5月の鎌倉に行くなら…モダニズム建築と滋味深い発酵食材の料理の両方が楽しめる長谷の「モキチ」へ

トマトコーラの正体とは? 発酵に魅せられたシェフが鎌倉で供する、時間を味わうような「おいしさ」〜小町通りのenso〉から続く

鎌倉で育ち、今も鎌倉に住み、当地を愛し続ける作家の甘糟りり子氏。食に関するエッセイも多い氏が、鎌倉だから味わえる美味のあれこれをお届けする。今回は、5月の連休を前に、鎌倉で観光やランチのお店を教えて欲しいとリクエストされたときに、幅広い人たちにおすすめできるという長谷のとっておきの1軒を。

〈画像多数〉1936年に建てられた旧「神奈川県営湘南鎌倉水道ポンプ所」を改装した建物にあるレストラン

鎌倉でおすすめを聞かれた時、幅広い人たちに教えてあげたい

鎌倉はコンパクトな観光地だ。

行きたいところをリストアップしてうまく計画を立てれば、徒歩でも回れてしまう。山も海も街も楽しめるし、最近はホテルなど宿泊施設が増えているけれど、日帰りでもたっぷり旅行気分が味わえる。

タイトルに鎌倉とついた書籍やエッセイを書いているので、連休近くなると、知人友人におすすめの観光やランチのお店を教えて欲しいとリクエストされることが多い。それぞれの希望を聞いてその人の嗜好に合ったコースやお店を設定してあげたいのだが、毎回そうもしていられない。

そんな時、幅広い人たちにおすすめできるのが長谷の「モキチ カマクラ」。

茅ヶ崎の熊澤酒造が手掛けたレストランだ。モキチを訪れたら、料理の前にまずはこの広々とした建物を存分に味わってもらいたい。ここは1936年に建てられた旧「神奈川県営湘南鎌倉水道ポンプ所」。茶色いスクラッチタイル張りの四角い建物は、貴重な当時のモダニズム建築だ。私はこういう古い建築が大好き。そこに重なっている時間に物語を感じるから。

鎌倉には古い建物を改装してレストランやカフェを営んでいるお店が多いが、改装やアレンジの仕方にもそれぞれの店の個性が感じられて楽しい。モキチは建物が醸し出すクラシックな雰囲気を大切にしながら、現代的なセンスが溶け込み、海のそばらしいカジュアル感もあって、いろいろな食材のエッセンスが沁みたスープみたい。肩の力が抜けた感じがおしゃれだ。

7〜8メートルはあろうかという高い天井、そこからぶら下がるモダンなシャンデリア、白い天井や壁や窓。そして、材木座にあった昭和初期建築の古い邸宅の建具や手すり、什器、床材や角材などが利用されている。ポンプ所とは別の時間もまたここで積み重なっているのだ。

バリ島の楽器が飾られていたり、フィンランドの古い時計がかけられていたり、アメリカのアンティークのポスターがあったりするけれど、散らかった印象はまったくない。さまざまな国とさまざまな時代が共存して、独特の解放感を生み出している。だからこそ、地元の人でも観光客でも、カップルでもグループでも一人でも、子供でも若者でも中年でも老年でもくつろげるのだろう。

絶対に外せないのは「農園プレート」

この建物の歴史を簡単に振り返ってみる。1965年にポンプ所の役目を終え、そのあとは鎌倉市が県から借り上げ、2001年まで「大仏坂体育館」として使用されていた。2019年には鎌倉市の「景観重要建築物」に指定され、2023年にレストラン「モキチ カマクラ」となり、この春には国の「有形登録文化財」になる見通し。

経営元の熊澤酒造は茅ヶ崎にある湘南唯一の酒造。設立は1827年、明治5年という老舗だ。私は、ここの「雨過 天青」という日本酒が大好きで、ちゃっかり「地元のお酒」と称して贈り物に使うことも多い。まろやかな味わいはもちろんのこと、雨が過ぎた青い空というそのネーミングがいい。ビールも作っていて、大仏の顔のアップがラベルに描かれたビールは来客用に常備している。(他、茅ヶ崎の工場では多種多様な飲食店やベーカリーを経営していたり、とにかくおもしろい会社なので、ぜひググってみてください)

さて、モキチ カマクラは、イタリア料理と分類されることが多いけれど、いわゆるイタリアンレストランではない。メニューにはピッツァもパスタもあるが、敷地内にある畑から採れた野菜をふんだんに使ったサラダとか、湘南ビールを衣に使った唐揚げとか、湘南ビールで煮込んだ豚肉があったり、酒粕を使ったチーズケーキやガトーショコラ、アイスクリームなんていうのもあったりする。

そのどれもが「どうだすごいだろう」的なうまうましさではなく、さりげなくおいしいのだ。わかりますか?この感じ。外せないのは「農園プレート」だろうか。いろいろな種類の野菜が散りばめられていて、にんにくのソースとグリーンマスタードのソースが添えられている。湘南ビールを使ったメニューも一つは頼みたいところだけれど、あまりリコメンドするのは野暮というもの。その時の気分を大切にするのが似合うレストランである。

入り口のすぐ左手には、酒造らしくビールサーバーがずらりと並ぶバー・カウンター、店内の右手はオープンキッチン、奥には一段下がっていて個室のように使えるテーブル、そして2階には20人収容の大部屋がある。一度ここを貸し切って宴会をしてみたいので、只今、宴会の名目を考え中だ。建物の外にはテラス席も合って、犬も OK。駐車場の脇の階段を登った先には畑があり、誰でも入れる。なんとおおらかな。

とにかく誰にでも使い勝手がよく、誰しもがくつろげるように作られている。そんな懐の深さを鎌倉らしいというのは地元贔屓すぎるでしょうか。

写真・文/甘糟りり子

鎌倉だから、おいしい。

甘糟りり子

100種類近いアラカルトを好きなように楽しめるオステリア…究極の普段使いのレストラン「コマチーナ」_10

2020年4月3日発売
1,650円(税込)
四六判/192ページ
ISBN:978-4-08-788037-3

この本を手にとってくださって、ありがとう。
でも、もし、あなたが鎌倉の飲食店のガイドブックを探しているのなら、
ごめんなさい。これは、そういう本ではありません。(著者まえがきより抜粋)

幼少期から鎌倉で育ち、今なお住み続ける著者が、愛し、慈しみ、ともに過ごしてきたともいえる、鎌倉の珠玉の美味を語るエッセイ集。
お屋敷街に佇む未来の老舗(イチリンハナレ)、自営の畑を持つ野菜のビーン・トゥー・バー(オステリア・ジョイア)、カレーもいいけれど私はビーフサラダ(珊瑚礁 本店)、今はなき丸山亭の流れをくむ一軒(ブラッスリー・シェ・アキ)、かつての鎌倉文士に想いを馳せながら(天ぷら ひろみ)……ガイドブックやグルメサイトでは絶対にわからない、鎌倉育ちだから知っているおいしさと魅力に出会える1冊。
素材が豪華ならいいというものでもない、店の内装もまた味わいの一端を担うもの、いいバーとバーテンダーに出会う喜び……著者自身の思い出や実体験とともに語られる鎌倉のおいしいものたちは、自然と「いい店」「いい味」ってこういうことなんだな、という読後感をくれる。
版画のように精緻なタッチで描かれた阿部伸二によるイラストも美しく、まさに読んでおいしい、これまでなかった大人のための鎌倉グルメエッセイ。

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