タイガーマスク"伊達直人"が本名で語る意義

タイガーマスク運動の仕掛け人が今、正体を明かして語ることとは…(写真:肥沼和之撮影)

タイガーマスク運動を覚えているだろうか。2010年12月25日、群馬県前橋市の児童養護施設に、「伊達直人」名義でランドセルが贈られた。それをきっかけに、全国の施設で相次いだ寄付行為のことだ。

伊達直人といえば、故・梶原一騎氏が原作のプロレス漫画『タイガーマスク』の主人公。悪役レスラーとして活躍する彼は、自身が育った児童養護施設の経営難を知る。そして秘密組織・虎の穴を裏切り、納めるべきファイトマネーを、匿名で施設に寄付し続けたのだった。その伊達直人が実際に現れ、原作と同様、善意ある行動をとったことが話題となり、タイガーマスク運動はたちまち社会現象となった。

社会を動かし、マスコミを動かし、行政を動かした

ランドセルを寄付した人物の正体は、群馬県前橋市に在住の会社員・河村正剛さん。これまで正体を明かしてこなかったが、2016年12月7日、プロレスラー・初代タイガーマスクこと佐山聡氏のデビュー35周年大会でリングに上がり、自らが伊達直人であることを公表した。

2017年12月には、ふるさと納税の優れた使い道を表彰する「ふるさとチョイスアワード」で、河村さんの提唱によって前橋市が始めた「タイガーマスク運動支援プロジェクト」が大賞を受賞。これは、児童養護施設を出た若者の進学・就職を支援するため、新生活の費用として15万円を支給するほか、市内の自動車教習所と連携し、運転免許取得にかかる費用の無償化を行うもの。その財源として、ふるさと納税の活用というこれまでにない試みを行ったのだ。2017年12月末時点で、寄付件数は308件・合計2119万円が集まっている(数字はふるさと納税総合サイト「ふるさとチョイス」より)。

このように、河村さんがたった1人で始めたタイガーマスク運動は、社会を動かし、マスコミを動かし、行政を動かした。いったい、なぜ彼には実現できたのだろうか。運動の背景にある思いや信念、行動哲学、そしてどのメディアにも明かしたことがないという恩師との出会いを聞いた。

タイガーマスク運動で注目を集めた河村さんだが、実は1998年3月、24歳の頃から、養護施設の支援を行ってきた。具体的には毎月1万円の寄付、ランドセルやクリスマスプレゼントの贈呈など。それを約20年間、休みなく続けてきた。決して高給取りでもない、“ごく普通”の会社員である河村さん。費やしたおカネや時間は相当なものだが、「まったく大変だとは思わない」と話す。

「僕は未婚で子どももいません。けれど一般的な親って、自分よりも子どもを優先するはずなんです。疲れていても子どものためになら頑張れる、子どものためならいくらおカネを使っても惜しくない、って。僕の感覚もそれに近いんだろうと思いますね」

なぜ子どもの支援をしているのか

その原動力は、河村さんの幼少期にある。3歳のときに母親が死去し、親戚に預けられた。しかし新生活も決して満ち足りたものではなかった。小学校に上がる際にランドセルを買ってもらえず、手提げ袋で学校に通った。食事を満足に与えられず、栄養失調になったこともある。そんな原体験が、大人になった河村さんを、養護施設の支援へ突き動かしたのだった。

河村さんの原動力は、ご本人の幼少期にありました(写真:肥沼和之撮影)

なぜ子どもの支援をしているのか、周囲に理解されないこともあった。「実は自分の子どもが施設にいるんじゃないの」「何かの罪滅ぼしなのでは」と言われたこともある。正体を明かした後は、「有名になりたいんでしょ」「いい格好したいだけ」「政治家になるためにやってる」など、悪意のある批判も受けた。

しかし、活動をやめようと思ったことは1度もない、と河村さんは断言する。その大きな理由は、支援を受けた子どもたちの喜びに触れられることだった。

「クリスマスプレゼントを受け取った子どもたちが、色紙に『サンタさん、ありがとう』『プレゼント、うれしかったです』など書いてくれたんです。それを職員の方が僕に送ってくれて。受け取ったときは涙がこぼれました。1000万円、いや、1億円出しても買うことができません、子どもたちからのメッセージは」

河村氏は伊達直人と同様、匿名で支援活動を行っている。正体を知っているのは職員だけ。子どもたちからは、「施設によく遊びに来るおじさん」と思われているという。しかし、自分が支援者だと明かすつもりはまったくない。施設の子たちがいつか親になったとき、自分の子どもの枕元にプレゼントを置いてくれればそれでいいんですと、と河村氏は笑顔で語った。

そんな河村さんが支援活動を通じて、職員や子どもたちと接する中で感じていたことがある。それは施設にいる間よりも、施設を出る際の支援の重要さだった。

「養護施設にいる間は、衣食住は何とかなるし、学校や塾にも行けます。けれど施設を出た瞬間、すべて自己負担になってしまう。そもそも施設に入っている子どもたちは、虐待や育児放棄を受けた人がほとんど。施設を出た後、親に頼れません。だからこそ、家賃や家財道具、免許などの支援を拡充することで、施設を出た後の社会生活がしやすくなるのです」

子どもが児童養護施設で過ごせるのは、原則18歳まで(状況に応じて22歳まで)。通常、18歳を迎えた人は、進学や就職、留学、フリーターをしながら夢を目指すなど、さまざまな選択肢から進路を選ぶ。しかし養護施設で育った子どもたちの進路は、支援がないと、「住み込みOKの職場で就職」など、ごく限られたものになってしまうのだ。

ある施設を出て、大学に進学した3人のうち、全員が半年で退学してしまったという事例を河村さんは明かす。奨学金の返済に伴う負担の大きさを考えたとき、とても続けられないと判断した結果だという。中には生活に困り、犯罪に手を染めたり、風俗で働くようになってしまったりする子どもも少なくないという。

情報発信力はすべてに勝る

実は河村さんが正体を明かしたのは、行政を巻き込んで、この問題の解決に取り組むためだった。個人で支援活動を行うのは限界がある。実際に2016年1月、縁あって世田谷区の保坂展人区長と意見交換を行った河村さんは、行政ならではの支援の必要性を強く実感した。

「行政ならではというのは、継続できるということです。個人や団体だと、やめたら終わりですよね。でも一度制度を作ってしまえば、トップや担当者が変わっても続けられる。始めることより続けることが大事です。だからこそ、支援の制度化を実現したかったんです」

では、どうすれば行政とつながれるのか。河村さんが考え、選んだ手段が、リングで正体を明かすことだった。数年前、社会現象となったタイガーマスク運動の発起人が、リングで正体を明かせば話題になるはず。そして子どもたちや支援活動への思いを訴えれば、行政を動かし、実現したい支援ができる、と。

当日は、プロレス大会では異例のマスコミ約30社が訪れ、同日のNHKのニュースでもトップで報じられた。翌日には前橋市役所から、「市長が会いたがっています」と河村氏に連絡があった。そして市長や市の職員と対面した河村さんは、養護施設を出た後の支援の重要さを訴えかけ、「タイガーマスク運動支援プロジェクト」が実現したのだった。

経営で大事な要素は「ヒト・モノ・カネ・情報」といわれる。しかし河村さんは、この4つよりも「発信力」を重要視しているという。悪名は無名に勝るというが、どんなにすばらしいことを始めても、知られなくては意味がないからだ。

「情報発信力はすべてに勝ります。だからこそ、自分がしたいことを世の中に広めるために、僕は伊達直人を使ったのですね。間違うと単なるパフォーマーととらえられてしまうので、バランスが難しいですが」

会社員として働きながら、養護施設の支援活動を行い、さらに各地での講演や取材など、多忙な日々を送る河村さん。しかし、ある人物と出会わなければ、今の自分もタイガーマスク運動もなかったでしょうと告白する。その方とは、現在勤める会社の役員のN氏である。「Nさんと出会ったから今の僕があるんです。一生恩は忘れません」と、恩師とのエピソードを話してくれた。

恩師との出会い

福岡県出身の河村さんは、地元の高校を卒業した後、神奈川県に移り住む。車の整備工として、住み込みで働き始めたのだ。決して希望したわけでなく、身寄りがない自分にとって、数少ない選択肢の1つだった。4年間働き、22歳のときに転職活動をするが、うまくいかなかった。

「東京で働きたい思いがあって、転職活動をしたんです。けれど当時、履歴書に家族構成を記入する欄があって。僕は書く人がいないから、空欄のままにしていたんです。すると面接官が、ここも書いてくださいと。家族はいませんと僕が答えると、表情が変わって。その時点で不採用だっていうことがわかるんですね」

何社面接を受けても通過しなかった。あきらめ半分で応募したのが、河村さんが現在所属する会社だった。そのときに面接をしてくれたのがNさんで、同氏の「面白そうな青年じゃないか、君ならうちで勤まるんじゃないか」という一言で、無事に面接を通過した。

しかし入社の条件は、関東在住の保証人を2人つけること。当てがない河村さんは、かつて働いていた自動車整備会社の社長夫婦にお願いしに行ったところ、罵声を浴びせられた。

「ふざけんな、って言われました。うちを辞めて出ていったくせに、そんな頼みはおかしいだろと。それでも恥を忍んでお願いしたら、しぶしぶ引き受けてくれたんです。おかげで入社することができ、まず研修として3カ月働いて、勤務態度に問題がなければ、正規雇用してもらえるということになりました」

だが1カ月後、その社長から会社宛てに、「保証人をキャンセルしたい」という電話が入る。河村さんは絶望で目の前が真っ白になったという。ほかに保証人になってもらえる人などいない。入社をあきらめて、このまま身を引こう。そう決意し、N氏にあいさつに行ったところ、思わぬ言葉をかけられた。

「私は君の家族構成や背景を見て採用したんじゃない。君という人間を見て、うちで勤まりそうだから採用したんだ。ルールを守ることは大事だけど、何かあったときに変えるのも大事。関東で2人の保証人が無理なら、福岡で1人でもいいからなってくれる人はいないかい?」

それだったらいます、という河村さんに、N氏は「じゃあそうしよう」と笑顔で言った。泣きましたね、と河村さんは当時を振り返る。

「僕はこれまで、身寄りがないという理由で、散々虐げられてきました。そんな僕に、君を見て採用したんだ、と言ってくれた方は初めてでした。後から聞いたら、Nさんも母子家庭で、中学生の頃からアルバイトをして家計を支えていたそうです。きっと虐げられたこともあったはず。そんな環境の方だから、僕のことも差別しなかったんでしょうね」

就職した河村さんは、会社の寮で暮らし始める。そして、すぐ近くにある児童養護施設の支援をするようになった。その後、前橋市に転勤になり、同市にある児童相談所にランドセルを置いたことから、タイガーマスク運動は全国的に広まっていった。

「Nさんと出会ってなかったら、支援活動もタイガーマスク運動もなかったでしょう。それどころか、生活に困って犯罪に手を染めていた可能性もある。出会いというのは、数奇な運命のもとで起こります。僕はNさんと出会うべくして出会ったのかもしれませんね」

「まず自分の家族を大事にしてください」

今後もライフワークとして、子どもたちの支援活動を続けていくという河村さん。自分にも何かできることはないか、と申し出てくれる人に、必ず伝えていることがある。それは、まず自分の家族を大事にしてください、という言葉だ。

「まずは自分の家族、次は友達や親戚など、身の回りの方を大事にしてください。もう少しゆとりがあれば、近所の子どもにも目を向けてください。暴力を振るわれた痕があったり、やせ細っていたりしたら、学校や児童相談所に相談してあげてほしい。国民全員がそうしていけば、擁護支援そのものがいらなくなります」

大きなゴールですが、目指すのはそこですね、と河村さんは展望を語った。無償の愛を子どもたちに注ぎ続ける河村さんは、あしながおじさんのような富豪でも、タイガーマスクのようなヒーローでもない。ごく普通の会社員であり、一般市民である。しかし、原体験を通じて生まれた子どもたちへの思いや志、使命感、恩師への感謝など、さまざまな要素が彼を突き動かした。そして約20年もの継続した支援という、まさに伊達直人を地で行くような活動を行っている。

その姿やメッセージは共感を集め、社会を動かし、大きな流れを生み出した。いつの日か、もし河村さんが活動を終えたとしても、その思いは受け継がれ、子どもたちへの支援は続けられていくだろう。

誰もが彼のようにはなれない。けれど、その生きざまに少しでも感銘を受けたら、まずは家族と過ごす時間を、いつもより少しだけ大切にしてみてはいかがだろうか。

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