後ろ向きプロペラ+ジェットエンジン 異形すぎる “ツイン動力” 爆撃機 どんどん奇抜に!?

航空機が急速に進化した第2次世界大戦において、高速性を追求した爆撃機としてダグラス社が開発したのがXB-42です。ただ、この機体は一般的な飛行機とは明らかに異なるデザイン。しかも、その後さらに奇抜な方向にへとむかってしまいます。

傑作機B-29の「保険」として誕生

 レシプロエンジンでプロペラを回して飛行する航空機にとって、速度向上の “天敵” は空気抵抗です。第2次世界大戦中、アメリカのダグラス社は、この空気抵抗の低減による高速化を狙った爆撃機XB-42「ミックスマスター」を開発しました。

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ダグラスXB-42の機体後部。十字型の尾翼と二重反転プロペラが特徴(画像:アメリカ空軍)。

 第2次世界大戦が勃発すると、ダグラス社はC-47「スカイトレイン」輸送機やA-20「ハボック」双発攻撃機、SBD「ドーントレス」艦上急降下爆撃機などを大増産していましたが、他方で高性能化が進む軍用機の将来を見越して、新たに新技術を盛り込んだ高速双発攻撃機の自主開発にも乗り出します。同機は、あわよくばベストセラー攻撃機A-20の後継として採用されればという同社の期待も背負っていました。

 ダグラス社は途中で計画案をアメリカ陸軍航空軍(後の米空軍)に提示したところ、彼らの興味を引きます。陸軍航空軍は当時、超長距離重爆撃機B-29「スーパーフォートレス」の開発をボーイングに進めさせていましたが、それが失敗した場合のバックアップ的な機体として、ダグラス社の計画に興味を示したのです。その結果、1943年半ばには軍からも開発予算が出るようになりました。

 こういった経緯から、XB-42は当初、攻撃機扱いされて「XA-42」という機種識別記号が付与されていました(Bはボマーの頭文字、Aはアタッカーの頭文字)。

高速性を求めて奇抜なデザインに

 XB-42の設計コンセプトは、とにかく空気抵抗を低減して高速を目指すというものでした。そのため、高出力な液冷エンジンを2基搭載しましたが、興味深いのはその配置です。

 当時のオーソドックスな双発機の設計では、エンジンはナセル(ポッド)に収めて左右の主翼にそれぞれ1基ずつ装備しますが、エンジンの前側にプロペラを取り付けると、回転によって空気を後方に送り出すことで、機体や翼の表面に沿って流れる気流に乱れが生じ、それが速度低下の一因となります。

 そこでXB-42では、冷却用空気をエンジンに大量に取り込む必要がない液冷のアリソンV-1710を2基、胴体前部やや中央に搭載し、胴体後端に配された二重反転プロペラをそれぞれひとつずつ、延長軸で駆動する構造にしたことで、機体や翼に沿って流れる気流に乱れを生じさせにくい工夫がなされました。

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XB-42A。主翼下にジェットエンジンを搭載している(画像:アメリカ空軍)。

 このデザインをごく簡単に例えるなら、魚雷に左右の主翼を付けたようなものです。尾部後端中央に2重反転式のプロペラがあり、その直前には、左右の水平尾翼に加えて垂直尾翼も上下に設置されていました。胴体中央の左右に主翼があるため、前から見ると飛行機なのですが、一般的な飛行機とは明らかに異質な雰囲気を持つ機体なのは間違いないでしょう。

 しかし、胴体後端に二重反転プロペラが備わっていると、緊急脱出時に乗員がプロペラに巻き込まれる危険性をはらんでいます。そのため緊急時には、安全に脱出できるように爆薬でプロペラの結合部を破壊して脱落させる工夫も施されていました。

モノにならなかった混合動力

 また空気抵抗軽減のため、当初、パイロットとコパイロット(副操縦手)にはP-51「マスタング」戦闘機のようなティアドロップ(涙滴)型の1人用キャノピーを、それぞれ1つずつ設けていました。このため、正面から見ると、まるでカエルの目のような形をしていました。

 しかし、このデザインだと2人は機内通話器を通してしか話ができず、地図やメモなどを互いに見せ合うといったコミュニケーションに支障が生じることから、のちに一般的な並列座席に改められ、キャノピーも箱型の普通形状になっています。

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XB-42Aの真後ろからの写真(画像:アメリカ空軍)。

 XB-42の試作1号機は、開発開始の翌年、1944年5月6日に初飛行します。同年12月には、アメリカ本土西海岸のカリフォルニア州ロングビーチから東海岸にほど近い首都ワシントンDCまでの北米大陸横断飛行を行い、そこで平均704km/hの速度記録を作り、優れた高速性を示しました。

 しかし2機造られた試作機のうち1機は墜落。また、初飛行の翌年に大戦が終結したことなどにより、同機の必要性は急速に低下してしまいました。

 そこで残された1機は、さらなる高性能化を図る目的で、左右の主翼下にそれぞれ1基ずつジェットエンジンを増設することになります。これにより、レシプロエンジンとジェットエンジンの両方を備えた混合動力機「XB-42A」に生まれ変わると、さらに俊足となり最大785km/hまで出しました。

 しかし、すでに飛行機がジェットエンジンの時代になっていることは誰の目にも明らかでした。性能的な限界が見えつつあったレシプロエンジンを搭載する理由がなくなっていたのです。

 しかも、混合動力機としてテストを続けていた残る1機(XB-42A)も、着陸時に損傷して飛べなくなったことで命運は尽きました。こうして同機も、修理されることなく退役となり、姿を消しています。

 言うなれば「時代の仇花」として終わったXB-42爆撃機。ただ、同機の設計を基にする形で、アメリカ初のジェット爆撃機、XB-43「ジェットマスター」が造られたため、その開発は無駄ではなかったと言えるのかもしれません。

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