橋をくぐるMiG-17 コレが実は大事件! コトの顛末と地元紙1面を飾った写真の「真実」

川面から激しく水しぶきを上げながら橋の下をくぐり抜けるジェット戦闘機、という誰しもが目を疑うであろうインパクトの大きすぎる画像があります。旧ソ連時代、シベリア地方のとある街で起きた実際の事件と、その画像をめぐるお話です。

軍のジェット戦闘機による突然のショウタイム!

 ロシアのノヴォシビルスクは「シベリアの首都」とも呼ばれ、シベリア鉄道建設と同時にオビ川に沿って急速に発展した都市です。1965(昭和40)年6月4日の夕刻、かねてより聞こえていた上空からのジェット戦闘機の轟音が段々大きくなり、飛行高度を下げているようでした。

Large 210604 mig 01

ノヴォシビルスクの十月橋をくぐり抜けるMiG-17戦闘機。地元紙の1面にも掲載されたもの。

 何事かと人々が見上げているとジェット戦闘機MiG-17が姿を現し、オビ川に架かる十月橋の上空を旋回し始めます。やがて3回目の旋回で突然、川面に向かって急降下し、水面ギリギリに水平飛行したかと思うと十月橋の中央アーチの下をくぐり抜け、反対側に飛び出し、大きな波紋をはね上げて上空に急上昇していきました。

 十月橋は幅24m、6車線と路面電車の軌道も通る大きな橋であり、自動車や路面電車、歩行者が通行中で、この決定的瞬間は写真にも残されています。これがアクロバット展示飛行ならギネスブックにも載りそうな快挙なのですが、実はプロパガンダでも、飛行展示でも映画の撮影でもなく、ひとりのパイロットが勝手に突然、行ったものだったのです。

 フライトシミュレーターやゲームにおいても、橋の下くぐりは定番のミッションですし、操縦かんを握ると狭い所を潜り抜けたくなる衝動に駆られるものなのでしょう。ただし実機で実行するとなると全く別次元の話です。航空機による橋梁や凱旋門くぐりはアクロバット展示飛行として行われていましたが、ジェット戦闘機がいきなり市街地の大規模橋梁をくぐったのですから大事件です。

 その「暴走機」はすぐに飛び去ってしまい、呆気にとられた人々の目撃情報では機体を特定できません。やがて、その時ノヴォシビルスク付近を飛行していた容疑者MiG-17は4機であることが分かり、それらのパイロットは即座に拘束されます。この4機はシベリア軍管区で6月初めから実施されていたソ連陸軍2個機械化歩兵師団の演習に参加しており、その任務を終え帰還途中でした。

動機はストレス? 当然厳罰が下るかと思いきや…

 暴走機パイロットはすぐに判明します。ソ連海軍航空隊チェルニゴフ戦闘機連隊に所属していた、当時30歳のワレンティン・プリヴァロフ大尉です。取り調べに対し、興奮のあまり「誰にも見られていない」と思っていたらしいですが、そんなわけあるはずがありません。単座機で一匹狼のように戦う戦闘機乗り独特の「エアフーリガン」的感覚かもしれません。

 一歩間違えば大事故に繋がる無茶苦茶な飛行で、マリノフスキー国防相も乗り出して調査委員会が設置されます。

 大惨事を起こしかねない自滅的な行為に当然、軍は懲罰を科そうとしますが、地元共産党ノヴォシビルスク地方委員会のゴリャチェフ第一書記はブレジネフ書記長に電話して、シベリアの地に勇気を与える話題を提供したパイロットを処罰しないように働きかけました。軍だけでなくソ連共産党のトップまで巻き込んで、話はややこしくなっていきます。しかし大ごとになったわりに下された処分は、訓告の上10日間の飛行停止処分(有給休暇消化)というものでした。この呆気ない決定の経緯は、現在では不明です。

Large 210604 mig 02

ノヴォシビルスクはノヴォシビルスク州の州都で、シベリアの中心的都市(画像:乗りものニュース編集部)。

 後日、ノヴォシビルスク在住のアレクサンダー・カマノフという記者がプリヴァロフ本人にインタビューしています。プリヴァロフは最初、ソ連海軍赤旗バルチック艦隊の第691戦闘機連隊に所属していました。しかし西側と対峙するバルト海の精鋭部隊から内陸部の「平和ボケした」シベリアに転属となり、ストレスが溜まっていたそうです。ノヴォシビルスク市街地上空を飛行するたびに、いつかこの橋をくぐってやろうと決心していた、と回想しています。相当なエアフーリガンだったようです。

ところで冒頭の大スクープ写真はというと…

 プリヴァロフはこの事件後も航空隊勤務を続け、ゴーリキー飛行連隊の飛行隊長まで務めますが、1977(昭和52)年に心血管疾患のため飛べなくなり、エアフーリガンらしく飛べなければ軍に残る意味はないと退役します。出世とは無縁だったようで、最終階級は中佐でした。2021年現在もモスクワで存命です。

Large 210604 mig 03

MiG-17戦闘機。初飛行は1950年1月、1万機以上生産された。2021年現在でも空軍現役機や個人所有機が存在する(画像:Daderot、CC0、via Wikimedia Commons)。

 ところで最初に「橋をくぐる写真が残されている」と述べましたが、現代のように誰でも携帯電話のカメラを持っている時代ではありません。ましてや事前に予告されたアクロバット展示でもなく、プリヴァロフ大尉の発作的行動です。そのような大スクープ、どうやってシャッターチャンスを捉えたのでしょうか。

 結論をいうと、その写真はコラージュされたフェイクです。映えを狙って捏造されたというわけでなく、このネタでノヴォシビルスクを有名にしようと後日、ノヴォシビルスク美術館の依頼を受けて、デザイナーのエブゲニー・ソチチョフスキーが制作した作品といわれています。意図的に構図や縮尺を崩し、よく見れば現実の写真だとは見えないようになっています。地元新聞「イブニング・ノヴォシビルスク」1面にも掲載されますが、スクープ写真というより挿絵的な扱いでした。

 当時のソ連では構図のおかしいコラージュ写真が散見されますが、真実を写した写真というより、プロパガンダ目的の挿絵的作品だったようです。現在のデジタル写真は加工前提の素材ですが、当時も映え狙いやさまざまな意思で写真はいじられていました。ただしデジタル機器もない手作業時代であり、コラージュにしてもヒドすぎる作品も残っています。

ジャンルで探す