偽情報にまんまと操られる人が大量発生する訳

フェイクニュースという一言で片づけられなくなっている(写真:ViewApart/iStock)

11月3日のアメリカ大統領選挙が迫るなか、中国とロシアも巻き込んで、ソーシャルメディアを舞台にした情報戦が激しさを増している。2016年の大統領選挙では、フェイクニュース拡散を放置してロシアの介入を招いたとして、フェイスブックが糾弾された。同じ過ちが繰り返されるのはないかとの不安は高まる一方だ。

大統領選挙はどれだけのリスクにさらされているのか。それを最も熟知している人物がカナダ人活動家のクリストファー・ワイリー氏(31)だ。フェイスブックの個人データを大規模に入手し、前回の大統領選挙でロシアの介入を裏で支えた英系軍事下請け会社ケンブリッジ・アナリティカ(CA)の中心人物だからだ。

実際、2018年3月にワイリー氏が行った内部告発は世界的センセーションを巻き起こした。同氏が自らの体験を赤裸々に語った告発本(邦訳『マインドハッキング』)を読むと、現状はお寒い限りだ。

「心理戦版大量破壊兵器」が初めて使われた

2016年、ポピュリズム旋風が吹き荒れるなかで、大きな話題を集めていたのがブレグジット国民投票と米大統領選挙だった。イギリスは欧州連合(EU)から離脱するのか、不動産王ドナルド・トランプ氏は大統領選挙で勝利するのか――。

多くの識者は「まさか」と思っていた。私もそう思っていた。だが、ふたを開けてみればブレグジット国民投票は可決され、トランプ氏は次期大統領に選ばれた。にわかには信じられなかった。

この本を読んで真相を知り、「まさか」と思っていた自分の無知を思い知らされた。ロシアとオルタナ右翼勢力がソーシャルメディアを駆使して大規模な情報戦を展開し、何百万人もの有権者を「洗脳」したのだ。ここで中心的役割を果たしたのがCAだった。

「洗脳」の手段が単なるフェイクニュースだと思ったら大間違いだ。確かにトランプ政権誕生に絡んでフェイクニュースは大きな話題になった。だが、フェイスブックから8700万人分ものユーザーデータが流出していた事実を忘れてはならない。結果として、フェイクニュースよりもはるかに強力な「心理戦版大量破壊兵器」が完成し、史上初めて使用されたのである。

心理戦版大量破壊兵器の主要ツールがマイクロターゲティングだ。アルゴリズムに従って有権者をカテゴリー化し、特別にカスタマイズしたメッセージを届けるのだ。結果としてアメリカでは「MAGA!(アメリカを再び偉大に!)」や「壁を建設しろ!」といった叫び声がこだまし、社会の分断と対立が深まった。

ネブラスカ州の市民の個人情報が丸見え

ワイリー氏はこの本の中で「リベラル派の同性愛者で24歳のカナダ人が、どのようにしてCAに加わり、オルタナ右翼向けに心理戦用兵器を開発する羽目になったのか」について詳述している。当事者が自らの体験を振り返っているだけに、真に迫る内容であり読み応えがある。

CAがフェイスブックデータを使い、ロンドン本社内の役員室で実験する様子は生々しい。例えば、発表者がリクエストに応えて、同じ名前のネブラスカ州の市民の一覧をスクリーン上に映し出す。顔写真、勤務先、子どもの学校、自家用車、投票行動、好きなミュージシャン――。どの名前をクリックしてもあらゆる個人情報が即座に出てくる。

もっと驚きなのは、CA幹部がスクリーン上に表示されているネブラスカ市民に直接電話をかけ、個人情報が正しいかどうか確認する場面だ。もちろん、キッチンで電話を取って話をしているネブラスカ市民は、ロンドンとつながって監視されているとはつゆほども思っていない。

CAは英米だけで活動していたわけではない。アフリカ諸国など発展途上国では監視の目が緩いのをいいことにやりたい放題であり、想像を絶するプロジェクトも手掛けていた。

例えばナイジェリアの大統領選挙への介入だ。CAは現職大統領の再選を支援する一環として、対立候補の支持基盤破壊に走った。最もおぞましかったのは、対立候補の支持者をターゲットにしたCA制作ビデオ広告だ。対立候補が勝った場合に訪れる未来の姿として、本物の拷問と虐殺シーンを使ったビデオを作り、恐怖心を煽ったのだ。

秘密裏に個人データが大規模に収集され、その実態を内部告発者が暴いたという点では、CA事件は2013年のスノーデン事件と同じだ。しかし、世界を揺るがせたブレグジットとトランプ政権誕生に決定的影響を与えたのだとすれば、衝撃度ではスノーデン事件を上回っているといえよう。

しかも、CAによって高度化した情報戦はブレグジットとトランプ政権誕生で終わったわけではない。むしろ、ますます先鋭化している。

今年に入って舞台は米中に移り、両国間の情報戦が激化の一途をたどっているのだ。象徴的なのが中国発アプリとして初めて世界を席巻した「TikTok(ティックトック)」だ。若者の間でブームになっている動画共有アプリだというのに、フェイスブックと同じソーシャルメディアであることから脅威論が広がり、アメリカでやり玉に挙げられている。

7月末には米共和党の有力上院議員グループが書簡をまとめ、トランプ政権に対して強い対応を求めた。ティックトックは中国共産党の影響を排除できず、数カ月後の大統領選挙に介入する可能性がある、と警戒していたのだ。ティックトックが心理戦版大量破壊兵器になるのを懸念していたともいえる。

個人データはどう入手するのか。CAはフェイスブックのユーザー情報管理がいい加減なのにつけ込んで、不正な手段を使って膨大な個人データを入手した。中国の場合には国家情報法がある。中国共産党は同法を根拠にティックトックに命じれば、合法的にユーザー情報を入手できる(ティックトックは情報提供を否定している)。

だからこそトランプ政権は9月15日を期限にティックトックの閉鎖か売却を求めたのだ。結局、ティックトックはアメリカのマイクロソフトによる買収を拒否し、同じくアメリカのオラクルとの提携を選んだ。これからアメリカ当局による審査を受けることになる。

TikTokユーザーの一部でも投票態度を変えれば

ティックトックはダンス動画など若者向け動画共有アプリだから、選挙介入とは関連付けにくいのは確かだ。しかし、アメリカ人ならば18歳以上であれば選挙権を持っている。立派な有権者であり、マイクロターゲティングの対象になる。

ティックトックの月間ユーザー数はアメリカでも急増しており、8月についに1億人の大台を突破。このうちの一部でも外部からの影響で投票態度を変えれば、選挙結果に決定的影響を及ぼす。2016年の大統領選挙では、トランプ氏は激戦3州(ミシガン、ペンシルベニア、ウィスコンシン)をわずか合計8万票差で制しているのだ。

実際に、選挙介入の予兆を感じさせるニュースも飛び出した。今年の夏のことだ。トランプ氏が久しぶりの選挙集会をオクラホマ州で開いたところ、当初予想とは様変わりで空席が目立った。韓国のKポップファンに加えて、ティックトックユーザーが運動した結果との見方が出た(ソーシャルメディアの力を借りて4年前の大統領選挙にトランプ氏が勝利したことを考えると、皮肉なものだ)。

ロシア勢も大統領選挙に向けてソーシャルメディア上で活発に動いている。それを裏付けたのがフェイスブックだ。選挙があと2カ月余りとなった9月初頭、ロシア系トロールファーム(情報工作組織)「インターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)」関連の偽アカウントやページを見つけ出し、削除した。

IRAには前科がある。2016年の大統領選挙でロシア当局の意向を受け、フェイスブック上で大量の政治広告を出したのだ。アメリカの情報機関はかねて「ロシア勢が再びアメリカ国内で陰謀論を拡散させ、社会の分断を狙っている」と警鐘を鳴らしている。

そんなこともあり、フェイスブックは9月に入って、選挙期間中のフェイクニュース対策として政治広告規制を打ち出した。投票日までの1週間については新規政治広告を全面禁止するというのが柱になっている。

フェイスブックの広告規制にトランプ陣営が猛反発

これにはトランプ陣営が猛反発し、「何百万人もの有権者が投票行動を決めようとしているときにシリコンバレーのマフィアは大統領から発言機会を奪おうとしている」との声明を発表した。アメリカでは外国勢力に加えて、トランプ陣営や国内極右勢力も偽情報活動に入れ込んでおり、政治広告規制は目障りなようだ。

個人的な話になって恐縮だが、私は2017年夏に発足した非営利団体「ファクトチェック・イニシアティブ(FIJ)」の発起人の一人になり、一時期ファクトチェック活動に深く関わっていた。その意味で『マインドハッキング』の翻訳作業はことのほか興味深かった。

言うまでもなく、ファクトチェックはフェイクニュースと表裏一体の関係にある。フェイクニュースを見抜くためにファクトチェックが存在するのだ。

繰り返しになるが、ソーシャルメディアが事実上の社会インフラになった現在、フェイクニュースよりも格段に複雑で巧妙な情報戦が展開されるようになっている。この本を読めばわかるのだが、「ファクトチェック対フェイクニュース」という構図はすでに古い。

攻撃側は最先端の心理学や社会学、人類学で武装して利用者のアイデンティティーを操作し、社会に分断を引き起こした。実際、CAは超一流の心理学者を動員して心理戦版大量破壊兵器を開発したのだ。第2次大戦中にアメリカが超一流の物理学者を動員して原子爆弾の開発に取り組んだように。この本はワイリー氏の懺悔(ざんげ)の記録でもある。

日本は無防備、のんきでいられない

その意味では日本は心もとない。一部の大学では今も心理学科が文学部に置かれている状況が象徴しているように、社会科学分野で出遅れており無防備だ。高度な情報戦を仕掛けられたらひとたまりもない。ファクトチェックを進化させたり、新たなルールを設けたりして、社会インフラとしてのソーシャルメディアの安全性を高めなければならない。

ワイリー氏は本の中で「CA事件が二度と起きないようにするためには、CAを生み出した環境そのものを正さなければならない」と指摘。つまり、現状を放置したままではCA事件は繰り返されると警告しているのだ。具体策としては「インターネット版建築基準法」の制定や「ソフトウェアエンジニアの倫理規範」の導入などを唱えている。

日本は情報戦とは縁がないなどとのんきに構えていてはいけない。例えば、中国はいわゆる「戦狼(ウルフウォリアー)外交」と称して、世界各地で攻撃的なプロパガンダを展開中だ。自国内で禁止されているフェイスブックやツイッターも含めて、ソーシャルメディアを積極活用している。「第二のCA」と組んだらどうなるだろうか……。

現状ではソーシャルメディアは悪用されやすい。ソーシャルメディアを利用していると、悪意ある第三者によって知らぬ間に自分のアイデンティティーが操られていてもおかしくないということだ。誰もが「マインドハッキング」のリスクにさらされているのだ。

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