「ええ声」の持ち主、二代目桂南天が拓く新境地

高座での二代目桂南天(写真 :佐々木芳郎 提供:米朝事務所)

落語家に必要な資質とは何だろうか? 容貌は? はっとするような男前でも困ることはないが、そうでないほうが笑いを引き出しやすそうである。体格? 当代には力士出身の落語家もいるが、体の大きさもそれほど問題ではない。

ただ1つ「声」だけは重要だ。

「声がいい」と言っても、秋川雅史氏の「私のお墓の前で」のような朗々たる声がいいわけではない。市井のなんでもない譚(はなし)の語り部として必要なのは「生き生きとした生活感のある声」ということになろうか。

生活感のある「ええ声」の持ち主

「じゃ、桂南天に話を聞かなきゃ。ありゃいい声だよ」。東京の知人からそう言われた。彼がそう言うとは意外だったが、筆者も同感だったので桂南天にインタビューすることにした。

桂南天の声は、かんかんとやや硬質で、張りがある。そして「絶対に大阪弁しか話さないだろう」という独特の雰囲気がある。師走の大阪ミナミ、黒門市場あたりへ行けば「奥さん、カズノコ安いで!」と言っていそうな声。威勢がよくて、ちょっと短気で、一本気で、情にもろそうで、普通に会話するだけで落語になりそうな声なのだ。

高座での桂南天(写真:佐々木芳郎、提供:米朝事務所)

二代目桂南天は、1967年12月27日、大阪府北西部の枚方市の出身、高校時代に「なんとなく」落語が好きになる。

「“落語いうのはなんや面白いもんやなあ”と、ようできてるいうか、高校生ながらに、なんか“笑いのもと”みたいなものが、ぎょうさんあるな、ということにうっすら気いつき始めたんですね」

そこで二代目桂枝雀門下の三代目桂南光に弟子入りしようとした。当時、南光は桂べかこと名乗っていた。

「その時分のことは、あまりよう覚えてへんのですが、高校を出て大学を落ちて、いちど電気屋へ勤めて、2回目の大学入試の前くらいに、“弟子にしてください”って言いに行った。でもあかんかったんです」

そこで南天は大阪芸術大に進む。クラブは落語研究会に。4回生(4年生)のときには、落語家になることを勝手に決めていた。大阪、梅田の落語会のあとに、べかこの出待ちをして再び弟子入りを頼んだ。

インタビューで弟子入り当時を振り返る桂南天(筆者撮影)

「梅田の“揚子江”いうラーメン屋でラーメンをごちそうになりながら、話を聞いてもらった。“大阪芸大の尾崎というものです。弟子にしていただきたいと思って来ました”言うて。そしたら、なんかええ具合に思いを聞いてくれはって。

そのときは、枝雀師匠の奥さん(かつら枝代、寄席の下座=三味線奏者)も一緒やった。

僕は、奥さんに“三味線お持ちしましょうか?”言うたんです。奥さんは“見ず知らずの人に三味線預けられません”て言わはりましたが、それにめげずタクシーに乗って帰らはるようやったので、僕パーッと走って行ってタクシー止めて。学生で、こんな気がつくやつ、おりまへんやろ」

破門の一歩手前も経験する

南天の話はそのまま「噺」である。木戸銭を払いたくなる。この機転で、べかこの師匠の枝雀夫人の覚えもめでたくなり、それやこれやで入門を許された。

南天の師匠の三代目桂南光、当時の桂べかこは、二代目桂枝雀の惣領弟子だ。枝雀一門はみんな「雀」の一字をもらっているが、べかこは、枝雀がまだ桂小米を名乗っている時分に入門したこともあって、ひとり「雀」を名乗っていない。

独身時代の師匠と2人で共同生活を送り、弟子というより「高弟」に近いかもしれない。やはり上方の落語家らしい「ええ声」の持ち主。関西では早くからテレビ・ラジオで活躍したが、同時に米朝一門の俊英として頭角を現した。一言で言えば、何事にも達者で、しっかりした人なのだ。

「うちの師匠は、ほんまは弟子は取りたくない人なんですよ。構われるのが嫌いで、なんじゃかんじゃ世話されるのも嫌いなんですよ。それに弟子とったら教育せないかん。

それまでもお弟子さんはいはったんですが、みんな辞めた。僕も破門になってます。そのときに“辞めます”って言わんと、なんとか謝りたおして残してもらって、ここまできてるようなもんです。

怒られる『波』というか、“あ、辞めた人はここで辞めてしもたんやな”いうのがあるんですよ。師匠は理不尽なことを言う人ではなくて、僕が白いものを黒と明らかな間違いをしたときに、大怒りをしはる。そのときに“これはもう辞めなしゃあないわ”となるわけです。

でも、そこで辞めへんかった。師匠の落語が好きですし。辞めなかったら僕は絶対にほかの人よりおもろい落語するようになる、ていう自信があったから。理不尽な理由で叱られたら辞めたかもしれませんが、そうじゃなかった。“これは痛いなー、つらいなー”というところを突かれたから、こらもう仕方がないなと」

ついた初名は「桂こごろう」。桂小五郎は維新の三傑の1人、長州藩の木戸孝允の前名である。師匠べかこの「こ」を取ったとも言えなくもないが、推理小説好きの師匠が明智小五郎からつけたのだという。もちろん初代だ。

師弟関係についてもインタビューで語った桂南天(筆者撮影)

当時、高座に上がるとマクラ(噺の導入部)で「幕末には、私と同じ桂小五郎いう偉い人がいはったそうですが、まあ、先代同様、私のほうもよろしくごひいきのほど、お願いします」とぬけぬけとやっていた。筆者は落語会でこのマクラを初めて聞いた帰り、電車の中で思い出して笑いが止まらなくなった覚えがある。

1993年に師匠の桂べかこは三代目桂南光を襲名。しかし南天は以後も長く桂こごろうを名乗っていたが、2012年に二代目桂南天となった。初代はひょうひょうとした芸風で、筆者もかろうじてテレビで見た記憶があるが、当代との系統的な関係はない。

桂米朝の大山脈に連なる意味

桂南天は、三代目桂米朝の弟子の二代目桂枝雀の弟子の三代目桂南光の弟子。米朝からすれば「ひ孫弟子」にあたる。米朝一門の大山脈の裾野にいるというのは、どのようなものなのか?

「系図的にはすごく幸せなところに入れていただいたような気がするんです。それぞれの師匠の教えをそれぞれの濃度でいただける。米朝師匠の弟子ならば、米朝の教えが最も濃いほぼ100%です。そこに枝雀、南光の教えはいかない。

でも僕のところには、当然南光の教えがまず最初にびゅーっとくる。うちの師匠は“ここは枝雀はどう考えてるだろうか”と思いながら落語をしている。

その枝雀師匠は“米朝はこう思うだろうから僕はこうやろう”という思いがあって、さらに上の米朝師匠は“わしはこう思う、お前らこうしたほうがいいと思う”っていう教えがある。

僕はそれぞれの師匠の落語への思いを適度な濃度でいただけていると思います」

多くの師匠がいて、混乱はなかったのか。

「あるとき、枝雀師匠が“マクラを振りなさんな”って言わはったんですね。で、そうやってると米朝師匠が“今日はちょっとマクラ振ったらどや”と言わはる。こういうジレンマは、僕らくらいのキャリアの人は体験してると思いますが、こういうときは、せこいんですけど、米朝師匠の前ではマクラを振って、枝雀師匠の前では振らない、ということになる。一緒に出てはったらそれこそ大変ですが(笑)。

気ばかり遣って大変や、と思うかもしれませんが、そういう気遣いの中で自分の落語を向上させてるっていう意識がすごくあるんですよ。米朝師匠が枝を切って、枝雀師匠がまた枝を切って、うちの師匠がさらに枝を切って、残った部分をやる。窮屈な思いをしてるようですけども、その中で格闘して成長する感じがするんですよね」

南天落語でおすすめは、まず「動物園」である。若手も演じる軽い噺だが、南天の「動物園」では、毎日ブラブラしている気楽な男が、人の誘いにうかうかと(うっかりと)乗せられて、ぬいぐるみを着て動物園のおりに入るまでが、ごく自然な成り行きで展開する。「この男なら、それくらいのことはやるやろう」と思わせる。かなり遊びを入れるが、南天の「ええ声」が生きる噺だ。

高座での桂南天(写真 :佐々木芳郎 提供:米朝事務所)

「『動物園』もそうですが、みんながやっておもろい噺でも、僕がやったらもっとおもろいんや、とお客さんに気いついてもらいたいところはあるんですよ」

「算段の平兵衛」は、桂米朝が復刻した。算段の平兵衛という悪知恵の働く男が、好色な庄屋の殺人にからめて何重もの「偽装殺人」を起こすという噺。

この噺の冒頭で演者は「あまり面白くない」というのが約束事になっているが、手練れの落語家がやると平兵衛の悪運がころころと転がるたびに何度も盛り上がりができる傑作だ。

ただ、噺の下げ(落ち)が演者によって異なるなど、終盤のストーリー展開にやや難がある。とくに、庄屋の死体が、崖から突き落とされて「完全犯罪」が成立する重要なシーン。多くの演者はこのあたりに深入りせず、さらっと触れるにとどまるが、やや尻すぼみの印象を与える。

「崖から庄屋さんが落ちてきたときに、平兵衛にだまされたおばあさんと隣村の若い衆が鉢合わせするシーンは、米朝師匠もやってはらへんのです。お互いが自分が罪人やと思て対面する。

互いにしらばっくれて“うちの人がまさか。この人お酒に酔うて崖から落ちはりましたんや” “おばあさん、さよかあ”言うてる。真ん中で平兵衛が“両方とも臭い芝居しとるなあ”言うてね。すごく大事で面白いと僕は思うんです。そういう発見をした。今はそれでやっています」

桂南天は「算段の平兵衛」という、異色のピカレスク(悪党譚)落語の完成者になるかもしれない。

師匠と落語論を交わすことも

米朝一門の落語家には理論派が多い。噺の解釈をめぐって議論することもしばしばある。南天も論客の1人で、時には師匠の南光と議論を交わせることもある。

「つぼ算」という話がある。ずるがしこい男が頼りない男に頼まれて、瀬戸物屋の番頭をだまして大きな水壺を破格の安値で買うというストーリーだ。

「まんまと成功して、2人して水壺を担って帰るときに、2人で“やりましたな、徳さん” “やったやろ、大したもんや”言い合って帰ります。大概のみなさんの演じ方はそうです。でも、僕は、番頭だけやのうて、頼りない男のほうもだましのからくりを理解してないと思うんです。このアホのほうも、番頭と一緒にだまされてるはずなんですよ。そうじゃないと僕の中で気持ち悪いんです。

うちの師匠は“あいつはアホと違うんや、ただお調子者なだけなんや”と言わはったんですけど、僕の中ではそういう解釈ができてしもてるんで、それでやってます。手応えめちゃめちゃあります。“やっぱり僕流の演出でやりたいな”って思いますね」

昔からあるスタンダードな噺でも、南天は登場人物になり切って考えるのだ。こういうこだわりが、南天落語を「よそよりちょっとええもん」にしている。師匠の南光は、そういう南天を許すだけの度量があるのだ。

この春から弟子がきた。「桂米朝五代の孫」、鎌倉時代の武士みたいなことになる。

「これまでも何人か来てたんですけどね、うちの師匠じゃないですけど、僕は弟子をとるつもりはなかったんです。これまで来た子の中には落語会とかそんな見たことなくて、ぱっと思い付きで来てるやろ、という子もいて。

ある程度のシンパシーを感じないと。よっぽど僕の弟子になりたいていう空気感じないとね。僕かて南光の落語がめちゃめちゃ好きやったし。

今来てる子は太融寺(大阪、梅田)で隔月でやってる勉強会でちょいちょい見かけて、“なんか来てるな”と思てたら、ある日突然“弟子にしてください”って言うてきた。“ああ、来たか”と。そういう意味では今までの子とちょっと違ったんで話を聞きました。こないだ初高座で“子ほめ”を演じて、今は2本目の“兵庫船”を教えています。一門の系図に入れていただいて、ありがたいことです」

何でも前向きに受け止める桂南天のよさ

師匠と同様、弟子の教育は厳しいのか?と聞くと「僕は全然厳しくないと思うんですよ。声を荒らげることもありませんし、言葉数も少ないです。でも教えるのは面白いですね。彼も落研で少しは落語をやってはいたんですが、それは一度ちゃらにして、まっさらなうえに、僕がこうこうこう言うわけで、と教えていく。面白いですね。弟子を持つのは確かに大変ですが、そういう苦労も楽しもうかな、と思っています」

何事につけ前向きに受け止める。難儀なこと、苦労することも正面から受け止めて、そのことを楽しもうとする。そのポジティブさが南天の魅力なのだろう。だから南天落語は、陰気な噺、込み入った噺でも、明るく、屈託のないものになる。

あの威勢のよい声は、腹に一物を持たない南天の明朗快活さから出るのだ、と改めて確認した次第である。

(文中敬称略)

■二代目桂南天 プロフィール
1967年12月27日、大阪府枚方市出身。大阪芸術大学映像学科卒業。1991年、三代目桂南光(当時桂べかこ)に入門。桂こごろうを名乗る。2012年4月 二代目桂南天を襲名。
○レギュラー
ABCラジオ 「ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です」 木曜日 9:00~12:00
MBSテレビ 「ちちんぷいぷい」内「昔の人は偉かった」ナレーション 木曜日 13:55〜15:49
〇出囃子「復興節」「正月娘」
たまたまNHKの大河ドラマ「いだてん」で「復興節」が流れたが関係はない。「正月娘」は、「南天を襲名したときに枝雀師匠の奥さんが、“南天はよく正月飾りに使われるから、正月娘はどうや”て言うていただいて」(本人談)
〇持ちネタ 
「代脈」「動物園」「へっつい盗人」「青菜」「いらち俥」「たいこ医者」「つぼ算」「たちぎれ線香」「代書」「皿屋敷」「鷺とり」「算段の平兵衛」「茶の湯」「崇徳院」「替り目」「牛ほめ」「つる」「子ほめ」など。「持ちネタは100とちょいくらい。稽古せんでもかけられるのは30から40くらいです」
〇公演予定 
ホール落語 
2019.12.1(日)桂南天独演会
京都府立文化芸術会館(京都)開演:14:00~(開場:13:30~)
2019.12.14(土)桂南天落語の入り口
西淀川区民会館(大阪)開演:14:00~(開場:13:30~)
※その他、公演情報は米朝事務所のホームページをご確認ください。
※公演情報に関するお問い合せは米朝事務所(TEL:06-6365-8281)へご連絡ください。

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