かつては「ぜんぶ線路!」 首都圏随一の機関区は、こうしてマンションに囲まれた

JR横須賀線の新川崎駅に隣接するJR貨物新鶴見機関区は、かつて操車場を併設していました。広大な敷地はマンション群に生まれ変わり、現在は住戸に囲まれるようにして機関区があります。

なぜ今以上の広大な敷地を必要としたのか

 JR横須賀線の下り電車が武蔵小杉駅を過ぎて新川崎駅へ近づくころ、新鶴見信号場の脇を通過します。そしてここに隣接して、JR貨物の新鶴見機関区が見えてきます。交直両用機関車から直流機関車まで、JR貨物の代表的な顔ぶれがそろう機関区は車内からも観察できますが、空からだとどのように見えるのでしょうか。

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新鶴見機関区。おおむねJR横須賀線の武蔵小杉~新川崎間に位置する。「ニーナ」の愛称で親しまれ、2022年に引退したEF66形電気機関車27号機の背後にはコンテナ車が並ぶ(画像:写真AC)。

 その前に、新鶴見信号場について軽く歴史を紹介します。ここはかつて「新鶴見操車場」で、全長約5.2kmに及ぶ巨大貨物操車場でした。もともとは品川~田町間にあった貨物操車場が手狭となり、鉄道省(当時)が地盤の固いこの地に大規模な操車場を建設し、1929(昭和4)年に使用開始したのです。

 当時の貨車は「車扱い貨物輸送」が主流でした。タンク、家畜、バラ積み、冷凍など用途別に貨車の種類があり、操車場や貨物駅では到着した貨物列車の編成を解き、行先ごとに貨車を振り分け、新たに編成を組成する作業が必須でした。

●ハンプとは? 操車場の時代にあった重要設備

 なかでも大規模操車場は流通のハブを担っていました。全国から到着した貨物列車の編成を解き、貨車ごとに振り分けて発車するため、貨車の仕分けには「ハンプ」と呼ばれる人工の坂道線路が使われました。そこに構内移動用機関車で貨車を押し上げて切り離し、下り坂の惰性で貨車のみを走らせる「突放(とっぽう)」作業によって、貨車を行き先別に線路を振り分けていました。

 そして操車場の傍らには、構内移動用機関車や貨物列車牽引用機関車の整備と保守、配置を行う機関区がセットとなるのが基本形で、新鶴見操車場には新鶴見機関区が併設されました。この機関区が国鉄からJR貨物へと継承され、現在に至っているのです。

 一方の操車場は貨物のコンテナ化によって不要となり、広大な敷地は整理されて信号場となりました。ハンプを装備した幾多の線路も撤去され、上空から見ると、敷地の半分ほどがマンションなど住宅地へと生まれ変わっているのが分かります。

 先述のように、機関区周辺は操車場跡地を活用したマンション群に囲まれ、隣接する新川崎駅側にも高層マンションが立ち並びます。操車場がベッドタウン化した地域らしい光景とも言えましょう。

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