「袴田事件」の真実に迫る。58年続いた前代未聞の“冤罪”、その裏では何が起こったのか?

『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』(青柳雄介/文藝春秋)

 2024年9月26日、静岡県清水市内で一家4人が惨殺された事件の再審で「無罪」が言い渡された。事件発生から58年以上が経過した「袴田事件」の公判だ。ルポ『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』(青柳雄介/文藝春秋)は、ジャーナリストである著者が、事件の軌跡を詳細にたどった1冊だ。前代未聞の冤罪事件が生まれた背景に、何があったのか。著者の熱意ある取材によって明らかにされた過程には、驚きを隠しきれない。

■事件発生から約48年後「録音テープ」で明らかとなった悲惨な取調べの実態

 事件発生は、1966年6月30日だった。現在の静岡県清水市清水区内にある味噌製造会社「こがね味噌」の専務宅から出火。同社専務の橋本藤雄氏をはじめ、焼け跡から一家4人の惨殺遺体が発見された。

 事件から4日後、警察が重要参考人として目星を付けたのが、元プロボクサーであり同社の住み込み従業員である当時30歳の袴田巌さんだった。

 昭和、平成、令和と続く裁判では、警察の「拷問による自白の強要」が争点のひとつにある。

 あらぬ疑いでありながら、取調べ室で連日「お前は四人も殺して火をつけた。四人も殺したんだ」などと尋問を受け、挙句、現場にいた警部による「便器持ってきて、ここでさせればいいから」の指示のもと、捜査員の眼前で用を足すことすらも強要された密室内での心中はいかなるものだったのか。想像すら及ばない。

 本書によると、当時の様子を記録した約46時間分に及ぶ録音テープの存在が公にされたのは、再審開始決定後の2015年1月。事件発生から約48年後、袴田さんが70代となってからだ。

 たとえ、真実とは異なるとしても「肉体的苦痛を与えられると、人間はやりもしない事を自分がやったといいさえすれば、この場から逃れられるように思うのである」と振り返る袴田さんの言葉は重い。

■史上五件目となる異例の「再審」実現で争点になった捜査側の捏造

 有罪率99.9%とされる日本の刑事裁判において、一度確定した判決を覆すのは難しい。先日あった袴田さんへの無罪判決はまれで、死刑が確定した事件での再審自体も「史上五件目」と、前例はひどく限られていた。

 先述の拷問による自白の強要と共に、事件の争点となっていたのが、事件現場に残されていたという「衣類」だ。

 先の録音テープや当初の報道では、事件現場に「血染めのパジャマ」が残っていたとされていた。しかし事件発生から1年2ヶ月後の公判で、検察が事件現場の味噌タンクから「赤色の血痕が付着した鉄紺色のズボン」など五5点の衣類が発見されたと主張を訂正したとは驚く。

 袴田さんだけではなく、取調べを担当した刑事の証言も残る自白調書にすら記載のなかった証拠を捏造した捜査側が「みずから描いてきた事件のストーリーを大きく変更した」と、本書は指摘する。

 そうしてこの衣類は、異例の再審を実現する決め手になった。警察が提示したカラー写真では5点の衣類に血痕を示す「鮮やかな赤みが残っていた」とされるが、袴田さんの弁護団は実験によって「一年二ヶ月も味噌につかっていた衣類についた血液は黒色化する」と立証。無罪判決へと向かう、分岐点となった。

 58年にわたり、権力によって死刑囚の汚名を被らされ、人生の貴重な時間を奪われた袴田さんの心中は察するに余りある。冤罪はけっして他人事ではなく誰もが出くわしうる人災であり、「袴田事件」は氷山の一角に過ぎないと教訓を残す。

文=カネコシュウヘイ

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