【時刻表は読み物です】新快速のアナザーストーリー 彦根で嘆いた18キッパー

横線が入ったヘッドマークをつけて快速運用に入る新快速用の153系電車

 JR西日本の新快速が誕生して50年。京都鉄道博物館では、それを記念した展示を12月13日まで行っている。先日、同館に行き、むかしの映像や写真などを観覧すると、懐かしさとともに、そういえばこんなことがあったという事柄も思い出させてくれた。
 現在、新快速が運行する区間の東側終点は敦賀。誕生時は京都だったが、着々と延ばしていった。昭和61年11月に彦根まで(草津-彦根間の各駅停車としては60年3月から)となった。あとひと駅で東海道新幹線や北陸線と接続する米原なのにという違和感があったが、これには事情がある。
 国鉄時代の当時、本社の下には、各地域を管轄する管理局という組織が存在した。新快速が走る東海道・山陽線は大阪鉄道管理局(大鉄局)の管理だったが、彦根-米原間に名古屋鉄道管理局(名鉄局)との境界があり、大鉄局の管轄は彦根までで、米原は名鉄局の駅。当時、「境界またぎ」の列車は局間の調整などが必要だった。
 ただ、滋賀県東部の中心都市である彦根まで延伸したことは、サービスアップといえる。しかし「彦根折り返し」を嘆いた人たちがいた。夏休みなどに格安で乗り放題になる「青春18きっぷ」の利用者だ。
 JTBパブリッシングが7月に発売した「時刻表 完全復刻版 1988年3月号」(税抜き1800円)を開いてみよう。JR移行後、一部は米原まで延長されたが、昼間は彦根折り返しのまま。京都を10時45分に出た新快速は後続の普通列車に差をつける快走を見せるが、彦根止まり。米原以遠に向かう「18キッパー」は14分後の普通を待たねばならなかった。
 現在、米原(在来線)はJR西日本の管轄。JR東海との境界は東京方の米原-醒ケ井間に変わっている。彦根止まりが解消されたのは平成元年、その後、3年に長浜、18年に敦賀まで延びた。
 新快速は昭和47年3月、阪和線(天王寺-和歌山)にも昼間限定で登場。車両は本家と同じ灰色に青い帯の「ブルーライナー」塗装で、途中の停車駅は鳳のみ。最速45分は当時のディーゼル特急より速かった。ただ、複々線(草津-西明石)を走る本家と違い、複線の阪和線ではダイヤが過密になり、53年10月に快速に統合される形で廃止された。
 1970年代に新快速に使用された急行型の153系(6両編成)は、新快速が走らないラッシュ時に2編成12両で快速の運用に入っていた。前面のヘッドマークは「新快速」の文字を横線で消したようなデザインでおかしかった。出入り口がデッキにある急行型は多くの乗客が乗り降りするのに不向きだったため、利用者には不評だったようだ。(鮫島敬三)

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