プリンスホテルが「引き算のホテル」に託す使命

プリンスホテルが開業した「プリンス スマート イン 恵比寿」。平均客室単価が3万円弱の「ザ プリンス」など、既存ブランドとは一線を画したコンセプトで、同1万円程度を想定している(記者撮影)

「20代、30代のデジタル世代をターゲットに、プリンスホテルの入り口となるブランドにしていく。向こう10年で100カ所を展開する」――。西武ホールディングスの後藤高志社長は、新ブランドの誕生を力強く宣言した。

10月8日、東京・恵比寿にオープンした「プリンス スマート イン 恵比寿」(客室数82)は、西武ホールディングス傘下で業界最大手のプリンスホテルにとって、初の宿泊特化型ホテルだ。

国内外80のホテルを擁するプリンスホテルは、宿泊だけでなくイベント開催や宴会など、さまざまな機能を持つフルサービス型のホテルを展開している。既存ブランドの宿泊料金は比較的高めで、顧客は50代以上が中心だが、先々の需要をつかむためには20~30代の顧客獲得が欠かせない。

そこで、スマートインではこの顧客層をターゲットに据え、プリンスホテルとの「接点」となるブランドの育成に乗り出した。

若年層開拓へ「とにかくチャレンジしろ」

1泊1室1万円台の料金、スマホを使ったチェックインシステム、デジタルサイネージによる周辺案内、ロビーを走る警備・清掃ロボット、カジュアルな服装のスタッフ。スマートインはこれまで展開してきたフルサービスのホテルとは、何もかもが異なっている。

テーマは、既存のプリンスブランドと一線を画すコンセプトがある、ローコストなホテル。デジタル世代による、デジタル世代のためのホテルは、常識を捨て去る試みの連続だった。

宿泊特化型の新ブランドを立ち上げる、そう決めたのは2016年のことだ。西武HD後藤社長の指示は、実にシンプルなものだった。「失敗してもいい。とにかくチャレンジしろ」。

宿泊特化型のノウハウを持たないプリンスホテルにとっては、ゼロからの立ち上げだ。20代、30代の若手社員約15人を中心としながら、ブランドやシステム開発など、さまざまな部門の人員が関わった。宿泊特化型のホテルからヘッドハンティングした人材も開発に加わっている。

まずは先行するライバルの徹底した研究だ。ターゲットをどう設定し、既存ブランドとどう切り分けているのか。立地はどうか、最大何人まで泊まれるのか、どんなサービスを提供しているのか。宿泊特化型は激戦市場。他社の動向を踏まえつつ、独自性を打ち出す必要があった。

若手社員の声が顧客ニーズに直結

未経験の分野であっても、若手社員は臆することなく走り回った。指示せずともさまざまなホテルを研究して回り、スタッフとも気軽に話して情報を得てきたのだ。スマートインでアプリ予約(電話予約なし)、スマホキーなど、スマホをフル活用するサービスを採用できたのは、若手社員の声が大きい。

「サービスとして、これでは足りないのではないか?と思うところがあっても、ターゲット層そのものである若手社員が『いらない』と言えば、経営もその意見を顧客ニーズとして捉える必要がある」(PSI事業部長の前田朋子氏)

全プランが朝食付き。ホットサンドとフルーツサンドが売りだ(記者撮影)

たとえば朝食。スマートインは全プランが朝食付きでテイクアウトも可能だが、メニューはホットサンド、フルーツサンドに加えてコーヒーなどの飲み物。和食は提供していない。フルサービスのホテルなら「あの朝食が食べたい」と、それを目当てに客がやってくる。だが、若い世代は近場のカフェのテイクアウトで済ませることもある。複数のメニューを用意せずとも、おいしいコーヒーとパンがあれば十分なのだ。

スタッフの制服にも、若手の意見が取り入れられている。ラフなTシャツとジャケット、チノパン、スニーカーというスタイル。社内でプレゼンし、社長以下、役員の前でファッションショーのように実際に歩いてみせたという。恵比寿店の場合、運営スタッフは11人とローコスト化を徹底しており、それぞれがチェックイン業務や、場合によっては客室清掃もこなす。親しみやすいイメージだけでなく、動きやすさも重視したスタイルだった。

苦労したのはサービスの割り切りだろう。若手社員も既存のプリンスホテルでの勤務経験があり、それぞれホスピタリティを備えている。簡略化にはやはり抵抗もあったようだ。

スマートイン恵比寿・支配人の薄井茜氏はこう振り返る。「サービスをどう割り切るかという悩みはあった。でも、実際にスマホなどのデジタルを活用したツールを使ってみると、とても便利で私たちも楽しいと思った」。宿泊客の目線でサービスを見つめ直し、葛藤を乗り切った。

開業を目前にコロナ禍が到来。宿泊客の2割が海外客という事前のシミュレーションは崩れたものの、スタッフや客同士の接触を避けるコンセプトは、偶然にもコロナ後、ニューノーマルの時代に合致していた。開業が当初の7月から10月に遅れた以外は、オペレーションへの影響はなかったという。

シンプルな内装の客室。スマートスピーカーに加え、スマートミラーが置かれた部屋もある(記者撮影)

開業後は「ビジネス需要が停滞しているものの、直近では連泊で利用するお客様も増えてきた」(前田氏)という。今後は会員組織と連携した送客や、インスタグラムでの情報発信を強化し、デジタル世代にアピールする方針だ。

あの星野リゾートや東急も参戦する激戦区

西武HD後藤社長が掲げる「10年で100店」はビジョンではなく、確固たる目標だ。すでに2021年1月に熱海、同年夏に京都、2022年に沖縄で出店を予定している。首都圏に加え、地方都市や新幹線の停車駅、地方空港の周辺都市など、利便性の高い土地に出店していく。また、熱海では顔認証によるチェックインシステムを取り入れるなど、スマートインとしては特定の形を作らず、常にサービスを刷新していく構えだ。

しかし、激戦市場で勝ち抜くのは容易ではない。藤田観光はミレニアル世代向けに、AI コンシェルジュなどを取り入れた「HOTEL TAVINOS(ホテルタビノス)」を2019年に開業。東急ホテルズも同世代向け「横浜東急REIホテル」を6月に開業した。星野リゾートも「BEB」の多店舗展開を始め、29歳以下なら1泊4000~5000円で泊まれる(3人利用時)「エコひいきプラン」などで新規開拓を進めている。

前田氏は「若者が使うツールは一つではなく、一定の期間で変わっていく」と語る。ライバルとの競争に勝ち、若者の心をつかむためには、スマートインも一所にはとどまれない。新ブランドの成否は「走りながらどれだけ変わっていけるか」にかかっている。

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