日米対決!?「世界一長い生産ラインのクルマ」とは? “バブル時代”ならではの珍車でしょ!

1986~1993年にかけてGMが生産したキャデラック「アランテ」は、「世界最長の生産ライン」のクルマとPRされました。しかし、実はそれをはるかに上回る車種が日伊合作で作られていたのです。

一般的な乗用車の生産ラインはどれくらい?

 工場で同じ製品を量産するための流れ作業のことを「生産ライン」と言います。生産ラインは工員や機械設備を配置したステーションごとに作業を分担し、ベルトコンベアを用いて製品を移動させながら組み立て・加工などを行います。

 自動車工場の生産ラインの場合、メーカーや作る車種によって若干の違いはありますが、(1)鋼板をカットしてプレス機で車体パーツを成形する「プレス工程」、(2)車体パーツの組み立て・溶接を行うことでクルマを形にして行く「溶接工程」、(3)完成したボディを塗装する「塗装工程」、(4)電装部品やエンジン、サスペンション、内外装の部品を組み付ける「組立工程」、(5)完成したクルマを1台ずつ検査する「検査工程」の順番で進みます。

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日産自動車栃木工場の生産ライン(画像:日産自動車)。

 通常、自動車の生産ラインは(1)~(5)の工程をひとつの工場で完結させています。工場の規模などによっても異なりますが、一般的には乗用車の生産ラインは組立工程だけで約1km、延べにすると10kmほどになり、乗用車1台が完成するまでに要する時間は17~19時間ほどです。

 そんな自動車の作りかたに関して、かつて「世界最長の生産ライン」を売り文句にしていたクルマがありました。そのクルマとは1986~1993年にかけてGM(ゼネラル・モータース)が生産した高級コンバーチブル車のキャデラック「アランテ」です。

「世界最長の生産ライン」が売り文句のアメ車

 キャデラック「アランテ」は、アメリカ車でありながらボディの製造はイタリア北西部の都市トリノにあるカロッツェリア(自動車製造工房)のピニンファリーナが請け負っていました。そのため、ここで作られたパーツは、アリタリア航空が運航する専用の貨物機で約7000km離れたアメリカまで空輸され、デトロイトの工場で最終的な組み付けが行われていたのです。

 すなわち、製造元のGMでは空輸の距離も生産ラインの一部とみなして前述のような主張をしていたというわけです。

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カロッツェリア・ピニンファリーナとGMのコラボで生まれた米伊合作のキャデラック「アランテ」。トリノで製造したボディをデトロイトの工場まで空輸したことからGMは「世界最長の生産ライン」を売り文句にしていた(画像:GM)。

 このような手間のかかる生産方法ゆえに、アメリカ本国における「アランテ」の販売価格は、当時のGMキャデラック部門におけるフラッグシップモデル「デ・ビル」の2倍以上となる5万4700ドル(当時のドル円レートに換算して929万9000円)という極めて高価なプライスが付けられていました。なお、「アランテ」は当時の正規輸入代理店であったヤナセの手により、日本国内においても1200万円の価格で販売されています。

 とはいえ、ヨーロッパで車両の一部を組み立てたのちに、アメリカ本国へと空輸して最終組み立てを行う生産方法は、「アランテ」以外にも1950年代のナッシュ「ヒーリー」や1960年代のシェルビー「コブラ」、1989~1991年にかけて生産されたクライスラー「TCバイ・マセラティ」でも採用されていました。ゆえに、空輸という特筆すべき点はあったにせよ、このような生産方法をGMだけが採っていたわけではありません。

 では、「アランテ」のように半完成状態の車両の輸送区間も生産ラインの一部とみなした場合、最も長い生産ラインを持っていたクルマは何になるのでしょうか。

 それは日産の子会社オーテックジャパンとミラノにあるカロッツェリア・ザガートとのコラボで生まれたオーテック・ザガート「ステルビオ」であると筆者(山崎 龍:乗り物系ライター)は考えます。

延べ地球半周分の「生産ライン」を通った国産車

 オーテック・ザガート「ステルビオ」は、1990年に限定販売されたF31型「レパード」の主要コンポーネンツを使用して製造された高級パーソナルクーペです。企画したのはオーテックジャパンの初代社長にして「スカイラインの父」として知られる桜井眞一郎さんでした。

「ステルビオ」の製造は、日産の村山工場(東京都武蔵村山市、現在は閉鎖)の生産ラインで流れていたF31型レパードをベアシャーシの状態で抜き出し、それをオーテック社の工場で全長を300mm短縮。そこからワイドボディに対応するためのドア周り改修やサイドステップ周りの強化、ブレーキやサスペンションの変更、エンジンのチューニングなどの作業を行ったうえで海路イタリアへと送ります。

 そして、イタリアのザガート工場でボディの架装と内外装の組み付けを行ってから、再度日本へと船で送り返して、オーテックの工場で電装系などの組み付けと最終仕上げを行っていました。

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日産の子会社オーテックジャパンとカロッツェリア・ザガートのコラボで生産されたオーテック・ザガート「ステルビオ」。エラのようなボンネットの張り出しは桜井眞一郎さん発案の斬新なフェンダーミラー。ただし視認性は劣悪(山崎 龍撮影)。

 すなわち、生産途上の「ステルビオ」の車体は日本~イタリア間を往復するわけですから、その距離は「アランテ」を大きく凌ぐ1万9000km以上。地球半周分の距離を経て完成する文字通り「世界最長の生産ライン」で作られたクルマだといえるでしょう。

 これだけ大変な手間と時間をかけているため「ステルビオ」の製造コストは極めて高くつき、その分のコストを価格に転嫁した結果、日本国内での販売価格は1870万円と、当時、新車販売されていた「フェラーリ328GTS」よりも300万円も上回るプライスとなっていました。

 いくらバブル期の真っ只中とはいえ、国産車ベースの改造車にそこまでの大金を払う人はそうそういなかったようで、200台の生産予定のうち実際に製造・販売されたのは約半分の100台強に留まったようです。おそらく、これほどの長い生産ラインで作られるクルマは今後、登場することはないと思われます。

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