない。

「普通に感謝してくれる人のところには、ほとんど行ったことがないですね」

梅田が感じてきた「違和感」

静かな口調で梅田はこう語るのだが、梅田の人間観は一風変わっている。

「いまでもよく覚えているアルコール依存症の利用者の方がいるのですが、訪問すると『酒を買ってきてくれ』と言うのです。

ヘルパーの仕事は掃除、洗濯、買い物が基本ですけれど、アルコール依存症の方にお酒を買ってくることは、医療的観点からも社会福祉的観点からもいけないわけです。

でも、『なんで自分の年金で酒を飲んじゃいけないんだよ』って言われると、それもそうだなと思います。飲んで具合が悪くなるのも、死んでしまうのも、本人の権利かもしれない。基本的な人権の中には本来、愚行権というものがあるべきはずだと、私はいまでも思うんです」

寿町の住人たちについては、「私はやっかいだとは思っていないんです。言葉がストレートで、魅力的な人が多いですよ」と言う。

果たして愚行権なるものは存在を許されるのか、否か……。

私が出会ったとびきりやっかいで、とびきりストレートな寿町の住人のことを記してみたいと思う。

渡り職人、サカエさん(70)の場合

いつもぱりっとしたワイシャツを着た××××館の帳場さん、Fさんが紹介してくれたサカエさん(70)は、穏やかな顔つきをした好々爺然とした人物である。Fさんによれば、サカエさんは挨拶もきちんとしてくれるし、人柄のせいか、部屋を訪ねてくる友人の数も多いという。

友人の多さは、サカエさんの持っているCDのジャケットにも表れていた。ほとんどのCDは友人が持ってきてくれたものだというのだが、美空ひばり、井上陽水、ドリカム、ザ・ピーナッツ、アンジェラ・アキ、山下達郎、チベット音楽、中村美律子、昭和演歌集、福山雅治、谷村新司、エスニックサウンド、宇宙の音などなど、不気味なほど脈絡がない。

これをみんな聴くのかと尋ねてみると、

「聴くよ。みんな友だちが持ってきてくれるんだよ。昨日はオードリー・ヘップバーンのDVDを見た。切手が出てくる映画だったな」

という返事である。ひょっとすると友人の正体は、”売人”なのかもしれない。

四畳ほどの広さの部屋にベッドが入っており、サカエさんはベッドの端に腰をかけている。ベッドの前には小さなテーブルがあり、身分証や各種の証明書、病院の診察券などが何枚もきれいに並べてあった。

「オレ、昭和21年に栃木県の塩谷郡で生まれて、父親が畳屋でお袋は裁縫を教えていて、田んぼも一町あって、家屋敷と畑で300坪ぐらいあったな。学校に行かないで鳥とか魚とったり、喧嘩っ早くって、下駄で周りの奴を蹴ったりしてさ、3年生の夏休みに女の担任の先生が手をつけられないっていうんで、男の先生に代わったんだよ。

男体山が見えて風景はきれいだったけど、周りの奴が気にくわなくて、中学行っても学校でタバコ吸ったり、親のポケットから金を盗んで怒られたり、兄貴に殴られたり、八幡様で酒飲んで全員警察に捕まったり、親父のオートバイを朝から一日中乗り回したりしてたんだよ」

サカエさんはにこやかにしゃべるので牧歌的な話に聞こえてしまうのだが、内容をよくよく吟味してみるとそうでもない。高校に進学したかったが、中学校が内申書を書いてくれずに進学を断念。自力では就職もできなかったため、友人の紹介で東京の江戸川区今井にあったゴム工場の寮になんとかもぐり込むことができたという。

「家を出る時、親が2万円と布団をくれたんだよ」

せっかく勤めたゴム工場だったが、先輩と喧嘩をしてわずか3カ月でやめてしまった。

「頭に来て包丁持ったら、向こうが鉄パイプ持ったからさ、逃げたんだよ」

4畳半共同便所の寮を飛び出して故郷に戻り、しばらく父親の手伝いをして畳屋の仕事を覚えた。再び友だちの伝手で、巣鴨のクリーニング屋の手伝いに入ったが、薬品のせいか喘息になってしまい、また田舎に舞い戻った。今度は宇都宮の畳屋に入った。そこも長くは続かなかった。

「兄弟子がいい人で、兄弟子がいたときはよかったけど、兄弟子が酒飲んで、親方の家の塀を乗り越えようとして壊しちゃった。おんで、兄弟子が親方と喧嘩してやめちゃって、オレが毎日ゴミ捨て、庭の掃除をしてさ、高校行ってたトオルって息子がいたんだけど、卒業したらトオルにリヤカー引かせるって言ってたのに、引かせなかったんだよ」

それが癪に障って、だが、今回は身元保証人がついていたので喧嘩はせずに穏便にやめて、再度東京へ出た。今度は十条の畳屋である。19歳になっていた。

十条の畳屋は家庭的な雰囲気で給料もよく、埼玉県の越谷近辺に新しい住宅が次々と建っている時期だったから、仕事はいくらでもあった。またたく間に70万円の貯金が出来て、従業員が金を出し合って鹿島灘に投機目的の土地を買ったりもした。

ところが……。

「宇都宮の先輩に、競輪を教わっちゃったんだよ。調布の京王閣で初めてやったら、500円が15000円になったから、仕事するのが馬鹿馬鹿しくなっちゃった」

宇都宮の先輩は、サカエさんに競輪を仕込むだけ仕込んでおいてどこかへ消えてしまい、入れ替わるようにして渡り職人のアオキという人物が十条の店に現れた。アオキは関東一円の畳屋を渡り歩きながら、稼ぎをすべて競輪に注ぎ込んでしまうような男だった。

当時のサカエさんの給料は、月に7万5000円ほど。仕事は朝の8時から夜の7時半までびっしりやったが、アオキに誘われて稼いだ金をすべて競輪に注ぎ込むようになり、とうとう鹿島灘の土地の権利まで売却して、その代金もすべて競輪ですってしまった。そしてまた、田舎に戻った。

「親父も兄貴も、そんなことだと思ったよーって、笑ってたな」

「自由がないもん」

その後のサカエさんの足取りは、ほとんど同じことの繰り返し。まさに、愚行権の行使そのものである。

またまた上京して西川口の畳屋に入ると、そこは十条の店同様、家族的で給料もよく、岩手出身の女将さんが優しくしてくれた。ところが、サカエさんが松戸競輪で大当たりした(1万円が50万円に化けた)のをアオキが嗅ぎつけて、自分がいる池袋の畳屋にサカエさんを引っ張ろうとした。

「西川口の店はよかったんだけど、親方が店を新しくして、店と寮を一緒にしたから、親方と一緒に住むようになって、嫌になっちゃった」

「何が嫌だったんですか」

「自由がないもん」

アオキに金は貸さなかったが、池袋の店から後楽園競輪に通うようになった。後楽園では12車(通常9台のところ12台が出走する)をやっており、これがサカエさんの性に合って、ますます深みにはまっていった。

「でも、美濃部が都知事になって、なくなっちゃった」

後楽園競輪がなくなっても、池袋の西口にはパチンコやソープランド(当時はトルコ風呂と言った)がたくさんあった。複数人で仕事に出ると、そのうちのひとりをどこかの競輪場に派遣して投票券を買わせていたが、ある日、どうしても自分で行きたいレースがあって、親方に仕事を休みたいと言ったらクビになった。27歳のときである。

再び栃木へ戻り、再び上京。今度は江東区大島の畳屋に入ったが、店の入り口にしょっちゅう競輪、競馬のノミ屋(私設の胴元)が顔を出すようになった。

「競馬も覚えちゃって、ノミ屋にカラバリで20万ぐらい賭けたんだよ。外れたらすぐに金を取りにきたからさ、逃げたんだよ。大島の畳屋の親方もよくしてくれたんだよ」

次に行ったのは、大崎の帳元である。帳元とは、サカエさんの解説によれば、店の固有名ではなく職人を派遣する機能を持った組織らしい。いまで言う人材派遣会社のようなものだろうか。サカエさんは大崎の帳元の寮で、賭けマージャンと花札を覚えた。

「オイチョカブは強かったよ。ジャストっていう食堂でツケで飲んで、その店で弁当作ってもらって、張元から電車賃を貰って厚木の畳屋とかさ、いろんなところに派遣されたんだよ」

気がつけば、アオキと同じ、立派な渡り職人になっていた。

「かかあ」と会って、人生が急展開

大崎にたどり着くまでのサカエさんの人生は、ほぼ同じパターンの繰り返しだった。畳屋に勤め、稼いだ金をギャンブルに注ぎ込み、トラブルになって逃げる。また勤める、また賭ける、また逃げる。この繰り返し。

ところが大崎で、サカエさんの人生は急展開することになった。

「かかあと会ったんだよ」

仕事を終えてスナックで飲んでいた先輩が、キャバレー勤めの女が飲みに来ていると、サカエさんを寮に呼びに来た。スナックに行ってみると女は2歳の男の子を連れていて、隣のマンションで暮らしているという。

女の名前はミチコと言った。東京の堅い勤め人の娘だったが、父親が長く肝硬変を患っていて若いうちから働かなくてはならなかったらしい。それほど美人ではなかったけれど、栃木の親に50万円出してもらって神奈川県の座間市にアパートを借り、3人で暮らすことにした。

30直前のことだった。

座間市周辺には鳶尾団地やまつかげ台の建売住宅(いずれも厚木市)などがあり、畳の仕事が多かった。サカエさんは大崎の帳元に籍を置いたままで、座間のアパートから仕事先に通うようになった。

アパートは木造で、間取りは四畳半と六畳のふた間。サカエさんたちは一階に入居した。3人で暮らし始めた積もりが、ある日、ミチコがどこかに預けていた2人の子供を連れてきた。

「6歳と3歳の女の子だよ。おんで、オレは3人の子持ちになったんだよ」

しかもミチコには、”正規の夫”が存在したのだ。夫は座間のアパートを探り当てると、ちょうどサカエさんが夕飯を食べているとき、アパートに乗り込んで来た。

「手首と足首まで入れ墨をした奴が、手下を連れてきたんだよ。あれは、関西彫りっていうんだよ。オレは半ズボン穿いてたから、夏だったのかな」

”正規の夫”との対決

正規の夫が言った。

「おまえ、俺の家族をこんなところに連れてきて、どうする気だ」

サカエさんは正直に答えた。

「知らなかったんだよ」

「知らなかったじゃ済まねぇぞ」

ここまでは型通りの応酬だが、その先がちょっと違った。サカエさんはちょうどビールを飲んでいたので、ビール瓶を逆さに持って、

「帰れー」 

とふたりの男を一喝したのだ。サカエさんの剣幕に度肝を抜かれた男たちは、尻尾を巻いて逃げていった。

 そして……。

「ミチコも3人の子供も、一緒に行っちゃったの」

翌日、仕事を終えてアパートに帰ってみると、出て行ったはずのミチコと3人の子供が部屋で待っていた。

「ミチコは彫り物した旦那と切れたんだ。だけど、思えばオレの転落の人生は、あそこから始まったんだよ。それまでの稼ぎじゃやっていけないもん」

サカエさんが30歳のとき、サカエさんとミチコの長女が生まれた。そこからほぼ2年置きに、男、女、女とミチコは次々に4人の子供を生んだ。前夫との子供を合わせると7人。サカエさんとミチコを合算すると、9人の大家族である。

そして、さらなる展開が・・・

4畳半と6畳のふた間しかないアパートに、しばらく9人で暮らしていたとサカエさんは言う。私にはそれがどのような暮らしだったのか想像がつかないが、当然のごとく家計は逼迫した。サカエさんは、ミチコをキャバレーで働かせることにした。

「そうしたら、浮気をしたんだよ」

これもよくある話と言えばよくある話だが、やはり、そこから先がちょっと違う。相手は、青森から出稼ぎで出てきていたキャバレーの客だという。サカエさんはミチコを同伴して、海老名にある男の部屋に乗り込んだ。懐に畳包丁を忍ばせていた。

「包丁は使わなかったけど、頭に来たから、男の家のアイスピックで刺したんだよ」

「死んじゃいましたか」

「いや、太もも刺したから。畳包丁だったら、もっと切れたと思うよ」

男が警察に通報し、サカエさんは警察署に勾留されたが、起訴はされずに10日間で釈放された。

ミチコは最初、浮気相手の住所を言わなかった。

「でも、足の指の爪を一枚ずつペンチで剥がしていったら、白状したんだよ」

その後、サカエさんは寿町で息をひきとるまで、そんな人生を歩んだのか。

後編は、次回につづく。

(この記事の後編は11月24日に公開します)

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