アメリカ巨大戦艦の船体を「へこませた」日本からの攻撃とは? 今も残る“被弾”の痕

「世界最後の戦艦」としても知られるアメリカ海軍のアイオワ級戦艦。その3番艦「ミズーリ」の船体には、ある小さな「へこみ」がついています。一見すると大したことがなさそうなこのへこみ、じつは第2次世界大戦末期に起きた悲壮な出来事の傷跡なのです。

退役からの再就役 波乱万丈の巨大戦艦

 広大な太平洋に浮かぶ南国のリゾート地、アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島にはさまざまな観光施設が存在しています。その中でも、アメリカ軍の重要施設が立ち並ぶ真珠湾に浮かぶフォード島、そこに停泊している戦艦「ミズーリ」には、毎年多くの観光客が足を運んでいます。

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フォード島で一般公開されている戦艦「ミズーリ」(稲葉義泰撮影)。

 1944(昭和19)年6月11日に就役した「ミズーリ」は、「世界最後の戦艦」としても知られるアイオワ級戦艦の3番艦で、全長270.4m、満載排水量は5万8000トンを誇ります。現在、海上自衛隊で最大の護衛艦である「いずも」の全長が248m、満載排水量が2万6000トンであることを考えると、これがいかに巨大な軍艦であるかが分かります。

「ミズーリ」は、第2次世界大戦および朝鮮戦争に参加した後、1955(昭和30)年に一度退役しましたが、いわゆる「600隻艦隊構想」のため1986(昭和61)年に再就役。1991(平成3)年には湾岸戦争に参加し、主砲に加え再就役の際に新たに搭載された巡航ミサイル「トマホーク」により、イラク軍に対する攻撃を実施しました。

 その後、ソ連崩壊と冷戦の終結を受けて、1992(平成4)年に「ミズーリ」は再び退役し、オアフ島内にある真珠湾にて、1999(平成11)年以降は記念館として一般公開されるに至りました。ただし、艦内すべてが見学できるわけではなく、現在でも一部のエリアは非公開とされています。

船体後部に見つけた小さな「へこみ」

 そんな「ミズーリ」には、船体右舷の側面に小さなへこみがあります。転落防止用の柵から少し身を乗り出してようやく確認することができるこのへこみ、実は太平洋戦争中に「ミズーリ」が被弾した際にできたものなのです。

 しかし、被弾したといっても、それは爆弾や砲弾というわけではありません。零式艦上戦闘機、いわゆる「零戦」によるものです。

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1945(昭和20)年4月11日、「ミズーリ」に突入する零戦(画像:アメリカ海軍)。

 1945(昭和20)年4月11日、沖縄本島への上陸を開始したアメリカ軍を援護し、空母を中心とする艦隊を護衛するため、「ミズーリ」は沖縄県沖合の海域に展開していました。すると、1機の特攻機(零戦)が低空飛行で「ミズーリ」の右舷後方から進入し、船体へと突入しました。機体の燃料には引火したものの、搭載していた爆弾は不発に終わり、「ミズーリ」乗員に大きな被害はありませんでした。

 一方、零戦のパイロットは戦死し、その遺体が「ミズーリ」艦上で発見されました。この報告を受けた「ミズーリ」のウィリアム・M・キャラハン艦長は、その栄誉を称えるべく、アメリカ海軍式の水葬を執り行うこととしました。

 翌日、乗艦していた海兵隊員による弔銃発射にあわせて棺が運ばれ、遺体の上には前日に乗員が手縫いした旧日本海軍の軍艦旗(旭日旗)がかぶせられました。そして午前9時、牧師による「遺体を海へ」の掛け声とともに、パイロットの遺体は海底へと沈められました。

 後の調査により、この時のパイロットは鹿児島県の鹿屋航空基地から出撃した石野節雄二等飛行兵曹であったと判明、享年19歳でした。これほどの若い命と引き換えに生じたこの「小さなへこみ」は、それから79年が経過した現在でも変わらず残され続けているのです。

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