宇宙飛行士が旅客機のコックピットになぜ?「操縦訓練にあらず」JAXAとANAが見据える次の一手

JAXA宇宙飛行士の基礎訓練に、ANAの訓練メニューが使われました。同社が保有する施設を用いて行われたトレーニングは、操縦技量というよりも心理的な鍛錬の意味合いが大きいようです。その様子を実際に見てきました。

宇宙飛行士の基礎訓練を一部だけ公開

 JAXA(宇宙航空研究開発機構)とANA(全日空)は2024年8月5日、東京都大田区にあるANAの訓練施設「ANA Blue Base」で、米田(よねだ)あゆ、諏訪理(すわ まこと)両宇宙飛行士候補者に対して行われている宇宙飛行士候補者基礎訓練の一部を公開しました。

 JAXAの宇宙飛行士となるためには、選抜試験で選ばれた後に宇宙飛行士候補者となり、基礎訓練を完了する必要があります。2023年4月に選抜された米田さん、諏訪さんはともに正式な宇宙飛行士を目指し基礎訓練を受けているところです。

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ANAのボーイング777-300ER(乗りものニュース編集部撮影)。

 今回公開されたのは、「心理支援プログラム」という訓練の一部です。このプログラムは、長期ミッションに携わる宇宙飛行士に求められるHBP-8(行動特性の8つの要素:Human Behavior and Peformance-8)の向上を行うものです。

 これまでは基本的に旧NASDA(宇宙開発事業団)やJAXA内部で行い、必要に応じて外部専門家を招く形で行ってきましたが、今回の訓練を組み立てるにあたり、JAXAは心理支援プログラムをともに実施する企業を公募しました。この訓練全体を外部委託するのは初めての試みで、複数社から応募があったといいますが、選ばれたのはANAでした。

 宇宙飛行士訓練の中には航空機の操縦訓練が含まれることがあります。そのため、航空会社に委託というと、ついその部分ではないかと考えてしまいがちですが、実際は違いました。心理支援プログラムを航空会社で行う理由は何だったのか。そこにはANAが行っているスタッフへの訓練と共通する項目が多いという点があったといいます。

2種類の訓練の共通点とは?

 JAXAが求めたのはHPB-8訓練ですが、ANAはこれに応えるために自社で行っている訓練の中から、CRM訓練(Crew Resource Management訓練)と英語訓練、異文化適応教育を提供しました。

 どのように対応したのか、それぞれを各要素に分解して比べてみましょう。

 まずHPB-8の求める内容は、以下の8要素に分類されています。
・自己管理
・チームワークと集団行動
・コミュニケーション
・リーダーシップ
・不協和対応
・状況認識
・意思決定と問題解決
・異文化交流

 ANAが提供した訓練のうち中核となるのはCRM訓練で、以下の5要素からなっています。
・コミュニケーション:情報共有、意思疎通、主張
・チームビルディング:リーダーシップ、環境設定
・ワークロードマネジメント:計画、優先順位、配分
・シチュエーショナル・アウェアネス:警戒、状況認識、予測
・ディシジョン・メイキング:意思決定、問題解決、振り返り

 HPB-8とCRM訓練の要素は、目指す資質の分類方法こそ違うものの、困難な状況下において限られた時間とリソースで的確な判断をするために能力を向上させる、という目標が似通っています。例えばHPB-8のチームワークと集団行動は、CRM訓練のチームビルディングやワークロードマネジメントにまたがる内容だと考えられます。

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JAXAの求めるHPB-8と、ANAの提供する訓練の対応(作図:東京とびもの学会)。

 宇宙飛行士向け訓練と航空会社向け訓練の間にこれほど親和性があるのは、CRM訓練の基本的な考えである「安全で効率的な航空機運航を実現するために利用可能な全てのリソースを有効活用する」を宇宙飛行士に必要な内容に置き換えると「安全で効率的な宇宙飛行や滞在、実験を実現するために利用可能な全てのリソースを有効活用する」と、航空機運航を宇宙飛行や滞在、実験にすれば通用してしまうくらいの近さにあると考えられます。

 このことについては、事後会見で米田候補者が「宇宙飛行そのものではないが、限られた時間で情報を集めて判断するという本質は共通している」という趣旨のことを述べており、候補者自身も実感を持って取り組んでいたことがわかります。

ボーイング777用の施設でどんな訓練を?

 今回の報道公開の際には、CRM訓練のうち、ANAの保有するボーイング777型機用のシミュレーターを用いて、東京・羽田空港と大阪・伊丹空港の往復飛行を模擬した内容を行っていました。候補者は2名いるので、メインパイロットとサブパイロットの役割を往路、復路で交代しています。実際に訓練している時のシミュレーター内の様子は見ることができませんでしたが、外から見ていると、離着陸時間帯以外でシミュレーター全体が大きく動くタイミングが何度かありました。

 訓練後の説明によれば、2人に課せられたシチュエーションというのは、飛行中に悪天候に遭遇したうえ、2基あるエンジンのうち片方が停止するというもの。シミュレーターが大きく動いたのはこれが原因だろうと想像できました。このようなトラブルが起きた中で、機体の状況を手分けして確認したり、トラブル発生を管制塔役や自社地上スタッフ役の社員に連絡することで、天候情報や着陸可能な空港情報などを可能な限り集めてリカバーする判断を下したり、というものだったそうです。

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訓練後、デブリーフィングに臨む教官と宇宙飛行士候補者。ホワイトボードにはCRM訓練の要素などの資料が貼ってある(撮影:東京とびもの学会)。

 航空無線の用語など、宇宙飛行士としての訓練の本質には関わらない部分も含め、ANAクルーに課しているそのままの内容を実施したとか。そのため、事前に座学で基本的な用語などのトレーニングを受けたとのこと。社内では宇宙飛行士向けに内容をアレンジした方が良いという声も根強く、かなり議論があったといいます。

 しかし「蓋を開けてみれば成功だった」といえる出来だったようで、今回の訓練実施を担当したANAの鈴木直也(すずき・なおや)フライトオペレーションセンター訓練業務部部長も「2人の吸収速度がものすごく、弊社の通常のパイロット訓練時よりも進みが早い」と述べていたほどでした。

JAXAとANAの両方にメリット

 今回の事例は、JAXA、ANA双方にとってプラスだったようです。

 JAXAとしては、民間でも充分な宇宙飛行士に対する訓練が施せるということがわかりました。ANAとしては、これまで内容を調整して医療従事者などに提供してきたCRM訓練をそのまま適用できる事例が新たに見つかったことに加え、まさに宇宙事業を立ち上げている最中に、宇宙飛行士訓練というダイレクトに宇宙開発へと関与する部分の実績を上げられる目途が立ったというのが主要な成果でしょう。

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シミュレーターを降りる教官と宇宙飛行士候補者(撮影:東京とびもの学会)。

 宇宙飛行士候補者の基礎訓練は終盤にさしかかっています。現在のスケジュールでは、今年(2024年)10月に訓練を終え、審査委員会で宇宙飛行士として認定するかの審査を行うことになっています。

 そのとき米田あゆ、諏訪理の両候補者が宇宙飛行士になることができるか。ただ、この審査が終わり、晴れて正式な宇宙飛行士になっても、訓練は続きます。高めた能力を維持向上する訓練、ミッションが決まればそれに向けた訓練など、実際の宇宙飛行よりも長い期間を訓練に費やすことになります。

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