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無痛分娩リスクと「痛いお産」礼賛は別の話だ

妊婦の死亡事故が相次いで報道される度に、無痛分娩への抵抗感は増しているようです。ただ、これが「お腹を痛めて生んでこそ母親」という母性神話と相まって論じられていることには違和感を覚えます。(写真:KY / PIXTA)
“陣痛を迎えた妻に夫が言いました。
「ぼくのせいでこんな苦しい思いをさせてしまって申し訳ない」
「いいのよ、あなたのせいじゃないわ」
フランス昔話”

先日、“陣痛&出産の痛みを男性芸人が疑似体験する”というバラエティ番組の動画を観る機会がありました。お腹に電極をつけ、電気刺激で痛みを再現するというのです。

男の陣痛体験で「母は偉大だ!」に違和感

“その”瞬間、芸人は七転八倒の大騒ぎ。最後は“お母ちゃん! こんなに痛い思いをして産んでくれたんだね。母は偉大だ。ありがとう!”と、母や女性に対する畏敬の念を表明する感動のクライマックスになっていました。

視聴者からは“ぜひこのマシーン体験を男性全員に義務化すべきだ”とか、“いい気づきの機会となった。やはり女性はすごい!”などの肯定的な意見が多々寄せられたようですが……。

わたくしは違和感を覚えました。この先進国で、ポイントはそこ? “耐えがたい痛み”を礼賛する価値観の構造は戦前の精神主義とどこが違うのでしょうか。あの痛みを知らない男性はフェアじゃないから知るべき、という問題でもないはずです。

“こんな激痛を経験しなければならないのはあまりにも不条理だ。少しでも楽に産む方法はないのかしら”というベクトルにどうしてならないのでしょうか。

実際、欧米における出産の標準は無痛分娩です。中でも女性の80%が無痛分娩を選択する(経膣分娩の場合。フランス国立保健医学研究機構2010年調べ)というフランスは、出産においても合理主義を優先しているといっていいでしょう。我慢は美徳ではない国フランスでは、女性の負担を軽減するために早々に制度を整えていきました。

これに対して、日本での無痛分娩の選択率はわずか2.6%(照井克生「全国の分娩取り扱い施設における麻酔科診療実態調査」2008年)といわれ、アジア諸国の中でもシンガポール、香港、台湾などよりはるかに下回っています。

今年に入ってから、無痛分娩時の麻酔が原因とされる妊婦の痛ましい死亡や後遺症の事故が相次いで発覚しています。無痛分娩のリスクの把握と対策はきちんとすべきです。ただ、これと「苦痛を乗り越えて母になる」という神話が相まって、麻酔をかけて産むことへの抵抗感はさらに増幅しているように感じます。無痛分娩のメリットとデメリットを正しく把握する必要があります。

まず、無痛分娩のデメリットから考えてみましょう。無痛分娩にあたっては、母体に麻酔を打つ必要があります。脊椎の硬膜外腔にカテーテルを入れる硬膜外麻酔と静脈に入れる点滴麻酔があり、現在では硬膜外麻酔が一般的なようです。いずれにしても、麻酔は自然分娩では必要がないものです。

麻酔をかけるに伴い、まれですが麻酔が全身にまわって呼吸ができなくなってしまうなど、一般的なリスクは当然発生します。また、血が止まりにくい体質であったり、背骨に問題がある場合などは麻酔そのものが打てない場合があります。当日の健康状態も影響します。

このような、個々のケースに対する最適な処方や有益な情報というものは、ネット上には存在しません。ホームドクターによる十分な検査や意思疎通(インフォームドコンセント)でクリアしなくてはいけない部分ですね。また、気になる赤ちゃんへのリスクですが、陣痛が弱くなることで、力むタイミングがわからなくなり、結果、吸引分娩(鉗子分娩)となることなどが挙げられます。以前、麻酔薬の影響によりスリーピングベイビーになる危険性があることが問題になりましたが、これが起こるのは点滴麻酔の場合で、前述のように現在の主流ではありません。

また、出産する側が希望しても、受け入れ側の医療体制が未整備であれば、対応できないこともあります。そもそも日本では麻酔科医が不足しており、産婦人科医だけでは全身管理に手間のかかることもあって、敬遠ぎみの病院も少なくありません。

出産時の出費も看過できません。自然分娩時と比べて3万〜10万円ほど余計にかかります。若い夫婦にしてみれば、小さい額ではありません。

無痛分娩の少なさが、制度の遅れにつながっている?

こうしたデメリットの中には、日本ゆえのものもあります。フランスをはじめとした無痛分娩が広く普及している国々では、設備が整っており、医師(麻酔は麻酔科専門医がかけます)も場数を踏んでいます。さらに、金銭的な問題に関しても、フランスの場合は分娩費用の総額が保険適用となるので、おカネの心配はありません。

こうした制度の差は、日本で無痛分娩を選択する割合が極端に低いという現状が影響しています。卵が先か、鶏が先かという話ですが、日本でわずか数パーセントの無痛分娩選択者のために税金を投入して体制整備をする、という判断にはならないということでしょうね。

では、メリットはなんでしょう? 陣痛で襲ってくる度重なる痛みに血圧が上がるので、高血圧の方にとって脳出血の危険を回避することができます。また、呼吸器系や心臓に持病のあるお母さんにも無痛分娩の恩恵があるといえます。

特に持病がなくても、痛みで全身の筋肉は緊張し、かみ締めで歯やあごにもダメージが残る方もいます。さらに、とりわけ体力の消耗度合いが圧倒的に違います。

分娩後に1週間の入院が必要な自然分娩と、わずか数日で(イギリスのキャサリン妃は当日!)退院していく無痛分娩。産後の回復が早く、生まれたての赤ちゃんの世話だって余裕をもってできます。実際に日仏で自然と無痛と両方の分娩を経験することができた知人たちは、陣痛の軽減もさることながら、産後の肥立ちも無痛のほうがはるかによかったと口を揃えて評価します。後続的な効果としては、「もう一人欲しいけど、あの痛みはもういや」という心身のバリアがないので、「もう一人欲しいな」という自然な希望が湧いてくるといわれています。少子化に悩む国にとっては、朗報といえなくもありません。医学進歩の恩恵を、最も目に見える形で受け入れる絶好の機会なのです。

以上のように、無痛分娩にはこれだけのメリットがありますが、リスクがゼロではないのも確か。日本では、まだまだ十分に体制が整っているとはいえません。

ただ、日本人が無痛分娩を敬遠する理由はこれだけでしょうか。

日本人の意識の中に、もう一つの大きな理由があると考えられます。歴史的な意識の中に原因が埋め込まれているはずです。日本人の国民性といってもいいし、日本の文化、美意識なのかもしれません。それは「ありのまま」を尊ぶ自然への思いであり、一方でそれは女性の尊厳を軽視した時代の名残であるともいえます。

「自然がいちばん」だからこそ、「お腹を痛めて産んでこそ、母親」とか「お腹を痛めたからこそ子はかわいい」というような固定概念がこの時代にも生き残り、さらには「楽に産んだら愛情不足になる」という不安さえも惹起(じゃっき)させたのでしょう。産む女性が自らそう思ってしまうだけではなく、その確信が世間全体を覆い尽くしているのです。

近代になって急速に進歩した西洋医学には、西洋の合理的精神が典型的に反映されています。医療とは合目的性という本質による、人工的かつ局所的なものです。時にリスクも伴います。しかし、考えてみてください。たとえば帝王切開術の普及によって、事故で命を落とすことがある一方で、これまでどれだけ多くの母子(ことに母の!)の命が救われたことでしょう。

「無痛」だったから愛情不足になったとは聞かない

もっとも、歯科治療で麻酔をかけないことを徹底している方がいるとききますが、そういう強い信念を持って“自然分娩”を選択するのであれば、尊重されるべきです。けれども、痛みに耐えることと母性を同じコンテクスト(脈絡)で語るのは、おかしな話です。

少なくとも、欧米で無痛分娩によって母の愛情が不足し、母子関係に問題が起こっているという話などは聞いたことがありません。“出産”が、厳かでかつ命懸けの人生一大イベントであることは、痛みがあろうとなかろうと、何ら変わりのないことです。

自分の気持ちをきちんと表明する勇気、その勇気を認める相互信頼があるなら、パートナーとともに状況はいくらでも自分の納得のいく方向に展開できるはずです。「痛み」における個人差をちゃんと認め、「身体管理」の具体的な処方を本人の意志に委ねることができるようになることによって、成熟した社会が証し立てられると思うのです。

出産をするにあたって、各自が選択できる自由を望みたいものです。ここは世界最高水準の医療レベルを誇る日本なのですから。