ヨコスカの「ミッドウェー」退役から30年 日本に初めて配備された米ご長寿空母の生涯

アメリカが世界で唯一、自国外に空母を配置し続けている日本。その端緒となったのが今から50年ほど前に初めて配備された空母「ミッドウェー」でした。第2次大戦終結の年に生まれ、冷戦後に退役したご長寿艦について振り返ります。

当初不要と考えられた装甲空母

 アメリカが戦後、日本で空母(航空母艦)を運用するようになってからもうすぐ半世紀。これまで5隻の空母が横須賀に配備されてきましたが、最初に横須賀を事実上の母港としたのが「ミッドウェー」です。

 ちょうど30年前に退役し、25年前に除籍。その後、カリフォルニア州サンディエゴで海上博物館として、その姿を今も留める空母「ミッドウェー」について改めて振り返ります。

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1984年、横須賀を事実上の母港にするようになってから10年余り経ったころの空母「ミッドウェー」(画像:アメリカ海軍)。

 そもそも空母「ミッドウェー」はアメリカ海軍で初めて飛行甲板に装甲を施した空母として誕生しました。全長295m、最大幅41.45mは大和型戦艦や空母「信濃」をも上回り、第2次世界大戦中に進水した艦艇としては最大のサイズを誇ります。

「ミッドウェー」が誕生するきっかけとなったのは、イギリスで1937(昭和12)年に起工したイラストリアス級空母です。同級は世界で初めて飛行甲板に装甲を施した空母ですが、これに影響を受け、日本の大鳳型空母や、アメリカのミッドウェー級空母が生まれました。

 アメリカ海軍が装甲空母の是非について、研究を開始したのは1938(昭和13)年のこと。当時、建造計画が進められていたエセックス級空母へ、装甲化された飛行甲板を導入することが可能か否か、検討したのが端緒でした。しかし、エセックス級が当初予定した大きさ(排水量)では、飛行甲板と格納庫甲板を同時に装甲化するのは不可能と判断され、エセックス級での装甲飛行甲板の導入は見送られます。

 1939(昭和14)年にヨーロッパで第2次世界大戦が勃発し、ワシントンとロンドンの両海軍軍縮条約による各種制限が消滅したこともあり、1940(昭和15)年末には飛行甲板に25mm、格納庫甲板に89mm、機関室上面の装甲甲板部に51mmの装甲を施した設計案が3種類提案されます。

消極的な海軍を一変させた大統領の建造要求

 3つの設計案の中で、203mm砲を備え、基準排水量4万4500トンの設計案が最も将来性があるとして評価されます。しかし、同時に現場部隊(艦隊)側から「エセックス級の性能で満足しており、装甲空母の必要性はない」という意見が出たほか、海軍上層部も「装甲空母を検討する場合でも、過大な排水量を持たせないこと」という指示を出しました。

 翌1941(昭和16)年に入ると、アメリカは設計面などでイギリス海軍の全面協力を得るとともに、地中海で損傷した「イラストリアス」を自国で修理するさいに被害検証を行うなどして、設計案をブラッシュアップさせます。

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朝鮮戦争中、1952年9月時点の空母「ミッドウェー」(画像:アメリカ海軍)。

 しかし、エセックス級と同程度の2万8600トンの設計案は、搭載機数64機が過小であるとして認められず、一方で大型の4万5000トンの設計案は建造コストが高いうえに、同じ予算でエセックス級を建造したときより、搭載可能な航空機数が減るため、費用対効果で劣ると判断されてしまいます。

 ほかにも、飛行甲板の高さが下がるので、悪天候時の航空作戦で不利といった点や、装甲エレベーターの昇降速度が遅い、イギリス空母「イラストリアス」程度の装甲防御力では、状況によっては454kg徹甲爆弾によって飛行甲板を貫通されてしまうため、エセックス級と比べたときに優位点が認められないなどが指摘され、結局、アメリカ海軍では装甲空母に関して「試案」扱いに留められそうになりました。

 海軍としては、太平洋戦争が始まっても、最前線での戦訓から大型空母の致命傷は爆撃ではなく、雷撃が原因だと見なしていたことから、飛行甲板の装甲化は不要だと考えたのです。

 しかし当時のルーズベルト大統領は「海軍航空兵力の拡充が勝利の鍵」という考えから、1942(昭和17)年8月に装甲空母4隻の建造を海軍に要求しました。

排水量や搭載機関は戦艦と同レベル

 ルーズベルト大統領に装甲空母の建造を要求されたアメリカ海軍は「資材供給の面で他の空母建造に悪影響がある」と、建造に消極的な態度をとります。しかし、再度大統領から建造するよう要求されたため、当時、エセックス級として計画していた「CV41」と「CV42」の2隻を新たな装甲空母として建造するよう計画変更しました。

 その後、1943(昭和18)年6月には、「CV43」も装甲空母に変更され、これで3隻が新設計の空母として計画。合わせて艦種呼称も大型空母を現す「CVB」を新たに制定されました。

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1958年、最初の近代化改修を受けアングルドデッキを備えた後の空母「ミッドウェー」(画像:アメリカ海軍)。

 こうして建造が承認された新たな装甲空母(のちのミッドウェー級)は、基準排水量はアイオワ級戦艦に匹敵する約4万5000トン、搭載機数は120~150機、飛行甲板長、格納庫面積、航空燃料搭載量、弾薬搭載量、カタパルトなど、航空艤装の全てでエセックス級空母を上回る高性能空母として計画されたのです。

 特に飛行甲板の装甲厚89mmは、227kg徹甲爆弾や、454kg通常爆弾に耐えられる防御力を有しており、726kg爆弾についても低高度であれば耐えられる強靭さでした。また舷側装甲についても、重巡洋艦の砲撃に耐えられる、右舷178mm、左舷194mmを誇っていました。

 機関もアイオワ級戦艦と同じ、当時世界一となる21万2000馬力の高出力蒸気タービン(機関自体はアイオワ級とは別設計)を搭載し、33ノット(時速61.1km/h)の快速性を有していました。

 しかし、建造するにあたっては「他艦の建造計画に悪影響を及ぼさない」という前提が設けられたため、1番艦「ミッドウェー」が就役したのは、第2次世界大戦が終わった後の1945(昭和20)年9月でした。

2度の近代化改修を受け、横須賀を母港に

 就役したミッドウェー級は、最新の航空艤装でジェット艦載機にも対応できることが高く評価されました。しかし重量過大による復元力不足や、荒天時の格納庫への浸水などが指摘されたほか、艦首の高さ不足からくる荒天時の飛行甲板への波かぶりといった問題が露呈しています。

 また、エセックス級よりも大きく造ったにもかかわらず、進化著しいジェット艦載機に対して艦型が小さいという点も指摘されたため、1950年代中頃には早速、近代化改修が実施されました。

 このとき、飛行甲板が着艦スペースと発艦スペースを分離したアングルドデッキに更新され、艦首もエンクローズドバウに変更されています。合わせてエレベーター位置の変更やカタパルト換装も行われたことで、戦後に建造されたフォレスタル級空母と同等までその能力が引き揚げられています。

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1987年12月1日、艦隊を組んでインド洋を航行するアメリカ海軍の艦船。中央にいるのが空母「ミッドウェー」、先頭を進むのが戦艦「アイオワ」(画像:アメリカ海軍)。

 1966(昭和41)年には、再び近代化改修が行われ、カタパルトの再更新や飛行甲板の再拡張が施されたことで、飛行甲板は新造時の281.6×34.4mから、296.3×78.8m(アングルドデッキ部含む)と大幅に広がりました。

 こうして就役から28年を経た1973(昭和48)年、「ミッドウェー」は横須賀に配備され、日本を事実上の母港とする初のアメリカ空母となりました。

東西冷戦を生き抜き、最後は記念艦として保存・展示へ

 1977(昭和52)年には、姉妹艦である2番艦「フランクリン・D・ルーズベルト」が退役。時間を置かずして他の2隻も退役する予定が立てられますが、1980年代初頭に当時のレーガン政権が「600隻艦隊構想」を明らかにしたことで現役運用の続行が決定、延命されます。ちなみに、この時ミッドウェー級にはEA-6B電子戦機とE-2C早期警戒機の運用能力も付与されました。

 1986(昭和61)年、ミッドウェーは最後の改装を受け、艦の安定性向上を目的としたブリスター(船体側面の浮力強化用バルジ)が追加されています。このさいにC13カタパルトに換装したことで、F/A18の運用が可能となりました。

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1985年時点の空母「ミッドウェー」(画像:アメリカ海軍)。

 ただ、それでも就役から40年以上が経過し、陳腐化・老朽化は避けようがなかったことから、1992(平成4)年4月11日、ついに「ミッドウェー」は退役しました。

 この間、艦載機のF-14「トムキャット」が活躍する映画『トップガン』(1986)も公開されましたが、「ミッドウェー」では機体が重く、推力が低いF-14は運用困難でした。横須賀に配備されていたあいだにも、空母は高性能化、大型化していったのです。「ミッドウェー」と入れ替わる形で、横須賀に配備された空母「インディペンデンス」でようやく、在日米海軍にもF-14がお目見えするようになりました。

「ミッドウェー」級は、第2次世界大戦時に計画された各国空母のなかで最強といえる艦でした。しかし航空機の発達により、当初は「超大型」であったこの艦型すら小さくなります。とはいえ、改装を重ね、就役から退役まで47年間ほぼ現役だったのは、基礎設計の優秀さを示すものといえるでしょう。

 2022年6月現在、同艦はサンティエゴ港の海軍埠頭で「ミッドウェー博物館」として余生を過ごしています。

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