「交通系ICカードやめます」熊本の公共交通、未来どうなるのか? 利便性vsコスト問題、全国交通系カード撤退の背景と拭えぬ不安

熊本県のICカード大改革

路線バスのイメージ(画像:写真AC)

路線バスのイメージ(画像:写真AC)

 熊本県内で路線バスや鉄道を運行する五つの事業者、

・九州産交バス
・産交バス
・熊本電気鉄道
・熊本バス
・熊本都市バス

が、運賃の決済手段のうち全国交通系カードを年内にも廃止し、本年度中にクレジットカードなどのタッチ決済を導入する方針を決めたことが明らかになった。熊本市交通局でも2026年に廃止の方針を発表しており、熊本県内ではJRを除き他県で発行された全国交通系カードは利用できなくなる。

 これまで熊本県内では二種類の交通系ICカードが両立する状況が続いてきた。

・くまモンのICカード(九州産交グループや熊本電気鉄道など)
・でんでんnimoca(熊本市交通局)

だ。これらカードには以下のような違いがある。

●くまモンのICカード
 熊本県独自のシステムを使用。JRを除く公共交通機関で利用可。全国交通系カードは片利用のみの熊本県内地域限定型カード

●でんでんnimoca
 西日本鉄道系で利用されているnimocaのシステムを使用。全国相互利用サービス対応カードの「くまモンのICカード」エリアでは片利用が可能

 今回、全ての事業者が全国交通系カードからの撤退を決めたことで、今後熊本県内で使える交通系ICカードは「くまモンのICカード」に一本化されることになる。

 全国で初めて、撤退が決断された理由は高額な更新費用だ。全国交通系カード対応機器の更新費用が約12億1000万円と見積もられている。対して、新たに導入予定のクレジットカードのタッチ決済導入費用は約6億7000万円と半額近くに抑えられるからだ。

地域限定vs全国対応のカード戦略

熊本市の繁華街(画像:写真AC)

熊本市の繁華街(画像:写真AC)

 この更新費用は、各交通事業者が自社で賄わなければならない。国では交通系ICカードの普及を促進するために補助制度を実施している。後述する全国交通系カードのシステムの際には、導入費の約8億6000万円に対して国や県・熊本市の補助があり、事業者の負担額は、約2億円に軽減された。

 ところが、この制度は導入のみを対象としており、機器の更新に対しては補助を見込めない。一方で、代替策と位置付けるクレジットカードのタッチ決済は新規事業と見なされ、補助の対象となる可能性が高い。そのため、かねてより経営難の続いている各社では、コストのかさむ全国交通系カード対応機器からの離脱を決めたのである(『熊本日日新聞』2024年5月28日付)。

 熊本県では交通系ICカードを導入する時点から、費用の高額な全国交通系カードを導入するか、比較的定額な独自のシステムを導入するかが争われた経緯がある。磁気式プリペイドカード「TO熊カード」の更新時期を迎えた2013(平成25)年頃から、交通系ICカードの導入議論が本格化している。

 このとき、どのような仕組みを導入するかをめぐって意見は真っ二つにわかれた。熊本市交通局が主張したのが全国交通系カードの導入だ。熊本市は国の補助金活用を念頭に、交通事業者、国・県・熊本市がそれぞれ3分の1を負担する枠組みを用いて導入を進めることを提案していた。

 しかし、民間各社はこれに難色を示し、地域限定型カードの導入を主張した。利便性に欠く地域限定型カードを主張したのは、圧倒的にコストが安いことである。加えて、開発は

・地域限定型カードなら:地元の肥後銀行グループ
・全国交通系カードなら:西日本鉄道など県外事業者

を利用することが予定されていたことだ。地域限定型カードならば、地域に利益が還元される。全国交通系カードにした場合は他県の事業者に利益がわたることになるわけだ。

 また、コスト面でも地域限定型カードならば、運営する肥後銀行の関連会社に毎月の利用料を支払う方式となる。一方で、全国相互にした場合には、試算では11億6000万円とされる導入費かかる予定となっていた(『熊本日日新聞』2013年10月1日付)

 このように地域限定型カードと全国交通系カードでは、

・利便性
・コスト
・地元への利益還元

という点で大きな違いがあった。そのため、一本化の話し合いは難航したのである。結局、一本化には至らず熊本市交通局は2014年3月に「でんでんnimoca」の導入を開始した。

熊本の交通革命

路線バスのイメージ(画像:写真AC)

路線バスのイメージ(画像:写真AC)

 その後も協議は進められたものの、当初は全国相互利用を支持していた熊本県も導入費用が高額だったため、地域限定型カードを容認する形に転換。2015年4月に「くまモんのICカード」がスタートすることになった。

 この時点で「くまモンのICカード」を導入した交通機関では全国交通系カードに対応していなかったため、県外からの利用者にとっては不便な状況が続いていた。

 この問題を解消するため、2016年に前述の通り補助金制度を利用して「くまモンのICカード」でも、全国交通系カードは片利用できるようシステムを改修した。これにより、全国相互利用機能が維持され、県民や観光客の利便性が大幅に向上することとなった。

 だが、更新時期を迎え、かつては全国交通系カードを推進していた熊本市交通局も含めて撤退を決断することになったわけである。では、代替とされているクレジットカード決済によるシステムの利便性はどうだろうか。熊本県では、国内外からの観光客増加に加え、世界的な半導体メーカーTSMCの進出が決定するなど、今後さらなる交流人口の拡大が見込まれている。

 こうしたなか、国外から熊本を訪れる人にとっては、「くまモンのICカード」を新たに購入するよりも、すでに持っているクレジットカードで決済できる方が利便性が高い。このように、クレジットカードのタッチ決済は、特に外国からの利用者にとっては利便性が高いといえる。

 しかし、国内の利用者にとっては、メリットは少ない。今回、撤退が決断できた理由としては、県内では「くまモンのICカード」のシェアが圧倒的なことが挙げられる。NHKの報道によれば、2023年度の路線バスと電車の利用者のうち「くまモンのICカード」の利用者は51%を占めるとしている。この地域限定型カードの利用者の多さが、撤退の決定打になったといえるだろう。

利便性低下への懸念

熊本市(画像:写真AC)

熊本市(画像:写真AC)

 しかし、この決定が全ての利用者にとって好ましいわけではない。特に、JRを利用して熊本市内に通勤・通学している県民や、他県から熊本を訪れる人にとっては、大きな不便が生じることになる。

 また、他県から熊本を訪れる観光客にとっても、「くまモンのICカード」が使えないことは不便だ。全国のほとんどの地域で共通化が進んでいるなかで、熊本の交通機関では自分のICカードが使えないというのは、利用者の立場に立てば理不尽に感じるだろう。

 このように、全国交通系カードの撤退は、一部の利用者にとっては大きなデメリットとなる。利便性の低下は、熊本を訪れる人の満足度にも影響しかねない。交通系ICカードは、今や旅行や出張の際の必需品となっている。その利用が制限されるということは、熊本の魅力を損なうことにもつながりかねないのだ。

 では、どのような解決策が考えられるだろうか。

 制度上、更新費用は補助金の対象外になっているとはいえ、熊本県が独自に全国相互利用機能を維持するための支援策を検討することはできないだろうか。費用が不足していることを理由に、利便性を損なうことは地域振興にも影響を及ぼしかねない。ただ、更新費用を補助するということは、今後も更新の度に同様の補助が必要になってくる可能性もあり、容易には決断しにくいだろう。

 しかし、熊本県の公共交通の発展のためには、ICカードの利便性を維持することが不可欠だ。現在の補助制度では更新費用をカバーできないのであれば、新たな支援策を検討する必要がある。

 例えば、更新費用の一部を補助する代わりに、各事業者に一定の経営努力を求めるといった方策が考えられる。あるいは、全国交通系カードの更新費用を、各地域で分担するような仕組みを作ることもできるかもしれない。いずれにせよ、交通系ICカードの普及が進むなか、熊本県だけが取り残されるようなことがあってはならない。

 熊本県はバス無料の日など、公共交通を重視した施策を実施している交通政策の先進エリアである。その熊本県が、ICカードの利便性を損なわない英断を下すことを期待したい。

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