憲法改正論に目を背ける人に伝えたい超基本

改憲をどのように考えたらいいのでしょうか? 写真左から、堀潤氏、西田亮介氏、倉持麟太郎氏、三浦瑠麗氏(撮影:梅谷秀司)
安倍晋三首相は3月25日の党大会で憲法改正にあらためて強い意欲を示しました。森友学園をめぐる一連の騒動を受けて、内閣支持率が急落する中、国会で早期に発議する見通しは立っていません。
しかし近年、憲法改正をめぐる論議が具体化してきたのは事実です。急変する朝鮮半島の情勢などを見据えて改憲を急ぐ声もあれば、9条を守ることが日本の平和に繋がると主張する声も根強く聞こえてきます。本来、憲法は権力を縛るためのもの。私たち一人一人が主体的に考え議論を深めていくことが大切です。
肝心なのは「なぜ憲法を変えてはいけないのか」、はたまた「なぜ変えなくてはいけないのか」という理由をきちんと把握すること。結論を急ぐ前にまずは知ることから。識者たちは改憲をどのように考えているのか。東京大学政策ビジョン研究センターの三浦瑠麗氏、弁護士の倉持麟太郎氏、東京工業大学准教授の西田亮介氏という3人の論客を招いて徹底的に議論しました。
日本国憲法 9条

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。【戦争放棄】

(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。【戦力不保持】国の交戦権は、これを認めない。【交戦権の否認】

「自衛隊」より「自衛権」を明記せよ

堀 潤(以下、堀):御三方が考える憲法9条のあり方について伺っていきます。まずは倉持さんのスタンスを教えてください。

倉持麟太郎(以下、倉持):ポイントは3つです。自衛隊の存在および自衛権の範囲を憲法に明記する。「集団的自衛権」を否定し「個別的自衛権」のみを行使する。「個別的自衛権」の範囲内で自衛隊は戦力であり交戦権の行使も認めるべきだと考えています。

安倍首相の改憲案(以下、安倍改憲)の何が問題かと言うと、「自衛隊」の明記だけで、肝心の「自衛権」について触れていないこと。「自衛隊」という3文字を追記するだけでなく、国の安全保障のためにどこまで動いてもらうのか「自衛権」の権限と範囲も同時に語るべきなのです。自衛隊と自衛権では意味がまったく異なりますから。

倉持:また、「自衛隊」の3文字だけ書くだけでは、今までかろうじて政府解釈では憲法上統制されてきたとされる自衛権の範囲を憲法マターから放逐し、法律以下の下位規範のみでの統制に委ねるということになり、わが国独自の自衛権の憲法による統制を変更するという可能性や、憲法上の「自衛隊」概念の定義および位置づけの困難さや、現行2項との関係等安倍首相が払拭するという合憲違憲を含めた解釈上の疑義は払拭するどころか増えるのではないでしょうか。したがって、私は反対です。

自衛隊は「戦力」にあたるのか

:三浦さんはご専門が「政軍関係」(政治と軍と民との関係を取り扱う学問)ということで、文民統制(シビリアンコントロール)に比重を置いた意識で憲法改正をとらえていらっしゃいますね。

三浦 瑠麗(以下、三浦):まず前提として、自衛隊が「軍隊」であることは疑いようのない実態です。憲法9条2項に「戦力は保持しない」「交戦権は認めない」と書いてありますが、日本の防衛費は年間約5兆円規模、自衛隊はいまや世界の五指に入る「軍隊」です。「軍隊としての自衛隊の存在」に自覚的であるために、私は憲法9条2項を削除すべきだと思っています。

自衛隊が軍隊である以上は、(軍に民主的統制を施すための)政府や国会による「シビリアンコントロール」を書き込むべきだという改憲案を私は提案しています。

三浦 瑠麗(みうら るり)/1980年神奈川県茅ヶ崎市生まれ。国際政治学者(東京大学政策ビジョン研究センター講師)。東京大学農学部卒業、同法学政治学研究科修了(博士<法学>)。著書に『シビリアンの戦争』(岩波書店、2012)、『日本に絶望している人のための政治入門』(文春新書、2015)、『「トランプ時代」の新世界秩序』(潮新書、2017)などがある(撮影:梅谷秀司)

軍とは、武力を集中させた特殊な組織です。歴史的にはクーデターが起きたこともあれば、政治家と対立したこともある。軍は民主的な正統性には従わなければいけない。有事の際には上からの命令に従うことになっていて、戦場でいきなり逃げてはいけない、などの一般市民とは異なる制約が課せられています。自衛隊員を統制するとともに、そのような制約を受ける一人ひとりに名誉も与え、身分を守ってあげる必要があります。軍人とは市民としての権利も一部束縛される特別な存在なのです。保護とコントロールの2つの観点から、国民が軍を保持していることを自覚するため、憲法に何らかの規定が必要だと思っています。

行政府による統制ばかりがシビリアンコントロールとして知られているようですが、これは一面的な理解です。これまで武力行使を想定した法案を作るたびに、国会の事前または事後の承認を入れ込んできましたよね。自衛隊を憲法に明記する際には、立法府によるシビリアンコントロールを憲法事項に格上げすべきです。内閣総理大臣の権限だけ憲法事項だと均衡を欠きますし、国会の権限やその自覚も促されないからです。

「司法・立法・行政」の三権がそれぞれに、自衛隊のあり方やその行動に対して責任をもって監視し、統制すべきだと思います。司法に関しては、一般の刑法になじまない自衛隊の任務を勘案した軍法の体系を新たに作り、「軍事法廷」を設けるべきですが、その際も最高裁を最終結審の場とするのが良いでしょう。この場合は憲法を改正しなくても軍事法廷を作ることは可能です。ただし、刑法の改正なり、法的な改正が必要となってきます。

:自公(自民党と公明党)は、「9条2項を削除しない」というスタンスです。

三浦:その場合、9条2項は依然として残るわけですから、死文化させるべきではないでしょう。つまり、「前項の規定によらず」というような前書きを9条3項あるいは9条の2に付けるのはよくないですね。私はあくまでも削除を望みますが、自衛隊を明記すること自体にも意味があるとも思っています。安倍首相は「『お父さんの仕事は憲法違反なの?』と問う自衛隊員の子どもがかわいそう」という情緒論でよく語られますが、それは改憲することで「兵士に対する名誉の付与」を行う意図に基づくと解釈できます。ただ、この意図は改正の意義の片側にすぎません。もう1つの改正すべき意義は、軍を持つことへの国民の自覚と、政治によるコントロールの意思を促す効果という側面です。名誉を与えることは重要ですが、「自衛隊員の子どもがかわいそう」で終始してはいけないのです。

「自衛隊」を明記する安倍改憲で決着がつくか

倉持:三浦さんがおっしゃるように、安倍改憲の目的は「自衛隊の名誉および正当性を付与する」ことで、「自衛隊が合憲か違憲かの議論に決着をつけることだ」と安倍首相が自身の見解を述べています。では、9条1項2項は修正せず、単に「自衛隊」を明記する安倍改憲で決着がつくかというと「つかない」でしょう。2項を死文化させないのであればつねに「戦力にあたるかどうか?」という疑念を受け続けることになるからです。

堀潤(ほり じゅん)/1977年兵庫県生まれ。元NHKアナウンサー、2001年NHK入局。「ニュースウォッチ9」リポーター、「Bizスポ」キャスター。2012年米国ロサンゼルスのUCLAで客員研究員、日米の原発メルトダウン事故を追ったドキュメンタリー映画を制作。2013年、NHKを退局しNPO法人「8bitNews」代表。TOKYO MX「モーニングCROSS」キャスターなどを務める(撮影:梅谷秀司)

このロジックに対して柴山昌彦さん(自民党筆頭副幹事長)は、「そういうロジカル的なことはあるけど、問題はお父さんが子どもにどうやって(自分の職業を)説明しやすくするかというのがいちばんの肝です」とおっしゃった。これが安倍加憲の本音だと思います。あまりに改正の根拠および効果が薄弱です。

:西田さんに伺います。西田さんは御三方の中では唯一「改憲の必要はない」という立場を取られていますね。

西田 亮介(以下、西田):僕はさしあたり護憲の立場です。ただし恒久的な護憲を、という立場ではなく、立憲主義を支える知識や考え方を普及させる仕組みを浸透させることに注力し、そののちゆっくり護憲か、改憲がいいのか考えればよいのではないかという立場でもあります。この立憲主義の前提条件を供給する仕組み、環境が大きく機能不全を起こしているという認識でもあります。それにしても多くの問題は、まずは法律で対応可能かどうか検討し、それで対応不可能な場合、憲法論議を行い、改正の利点、課題を比較し、前者が後者を明らかに上回るのであれば、改憲でもよいのではないか、という認識です。

それにしても国は「改憲」を急いでいます(撮影:梅谷秀司)

それにしても国は「改憲」を急いでいます。なぜか。それは、ゼロ年代から高まってきた対中脅威論と、ここ数年高まってきた北朝鮮有事など「眼前の危機」によるものでしょう。しかし、恐怖に後押しされて改憲を急ぐのはどうでしょうか。不安感情に後押しされて、慌てふためいた状態で何かを選択しようとすると護憲するにせよ改憲するにせよ、あまり適切な選択がなされない気がします。

西田:そもそも憲法とは、最高法規であると同時に「国の長期的な理想や理念」を掲げたものでもあるはずです。憲法は「国がどこに向かって進んでいけばいいのか」困ったときに”共通の参照先”として存在するべきものといってもよいはずです。だからこそ、「(平和のために)われわれが守るべき価値とは何なのか」「どんな課題があるのか」などの知識と考え方を一巡させた後に、政治とは無関係に、ある種の「国民運動」として国民の議論が巻き起こったときに憲法改正運動が立ち上がるのであれば、それはそれで改憲の道もありうるものと考えます。

:現在の日本は北朝鮮有事など危機的状況といえます。4年前に集団的自衛権が整備されたのですから、このままアメリカに引っ張られるのは怖い。どこかで歯止めをかける必要はあるし、当然自衛隊員の命を守らないといけません。しかし私が疑問に思うのは、それは本当に、憲法改正で対応すべきことなのか。法律や規定を見直さず、一足飛びに憲法9条を改憲することにいささか疑問を抱いてしまいます。

西田 亮介(にしだ りょうすけ)/1983年京都府生まれ。東京工業大学准教授。博士(政策・メディア)。著書に『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『情報武装する政治』(KADOKAWA)、『なぜ政治はわかりにくいのか』(春秋社)ほか多数。共編著に『「統治」を創造する』(春秋社)、共著に『無業社会』(朝日新書、工藤啓と共著)ほか多数。 専門は社会学、公共政策学、情報と政治等を研究。(撮影:梅谷秀司)

西田:まず、自衛隊が合憲か違憲か、という議論に関しては、これまで裁判所で違憲判決が出たことがないわけですから、学説上はさておき、自衛隊は実務上、合憲的存在であるというほかありません。もし違憲の存在を認めているというのであれば、そのような出発点から憲法改正して、突如立憲主義が尊重されるようになるとは思えません。それから文民統制の考え方で言うならば、歴史的にみても「解釈改憲」が効きうる分野と言えないでしょうか。戦後初期は旧軍人以外のものを「文民」としていましたが、その後、自衛隊が創設に至り、自衛隊員も除くと解釈されるようになっています。悪名高い「解釈改憲」ですが、過去には文民統制を強固なものにしたともいえますよね。

憲法の条文と解釈にはかなり複雑な側面があり、おそらく憲法学者と一部の法律の専門家以外は理解しがたい、つまり世の中で議論するに、極めてとっつきにくい状況になっている一方で、実務的にはほとんどの側面が「憲法変えなくても対応できる」のになぜ憲法そのものを変えなくてはならないのか、という問題は根強く残ります。

もう1つ、統治の強化という観点で言うならば、1990年代後半の「橋本行革」のときから、日本の統治機構の公権力は増大してきました。その一方で、それに対応して透明性を向上する、国民に対する説明責任を改善するような施策はそれに対応するほどには導入されないままです。だからこれらを「法律」で導入していく。それから、2010年代にも行政の人事を一元化することによって、官邸の機能が強化されましたね。森友・加計疑惑などにもつながっていっているとするのなら、要は統治機構の権力監視システムが徹底されていないのだから、これらを法律で対応させてから、さて、「憲法って本当に変えなきゃいけないの?」という議論を始めるということで十分ではないでしょうか。

憲法9条は自衛隊を見殺しにする

三浦:西田さんは憲法の規定からして「自衛隊は軍隊ではない」という立場にお立ちです。しかし、そうなると定義上は文民統制はいらないんです。誰も、警察や消防をシビリアンコントロールしろとは言わない。つまり、自衛隊が軍ではないという立場で、なおかつ特別な行動の制限やシビリアンコントロールを求めるというのは矛盾しているのです。加えて、日本独自の考え方として、自衛隊を日陰者にしておけば首を垂れるだろうというタイプの憲法観があります。それは国民すべてを平等に扱うべき人権の概念に反しています。なんとなれば、民主国家においては国民の意思次第で自衛隊にさまざまな活動を押し付けられるわけで、彼らは異論をあらかじめ封じ込められた存在なのですから。

三浦:また、自衛隊の反抗の可能性を封じるにあたって、あえて名誉を与えないでおくことで隊員の自覚に任せようという考え方は、政軍関係の歴史的事実に反しています。昔の騎士や貴族将校は名誉を与えられ、それがプラスに働いて自制するような時代もありました。軍が官僚として制度化してからは、明示的に行政あるいは議会の統制に服し、民主化してからはさらに制度や統制が細かく議論されるようになりました。つまり、日本だけが逆を行っているのです。現に、日本の防衛の大きな部分を担う米軍を、他国であるわれわれがコントロールすることなどできようがないわけですから、国民は安全保障を担う軍を自ら統制する自覚にもともと欠けているわけです。

自衛隊の存在を際立たせないとシビリアンコントロールという概念が周知され制度化できない。それが、今、改憲したほうがいいと私が考える理由です。自衛隊は軍であると認めることで、さまざまな統制の仕方が議論され始めるでしょうが、現状では議論のしようがありません。国会も、政府の粗を探すことには能力を持っていても、大方針について議論する能力は欠けているのが現状です。

日本でガラパゴスの理論がまかり通ってしまう理由は、政官関係の専門家はたくさんいても、政軍関係の専門家が乏しいからです。皆さん、大学で政軍関係の歴史を詳しく学びませんでしたよね? それは、日本では軍がいないことになっているからです。この分野は、安全保障と民主主義や政治の緊張関係をめぐる歴史理解が必要なのです。政官関係や憲法の専門家が理解できていないものを、国民が理解できているわけがないのです。

憲法改正が必要なもう1つの理由があります。「裁判所の自覚を促す」ということです。

アメリカの裁判所は憲法解釈をめぐる動的な議論に慣れています。歴史的に有名なのは、1973年アメリカの「ロー対ウェイド判決」です。最高裁は憲法第14条に基づき、人工妊娠中絶の禁止を違憲とし、全米にまたがって女性の中絶を規制する州法を違憲としました。

これに対して、日本の裁判所が世の中の進歩に応じるやり方は温情主義的なものです。2013年に非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1とする民法の規定を違憲であるとした例がありますが、お上がそろそろ適切と判断した時に、一貫性を崩すことを許容するというのがいわゆる温情主義の姿勢ですね。自衛隊に関しては、最高裁は消極姿勢です。それは自衛隊が憲法上ぎりぎりの存在だからです。

となれば、「必要最小限度の武力の保持は許容される」という政府解釈が、国会との攻防の中でどんどん右にずれていくことを最高裁はどこまで行っても許容せざるをえなくなるのです。「武器輸出三原則」とか、「GDP比1%枠にします」とか、「自衛隊海外派遣しません」とか。でも、なし崩し的に「歯止め」は破られたじゃないですか。裁判官は安全保障の専門家ではありませんからね。国会も憲法解釈しか詰めないから、つまり、違憲でさえなければよいというのが今の自衛隊をめぐる日本の議論の状況なのです。

西田:そうすると自衛隊は統制が効いていないということになりませんか? ぼくはそうは思えませんが。

自衛隊が自分でプロフェッショナリズムを養っている

三浦:いえ。「政官関係的」には統制が効いているんですよ。政治がどんなに間違っていても、官僚のトップを解任することはできるし、官僚は政治の僕(しもべ)です。2015年の、内局支配を緩和した文官優位システム廃止も、行政改革の一環として政治の意思を制服組に反映しやすくする効果をもたらしています。それに加えて、自衛隊が自分でプロフェッショナリズムを養っています。

防衛大学校で粛々と教えられてきたアメリカ仕込みの政軍関係教育、軍人の行動規範を、個人の努力によって養い、自らを律しているのが現状です。

三浦:しかし国会の役割はどうか。ほとんど何もしていないともいえます。中期防の議論さえ中身はまともに話題にならない。現状の構造のままだと、安全保障上有事が起きたときにどうなるか。知識が乏しく日常的に鍛えられていない政治家による有事のトップダウンは危険です。東日本大震災の対応でも言われましたね。最近の映画『シン・ゴジラ』でも似たような問題意識が表出しています。もう1つのリスクは、それまでの対策を怠ったうえで、いざというときに現場に重い決断を丸投げしてしまうことです。対策を怠っているわけですから、準備もないままに現場は多数の犠牲を強いられることになりがちです。

政府は憲法違反しても許される?

:倉持さんは、なぜ今改憲すべきだと思われますか?

倉持 麟太郎(くらもち りんたろう)/1983年東京都渋谷区生まれ。弁護士。慶應義塾大学大学院法務研究科非常勤講師(憲法~2017年)、日本弁護士連合会憲法問題対策本部幹事、第二東京弁護士会憲法問題検討委員会幹事などを務める傍ら、TOKYO MXの『モーニングCROSS』内で日替わりのコメンテーターとして出演している(撮影:梅谷秀司)

倉持:憲法9条で「安保法制を阻止できなかったから」です。本来、憲法が定めている規範の枠を超える場合は、憲法改正の手続きを取らないといけません。憲法の規範の意味内容の実質が変更するときに、憲法を制定する最終的な「決定権」を持つ国民の意思が介在しなければ、そのように成立した法律はもとより憲法自体が名実ともに正統性を持たないからです。解釈改憲が問題なのは、改憲すべきであるのにその手続きをとらず、国民の意思を介在させずに憲法規範の中身を「解釈」で変えてしまうからです。安保法制は本来、憲法改正手続きを踏むか、現行憲法の下で成立させようとすれば、集団的自衛権を禁止した現行9条の政府解釈に反し違憲になるはずです。

しかし、そうはならなかった。憲法に本当に規範力があり権力統制機能を有しているのであれば、これは違憲として無効な法案のはずです。契約を守らなければ強制執行されるのと同様、これが法の持つ強制力であり、法への信頼の源泉です。しかし、憲法規範を遵守しない権力者を前に、憲法はそれを強制する手段を持ちませんし、今の違憲審査権は、具体的な事件を前提とする付随的違憲審査制ですので、抽象的に法案や統治機構の権限について違憲判断ができない。「付随的違憲審査制は十分に機能してない」と僕ら法律家の中にもそう思っている人も一定数います。

今の日本国憲法は、政府が憲法違反をしても強制的に守らせる仕組みがありません。法律に違反した場合、民事でも刑事でも強制力がありますよね。私は弁護士業務で日々扱っていますが、クライアントがカネを貸して返済してもらえなかったら、裁判に訴え出て強制執行できます。あるいは、クライアントが暴力を受けたら、警察に逮捕され刑が執行されます。しかし、どれだけ政府が憲法違反しても、強制執行できないのが今の憲法です。憲法規範の信頼と、それを守る機関の信頼というのは表裏一体だと思うのです。ドイツは国の制度の中で最も信頼されているのが憲法規範を強制的に執行できる憲法裁判所で、2位が憲法です。ともに90%前後の支持率。国会議員はその半分というのに比べても高い信頼を得ている。これは象徴的です。実務家の感覚として、法への信頼は社会への信頼と直結します。

三浦:倉持さんの意見に付け加えると、憲法改正を急がなくてはならないと思い始めたのは、昨年春に起きた南スーダンにおける「稲田防衛大臣の政治的スキャンダル」が発覚したためです。自衛隊が軍であることを受け止めきれていないし、統制規範についても確立しきれていないことがあらわになった。稲田さんの行動は実力組織のボスとしてふさわしい行動ではなかったのです。

また、結局真相を把握できている人がほとんど誰もいないという集団無責任体制も明らかになりました。メディアは短期間に過熱し、真相も得ないままに関心が薄れています。しかし、こういう問題にあたっては、各国ではきちんと議会が外部有識者を招いて調査委員会を設け、長い時間をかけて落ち着いた状況下で行うものです。

倉持:三浦さんのお話にあったように、私たち法律家の中でも見落としがちなのは、憲法9条は「統治の規定」だということです。ただし日本国憲法は特殊で、「人権」に入る前に総論として、「天皇と戦争放棄」が置かれています。これは、「戦争の記憶」です。天皇から国政権能を奪い、軍隊を無力化する必要があった。

国内最大の暴力は警察権、国外最大の暴力が軍事です。本来は、これら2つを憲法で統制しなければならなかったはずですが、憲法9条において“軍隊は存在していない”ことになっています。一方警察は存在しているので、憲法31条の「適正手続き」から始まって「自白を強要してはならない」など詳細にルールが記されています。同じように憲法でも自衛隊が組織されたときに憲法を改正して自衛隊および自衛権についての統制規範を明記すべきだったのですが、いまだに軍隊は存在していないものとして憲法9条が成り立っています。

僕はよく憲法9条を守ることを「虫歯とセラミック」に例えます。虫歯を治療して、きれいなセラミックを上から被せるとひとまず安心ですよね。しかし10年ぐらいしたらまた痛んでくる。見た目は腐らないセラミックできれいなままですが、治したはずの虫歯が悪化して神経までいってしまった、と。本来重武装組織の保持すら予定していなかった9条はきれいなまま一文字も変わらないが、その実、実際には自衛隊を保持し、集団的自衛権まで進行してしまった。ここにはなんらかの「手当」が必要です。

昭和の保守本流の知恵が生んだ「自衛隊」の解釈

西田:倉持さんがおっしゃるように自衛隊ができた順番が、憲法より「後」だったことはポイントの1つですよね。「憲法ができて70年、自衛隊ができて60年」。そして憲法解釈上、自衛隊は「軍隊」ではありません。これは屁理屈のようで自衛隊という限定されたかたちでアメリカの要求を受け止めつつ、経済に資源を投入して戦後復興に集中するというある種の昭和の保守本流の知恵でもありました。

それらを全部抜きにしてゼロベースで自衛隊の監査のあり方について議論できればいいのですが、そうはいきません。そもそも現状では、倉持さんの言う「立憲的改憲」に賛同している国会議員が多数を占めることはないでしょう。現在安倍首相がテーブルに上げている議論は、「自衛隊の明記」「緊急事態条項の創設」「参院選の合区解消」「教育無償化」の4つ。

今のところ倉持さんが提案される「憲法裁判所」の議論も出ていなければ、三浦さんの言う「自衛隊に関する監査を強めるような改憲のあり方」も現実味のある議論のテーブルの上に載っていません。であれば、やたらと盛り上がっている政治サイドの気運が冷めてから、倉持さんや三浦さんが望むような憲法改正案が与党の中から出てくるのであれば、そのときにそれらの憲法改正の必要性について冷静に考えれば十分ではないかと思いますね。

三浦:私は逆に「テーブルの上に載り始めている」と感じているんですよ。たとえば、2017年10月7日の「ネット党首討論」で、安倍首相は「シビリアンコントロールを憲法に入れる」ことも考えると発言をしています。あるいは今、自民党内で議論を率いている高村正彦副総裁は、2018年2月6日のBSフジ番組で、党の憲法9条改正案に「シビリアンコントロールの明記を検討している」「国会の統制というのを憲法事項にしたらいいんじゃないか」と述べています。自民党内では広まりつつある考え方ですし、公明党も反対するような事柄じゃない。ですので、十分実現可能性は出てきたというふうに感じています。

(構成:両角 晴香/ライター)

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