大阪・黒門市場はなぜ「ぼったくり商店街」と呼ばれるのか? 観光立国政策が生んだ地元離れと脆弱性の正体
黒門市場のインバウンド事情
本連載のタイトルは「ビーフという作法」である。「ビーフ」とは、ヒップホップ文化における対立や競争を指す言葉で、1984年のウェンディーズのCMで使われた「Where’s the beef?(ビーフはどこだ?)」というキャッチコピーがその起源だ。この言葉は相手を挑発する意図で使われたが、後にヒップホップの世界で広く受け入れられた。本連載もその精神を受け継ぎ、モビリティ業界におけるさまざまな問題やアプローチについて率直に議論する場を提供することを目的としている。ほかのメディアの記事に対してリスペクトを持ちながらも、建設的な批判を通じて業界の成長と発展に貢献することを目指す。
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ウェブメディア『現代ビジネス』は2024年11月、「“インバウンド批判”は勘違いだらけ…メディアがつくりあげた「大阪・黒門市場」の悲痛な叫び」「“土地が高くなりすぎて”…黒門市場がインバウンド観光地になるしかなかった“悲しい理由”」という記事を前後編で公開した。
黒門市場は大阪市中央区に位置する歴史的な市場で、地元住民や観光客に親しまれている。新鮮な食材や海産物、精肉、おかずなどを提供しており、観光地としても多くの国内外から訪れる。
この記事の主な内容は次のとおりだ。
・黒門市場はインバウンド観光地として注目される一方で、報道は批判的な立場から取り上げられることが多い。
・メディアでは、高額商品を販売する商店や観光地が強調され、「日本人不在」や「地元軽視」といった批判が多く見られる。
・インバウンド向け観光地として注目されているが、メディアの報道は一部の店舗に焦点を当て、その状況を誇張して偏ったイメージを作り上げているとされる。
・一部の店舗は高額商品を扱っているが、多くの店舗は地元住民向けに長年営業しており、インバウンドとの関係は薄い。
・SNSでの「ぼったくり」といった投稿や誤解も多く、特定の店舗ばかりが取り上げられる傾向がある。
・黒門市場には地元住民向けのスーパーや地域のイベントも多く、こうした地域貢献がメディアで取り上げられることは少ない。
・商店街振興組合は、インバウンド対応を含む商店街全体の活性化を目指しており、地元向けの活動も行っているが、意見交換や調整には限界があるとされている。
・インバウンド向けの「牛串屋」などが増えた背景には、もともとあった精肉店が牛串を提供し始めたことがある。
商店街の振興組合関係者は、インバウンド観光客向けの「ぼったくり価格」とされる風評について、
「それはメディアが作り出した虚像に過ぎない」
と主張している。
この記事では商店街側の見解が主に紹介されており、商店街には約150店舗があり、そのうち「ぼったくり」とされる店舗は約25店、外国人経営の店は10店ほどだと説明されている。また、組合は
「自分たちから積極的に外国人観光客を呼び込んだわけではない」
と述べ、インバウンドに関する取材を申し込まれた際には「インバウンドについての取材はお断りしている」と答え、そのことが記事にされていることに対して不満を示している。
ただし、ネットやSNSで「黒門市場 ぼったくり」を検索すると、多くの書き込みが見つかるのも事実だ。本稿では、この記事の内容を三つの観点から建設的に批判し、議論を深めていく。
批判点1「商店街が仕掛けたインバウンド」
第一に、記事に記されている「自然発生的な外国人観光客の増加」という説明が不十分だと感じる。
記事では、黒門市場で外国人観光客が増えた理由について、黒門市場商店街振興組合(以下、振興組合)の関係者のコメントを引用して次のように説明している。
「黒門市場はシャッター商店街になってしまうところ、ほかの商店街とは違う復活の仕方をしたんです。自然発生的に外国人のSNSや口コミで広がってきた。今でもリピーターは多いですしね。我々としては積極的に外国の方を呼び込んだわけではないんです」
この説明にはもう少し補足が必要である。確かに、黒門市場で外国人観光客が増え始めたのは、自然な流れとして捉えられる部分がある。
黒門市場で外国人観光客が目立ち始めたのは2011(平成23)年頃であるが、実際には2000年代後半から中国の経済成長により、来日する中国人観光客の数は増加していた。
しかし、2010年の尖閣諸島沖漁船衝突事件や2011年の東日本大震災を契機に、一時的に観光客数は減少した。その後、
・近畿運輸局
・大阪府
・関西国際空港会社
などが中国人観光客をターゲットにしたPR活動を強化し、格安航空会社(LCC)の就航なども手伝って、関西地域に訪れる中国人観光客の数は急増した。
この流れに対し、振興組合はインバウンド需要を見越して、積極的にアプローチを始めた。実際、近畿経済産業局のサイトに掲載された資料によると、2017年には同組合が行った働きかけの詳細が記録されている。
「黒門市場商店街の売上は、かつては料亭や小料理屋などへの卸や地域住民によるものが大半であった。しかし、飲食店の衰退とともに売上・来街者数ともに減少し、リーマンショック後は来街者数が過去最低となっていた。その後、円安やビザ緩和政策、関西国際空港へのLCC の就航などにより、平成23 年頃から大阪市内を訪れる外国人観光客が増え始めた。商店街では、黒門市場への来街者数の回復を図るため、これら外国人観光客をターゲットとした戦略を進めることとした」
振興組合が外国人観光客、特に中国人観光客をターゲットにした背景には、いくつかの要因がある。黒門市場の南端に位置する堺筋には、家電量販店をはじめとする免税店が立ち並び、その周辺には多くの中国人観光客が訪れていた。結果として、免税店から流れてきた中国人観光客が黒門市場にも足を運ぶようになった。この新たな客層を引き寄せるために、振興組合は次のような施策を実施したと資料に記載されている。
「外国人観光客の誘致に向け、まずは外国語表記の横断幕や大型提灯の設置、多言語対応の商店街マップの作成を行い、受入態勢を整えた。商店街のホームページもリニューアルし、新たに英語、中国語、韓国語表記に対応。また、市場の各店舗を紹介する小冊子も日本語版、英語版、中国語(繁体字)版を作成し、市場内や近隣のホテル、観光案内所など、180カ所で配布した。このほか、商店街振興組合としてのフリーWi-Fi 環境の整備や、無料休憩所とトイレの設置、銀聯カードの取扱いなどを行うとともに、各店舗のスタッフを対象とした実践的な英会話教室を毎週実施している」
これらの取り組みの結果、2015年頃には、中国人だけでなく、韓国人やタイ人の観光客も増加し、黒門市場はインバウンド需要の影響で再びにぎわいを見せ、メディアにも取り上げられるようになった。
当初、黒門市場には免税店に訪れた外国人観光客が自然に立ち寄るだけだったが、その後、インバウンド需要の拡大とともに商店街が活気を取り戻す過程には、組合の周到な準備と積極的な働きかけがあった。具体的な施策としては、
・多言語対応
・Wi-Fiの整備
・銀聯カードの導入
などが挙げられる。最初の外国人観光客の来訪は自然発生的だったかもしれないが、その後の増加は計画的な努力の結果であり、決して偶然の産物ではない。このような背景が『現代ビジネス』の記事には記載されておらず、読者に誤解を与える可能性があると考えられる。
批判点2「ぼったくり価格は一部か」
第二に、組合が否定する「ぼったくり商店街」という評価について検証したい。
黒門市場で価格が高騰し始めたのは、2011年頃、イートインスペースを備えた店舗が登場したことがきっかけだ(どの店舗が最初かははっきりしていない)。これらの店舗が外国人観光客に人気を集めると、同じような営業手法を取り入れる店舗が次々に現れ、市場内に広がっていった。 当時、商店街の関係者は
「黒門市場は生鮮食品の店が多く、食べ歩きにはもってこいの商店街。彼らのニーズともうまく合致した」(『関西ウォーカー』2018年7月31日号)
と話している。こうしたイートインでの販売が行われるなかで、黒門市場の店舗は外国人観光客が
「本当に良いものにはお金を惜しまない」
という傾向を捉え、価格設定を行った。そして、この価格設定は市場の期待通りの効果を上げた。『月刊レジャー産業通信』2017年4月号の記事は、当時の状況を次のように伝えている。
「食べ物は焼成済みであったり、生ものは店内で焼いて提供する。一様に価格は高く感じられるが、これらがどんどん売れていく」
記事に掲載された写真では
・えび塩焼き1500円
・松阪牛串3000円
といった価格が確認できる。
では、こうした価格設定は単なる「ぼったくり」なのだろうか。この点について、円安による外国人観光客の増加を取り上げた『産経新聞』2024年3月10日付の記事が参考になる。
「生ガキ5個4千円、ウニは2千円超…。「なにわの台所」として知られる黒門市場(大阪市中央区)に軒を連ねる鮮魚店の店先では、食べ歩きを楽しむ外国人がカキなどを購入し頬張っていた。「日本人はぼったくりと感じるかもしれないが、外国人は自国よりも安いと喜んで買ってくれる」。カキを販売する鮮魚店の女性は苦笑しながら話した。一度に3万~4万円を消費する訪日客グループもいるという」
注目すべきは、店舗側が「日本人はぼったくりと感じるかもしれない」と認識している点である。つまり、黒門市場では、外国人観光客をターゲットに、普段の地元客には高価格と感じられる商品を提供し、そのことで利益を上げてきたことが伺える。これは一部の店舗に限らず、ここ10年以上、市場全体が高価格帯で収益を上げてきたという現実がある。
もともとは地元住民向けに営業していた商店街で、例えば「松阪牛串3000円」のような高額商品が登場すれば、「外国人観光客相手に高価格な商売が行われている」といった批判が起こるのは自然な流れだった。その結果として、その印象が強く広まり、黒門市場のイメージとして定着してしまったことが問題である。
なぜそのような印象を防ぐことができなかったのか――。それは、外国人観光客向けの営業に力を入れるあまり、地元住民の足が遠のいてしまったためだといえる。
黒門市場では、外国人観光客の増加が地元民の利用を圧迫するという懸念が早くからあった。前述の2017年の資料でも、
「現在はインバウンド需要の増加で盛り上がってはいますが、その反面、日本人のお客様、特に近隣の方々にとっては、昔のような買い物がしづらくなり、地域住民の客数は減少しています。今後は、どうすれば近隣のお客様にもまた来ていただき、快適にお買い物をしていただけるのかが、最大の課題です」
と記されている。また、『関西ウォーカー』2018年7月31日号で取材に答えた振興組合の関係者は
「(地元民が利用しくい状況を)どう打破していくかが今後の課題ですね」
と述べている。
しかし、続く資料を見ても、地元住民の来訪を再び促進するための具体的な方策は見当たらない。もちろん、現在でも地元住民向けのサービスやイベントは完全にないわけではない。しかし、インバウンド需要の拡大にともない、地元住民の来訪を維持するための効果的な対策が十分に講じられなかったことは事実である。
批判点3「不満がそのまま記事化」
第三に、「ぼったくり商店街」というイメージがメディアによって作られた虚像であるという主張について、少し考察してみたい。『現代ビジネス』の記事では、振興組合関係者が次のように述べている。
「SNSやメディアでは『ぼったくり』って言われますけどね、全部の店がそうじゃないんです。でも、報道では『黒門市場』とひとくくりにされる。まだ『黒門の〇〇という店が高い』と言ってくれた方がましや」黒門市場は、江戸時代後期に誕生した市場で、明治から太平洋戦争を経て、現在まで大阪の台所として有名な商店街である。通りには150軒ほどの店が並び、青果店から魚屋、食肉店まで幅広いラインナップの店が並んでいる。実は、この昔ながらの商店街が近年、「インバウンド向け観光地」としてにわかに注目を集めている。華々しい側面もある一方で、どうやらその姿は報道が誇張した面も多分にあるらしい。今回は、そんな黒門市場の「メディアが作り出した」虚像と実像をお二人の話から紐解いていく」
この文章が記されたページの最下部にある、次ページへのリンクには「取材拒否しても勝手に記事を書かれる」と記されている。少し気になる表現だが、何があったのか読み進めると、次のような内容が続いている。
「不満を漏らすのは、「インバウンド向けのぼったくり商店街」という一方的なイメージがメディアを通して広まったこと。特に、センセーショナルな印象を付けようとする多くのウェブメディアによって、一部の店舗の様子が誇張されて報道された。(中略)「そういうSNSの投稿を見て勝手に記事を書かれるんです。この間もあるメディアから一回電話がかかってきて、『インバウンドについての取材はお断りしてます』と言ったのに、結局その話も含めて書かれました」
要するに、取材を断られた事実がそのまま記事に反映されたということだ。それに対して、振興組合の関係者が不満を示しているようだ。
話題になっているのは、『週刊ポスト』2024年6月21日号に掲載された「なにわの台所黒門市場がインバウンド特需で分裂危機!」という記事である。この記事では、振興組合に取材を申し込んだ際に、「インバウンドに関する記事の取材はすべてお断りしている」との回答があったことが記されている。
取材を断られることはよくあることだ。この場合、記事内で「お答えできない」といった断りの言葉を引用し、取材を受けなかったこと自体を明記するのが一般的だ。それを避けると、読者から「なぜ重要な部分に取材をしなかったのか」と疑問を抱かれ、記事の信頼性に影響を及ぼす恐れがある。
この記事では、「黒門市場の“メディアが作り出した”虚像と実像」という書き手の主張を補強するために、振興組合関係者が語った「取材を断ったら記事にされた」という事実が紹介されているが、その内容があたかもメディアの意図的な印象操作のように伝えられている。
書き手はこれまでに多くの記事を執筆してきた経験があり、取材を断られた場合の書き方については十分に理解しているはずだ。取材拒否に関しては、記事作成の基本にのっとり、その事実を適切に記載するのが一般的だ。
黒門市場はインバウンド観光客の増加によりにぎわいを見せているが、その一方で深刻な問題も抱えている。
・自然発生的に増加した観光客という側面
・高額商品の販売が常態化している現状
・メディアとの摩擦
これらの背景には、より大きな構造的課題がある。それは、黒門市場の変質が政府主導の「観光立国」戦略によって推し進められてきたという現実だ。
観光立国政策の影響
黒門市場はもともと、地元の料亭や小料理屋への卸売りと地域住民の利用によって成り立っていた。しかし、飲食店の衰退とともに売り上げや来街者数が減少し、2008年のリーマンショック後には来街者数が過去最低を記録した。
この状況を受けて、商店街では「歳末大売り出し」や「100円商店街」といった従来の取り組みを行ったほか、「黒門セレクション」として各店が厳選した商品を販売する試みも行われたが、期待したほどの成果は得られなかった。
そのようななか、外国人観光客は黒門市場にとって希望の光となった。インバウンド需要の拡大を後押ししたのは、関西国際空港へのLCCの就航や、それにともなう外国人観光客の増加だけではない。政府が進めていた観光立国政策も大きな影響を与えていた。この政策は、地域に外国人観光客を呼び込むために、従来の商売のやり方を見直し、インバウンド向けに再編するという大きな転換を求めるものだった。
例えば、2019年に行われた「第32回観光戦略実行推進会議」で観光庁が提出した資料には、こうした方針が示されている。
・飲食店や商店の多くは、訪日外国人旅行者のニーズに対応できていないのが現状。地元のものを昔ながらの売り方で売っていては、訪日外国人旅行者に見向きもされない
・実際に訪日外国人に消費していただくためには、いわゆるインバウンドベンチャーの革新的なサービスも活用しつつ、地域ぐるみで、訪日外国人旅行者のニーズに合った、「売れる商品・サービス」の提供の仕方を工夫することが必要不可欠
このような方針のもと、黒門市場は国の支援を受けて、トイレや多言語案内、無料Wi-Fiの整備などを行い、成功した事例として紹介されている。この背景には、黒門市場の変貌を促した国の観光政策があったことがわかる。
観光戦略の限界が露呈
この方針の課題が明らかになったのは、コロナ禍で外国人観光客が途絶えた時期だった。すでに地元客の利用が減少していた黒門市場では、インバウンド需要の減少により、多くの商店が閉店を余儀なくされた。
さらに、コロナ禍が収束した現在でも、失われた地元客が戻らず、一部の店舗を除いて日本人客の利用は回復していない。そのため、黒門市場は以前にも増して
「インバウンド依存」
を強めざるを得ない状況に直面している。
この変化は単なる商売の成功や失敗の問題にとどまらない。外国人観光客の「良いものには高くてもちゅうちょしない」といった特性に依存し、高額商品に特化したことで、一時的な収益向上をもたらした。しかし、この選択が地域住民との結びつきを弱め、コロナ禍で経営の脆弱(ぜいじゃく)性を浮き彫りにした。
さらに、インバウンド依存からの脱却が難しくなり、伝統的な市場としての機能を失いつつある。このような状況を招いたのは、観光立国という方針に基づき、短期的な収益を優先し市場の本来の在り方を変えてしまったことが大きな要因だろう。
インバウンド重視の観光戦略が抱える課題は、この事例に顕著に表れているように感じる。外国人観光客に頼りすぎることは、思考の選択肢を狭める結果になりかねない。
問題があるのは商店街そのものというより、国の政策が安易だった点にある。こうした状況を招いた背景には、国の方針にも一因があるのだ。
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