東京で夢追うシナリオライター女子の転々生活

ゲーム関連の文章を主に執筆するフリーライターのナナイさん。彼女が生活拠点を転々とする理由とは(撮影:川本 史織)
女子部屋を撮り続ける川本史織の写真と、元地下アイドルで自らもライター業で生計を立てている姫乃たまが記す、「夢追い女子」のお宅訪問インタビュー第3回。

ナナイさんと会ったのは新宿の喫茶店でした。

つい最近まで栃木県宇都宮市にある家で、趣味のコレクションに囲まれながら、猫のアンチョビと年下の恋人と暮らしていました。

職業はフリーライターで、ゲーム関連の文章を主に執筆していますが、月の半分ほどはこうして都内へやって来ては打ち合わせをしたり、浪費癖を賄うためにキャバクラ嬢として働いたりしているのです。

「私、ずっと付き合ってる男の人と住んでるんです」

そう話すナナイさんが初めて同棲したのは18歳のとき。両親のいる実家から逃れたい一心で、東京に暮らす男性の家に転がり込みました。

それから今日までだいたい2~3年おきに恋人が変わって、そのたびに家から家へと移り住んでいます。

これまでは都内の物件を転々としていて、「今回の宇都宮は特例」だとほほ笑んで言いました。

恋人とともに住む家も替わる

立ち入った質問かと思いつつ、恋人との別れに合わせて引っ越していると、引っ越しシーズンにかぶってしまうのではないかと尋ねたら、「わりと穏やかに別れるので大丈夫です」と返事がありました。

毎回、別れ際は円満で、落ち着いて引っ越せるタイミングまでは平穏に同棲を続けているようです。

「いつもこれが最後だと思うのにね」

何気なくナナイさんの呟いた言葉に、勝手に少し感傷的になります。

なにもいい加減に転々としているわけじゃないのです。でも今ではすっかり引っ越しの達人になってしまいました。

部屋には好きなゲームやアニメのグッズが、本人も「把握できない」ほどたくさんあって、とても単身引っ越しパックの量には収まりません。

好きなゲームやアニメのグッズコレクションの数々(撮影:川本 史織)

引っ越すたびに整理して……ということはなく、長く持っているほど愛着が深まるので、コレクションは増える一方です。

まだ実家に住んでいた頃、窮屈で陰鬱としていたナナイさんの暮らしを支えていたのが、ゲームやアニメと文章を書くことでした。

「高校生のときはうつって治らないと思ってました。まだつらいときもあるけど、今はなんとか」

大人になったナナイさんは、ゲームにまつわる文章を書いて、自分で稼いだお金でコレクションを買って暮らしています。

引っ越しのとき、フィギュアはナナイさんがひとつひとつ丁寧に梱包します。段ボールにわかりやすく分類するのももうお手の物です。

大人になって好きなゲームにまつわる文章を書き、自分で稼いだお金でコレクションを買って暮らすナナイさん。彼女の子ども時代はというと(撮影:川本 史織)

ナナイさんは神奈川県生まれ。ひとり娘で、両親と3人暮らしでした。

「うちの家族、様子がおかしいんです」

両親ともにひどくヒステリックな性格で、とくに母親には幼い頃から殴られて育ちました。

ヒステリックさは父親のほうがマシでしたが、浪費家で浮気性だったので、ストレス発散が家の外に向いていただけのことです。

父親の好き勝手な行動に耐えて、鬱憤がたまった母親のはけ口はいつもひとり娘のナナイさんでした。

うつの症状はあったがそれが病気なのかわからなかった

初めて心療内科にかかったのは高校生のとき。

思えば幼少期からうつの症状はありましたが、慢性的だったのでそれが病気なのかわからなかったのです。

やたらと薬を処方してくる病院で、うつの症状と薬の副作用で学校に行けず、共働きの両親にも気づかれないまま、朝から夜まで1日中眠っている日もありました。

当然高校にはまともに通えていませんでしたが、クラスにゲームやアニメ好きな友人たちがいたので、学校生活自体はつらくありませんでした。

うつの症状が重いとゲームをするのもつらく、ぼんやりアニメを観るくらいしかできませんでしたが、元気な日は友人たちと放課後にゲームをするのが楽しかったとナナイさんは当時を振り返ります。

面倒見のいい先生もいて、無断欠席していると電話をかけてくれたり、絶対に出席しないといけない授業を教えてくれたり、なんとか卒業させようとしてくれたおかげで高校は無事に卒業できました。

その頃、ナナイさんはインターネットで年上の男性と知り合います。

ずっと心のどこかに、この生活から救い出してほしいような、家や学校の外の世界と交流を持ちたい願望がありました。

ずっと、この生活から救い出してほしいような、外の世界と交流を持ちたい願望があった(撮影:川本 史織)

パソコンを介して両親の話をしているうちに、普通じゃないと言われて驚き、彼を頼って実家から出る決意をしたのです。

気分の上下によって、突然怒られて殴られたり、全裸で家から締め出されたりするのが、普通の家ではありえないと、ナナイさんはずっと知りませんでした。

転がり込んだ家は東京の新小岩。知り合った男性ではなく、彼の友人の男性の家に住むという奇妙な上京でしたが、それでも構いませんでした。

貯金も何もなく、このままでは同棲相手に家賃も払えないので、出会い系サイトのサクラのアルバイトを始めました。

毎日12時間くらい働いて、朝帰り。時給は高かったけれど、ストレスも多くて、帰りにゲームセンターでUFOキャッチャーのぬいぐるみをたくさん取るのがストレス発散の日課になりました。

ある日、同棲相手の男性がナナイさんの父親に会いに行くことになりました。

心理学部の学生だった彼は、ナナイさんが父親の話をするたびに、いかにその行動に問題があるかを説き、次第に父親と1対1で話をさせてほしいと言うようになっていたのです。

父親は話し合いで、ナナイさんについて「あの子は虚言癖がある」と話したそうです。

「もしかして、『私は本当に虚言癖があるのでは?』と疑って、脳みそがグチャグチャになった時期もありましたよ」

それほど、親の言うことは絶対だと思って生きてきました。

でもそれを聞いたとき、心の中で驚くほどはっきり両親と決別したのです。自分で自分の人生を歩んでいくしかありません。

入院も同棲も実家にいるよりハッピー

専門学校に通って、きちんと文章の勉強がしてみたい。思い浮かんだのはそのことでした。

小さい頃から文章を書くのが好きで、オリジナルの童話を書いたり、学芸会のときにはクラスを代表して脚本を書いたりしていました。

ナナイさんがこれまで腐らずに生きてこられたのは、人生に文章があったからかもしれません。

腐らずに生きてこられたのは、人生に文章があったから(撮影:川本 史織)

小学校の読書感想文がコンクールに選ばれて受賞したのは、とくに印象的な出来事です。

その読書感想文は母親に散々意見されて書き直したものだったので、いま思うと複雑な気持ちもしますが、当時は文章を認められた誇らしい事実だけが素直に胸に残りました。

ところが、専門学校に通い始めて2年目で、交通事故に遭って退学を余儀なくされます。

友人が運転するバイクの後部座席で車と衝突して、ナナイさんの右脚は粉砕骨折。右脚のひざから下の骨が完全に粉々になっていて、医師から切断の可能性も告げられるほど重傷でした。

奇跡的に切断せずに治せることになりましたが、20歳からの3年間は思うように歩けず、週5でリハビリする日々が続きました。

それでも入院中のほうが実家にいるより安心で、ハッピーだったとナナイさんは話します。

専門学校は卒業できませんでしたが、シナリオライターの知人から教わって、仕事でケータイゲームのシナリオを書くようになりました。

シナリオを書くときは、オリジナルの童話を書いていたときのような創作欲が働いて、ゲームが好きな気持ちも生かされます。

ゲームのシナリオを描くときは、創作欲が働き、ゲームが好きな気持ちも生かすことができる(撮影:川本 史織)

その後、出版社と業務委託契約をして、ゲームメディアの編集部で働くようになると、紹介記事を書くために新しいゲームに触れて、ますますゲームが好きになって夢中になっていきました。

仕事にやりがいはある一方で、編集部の初任給は交通費や保険なども込みで月13万円。働いているのに交通事故の慰謝料で得た貯金を切り崩す生活でしたが、最初は修行だと思って耐えていました。

もちろんずっと我慢していたら暮らしていけません。編集部で任される仕事のほかにも、自分で営業して仕事をどんどん取ってきて、売り上げが立ったら昇給の交渉をすると決めていました。

「得意なわけじゃないけど、フリーランスは交渉しないと収入が上がらないから言わないと損だと思ってます」

3年後に編集部を辞めるときには、交渉に交渉を重ねて月給は35万円まで上がっていたそうです。

東京で自立して生きる

編集部を離れたのは、過労が理由です。仕事が取れるようになった一方で、プレッシャーも重なっていたのだと思います。退職後はしばらく働けなくなるほど疲弊しきっていました。

休職した後も、離れず依頼してくれるクライアントがナナイさんの支え(撮影:川本 史織)

「自分を安売りしないようにと思うけど、仕事の単価を高くするとプレッシャーも増えるし、結局安売りしちゃったり……」

自由な分、バランスをとるのも難しいフリーライター業ですが、過労で休職した後も離れずに、今でも仕事を依頼してくれるクライアントがいるのが、金銭的にも、精神的にも結局ナナイさんの支えになっています。

今は毎月固定で決まっている原稿を執筆しながら、単発の原稿依頼も受けていますが、生計を立てるためにはキャバクラの仕事がまだ辞められなさそうです。

お客さんは優しいけれど、毎晩のメイクやドレスやハイヒールが、ナナイさんの体力気力を少しずつ削っています。

「次から次へと取引先が業務縮小でなくなっていくんです。営業下手な私では、このままでは食っていけなくなるな……と、なんか疫病神がついているのかもしれないです。業界の景気は悪くなる一方ですよ」

宇都宮の家にもなかなか帰れず、恋人との関係は徐々に冷え込んでいきました。「いよいよ、また引っ越さないといけないんですよね」とつぶやきました。

「東京で夢を追うのって難しいですよね。でも、東京でないと追えない夢が多すぎる気がします」 

「東京でないと追えない夢が多すぎる気がする」(撮影:川本 史織)

それでもナナイさんが今いちばんやりたいのは、ゲームやアニメのシナリオライターです。

「実は、急に東京で転職が決まったんです」

転職先は、ゲームなどのサブカルコンテンツを扱う商品開発の部門だといいます。

「正直不安しかない」

「今まで、流しの傭兵のようにフリーランスを続けてきたので、ひとつの場所にとどまるということができるのか、正直不安しかないです」

引っ越しはまだ金銭的にもできる状況になく、猫のアンチョビと身ひとつで元彼の家に転がり込みました。

猫のアンチョビと趣味のコレクションのひとつ(撮影:川本 史織)

「引っ越すごとに部屋を作り直すのが大変なので、もう今度こそ最後にならないかな」

「ただ、いつかはシナリオライターとして印税生活がしたいですねえ……」

ご両親はナナイさんが23歳のときに離婚しました。

右脚の手術をする直前に、仕事でベトナム出張に行ったはずの父親が、実は愛人とハワイで旅行していたのが発覚して、母親がついに愛想をつかしたそうです。 

父親は現在行方不明。親戚筋いわくどこかで生きてはいるようです。母親との連絡は絶っています。

「私は母親が苦手なので……。まあわかりますよ。父親があれだからヒステリックになっちゃうのはわかるけど、でも全然連絡はとってない。一緒にいると禿げる。母親と会ってるだけでストレスで10円ハゲができるんですよ。電話番号も住所も知らないし、教えてない。不義理かなとも思うけど、自分の身の安全を考えてそうしてます」

文章に支えられて、文章を書きながらもう一度東京で暮らそうとしているナナイさんの人生。これからは自分のために生きてほしいと心から思いました。

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