「おはよう」という言葉で爆笑を取る方法!? おしゃれな小説『幽霊たち』に潜む笑いとは/斉藤紳士のガチ文学レビュー⑭

「シティ派」というともはや死語のように聞こえるかもしれないが、ポール・オースターはモダンでスタイリッシュで洗練されたいわゆる「シティ派」の小説家である。
さらに本作はニューヨーク三部作の第二作にあたる作品で、その設定も非常にオシャレで都会的である。
私立探偵ブルーはある日、変装したホワイトという男から「ブラックを見張ってほしい」と依頼を受ける。
ブルーは依頼を受け、ブラックを見張り続けるが何の変化も異変もない日々が過ぎていく。
ブラックはただ毎日何かを書き、読んでいるだけなのだ。
ブルーはブラックの正体やホワイトの本当の目的などを推理して妄想に耽る。
次第にブルーは焦っていき、ブラックが読む本を読み、ブラックと生活サイクルを合わせているうちに見張られているのは自分の方ではないか、と思いはじめる。そして二人の調和はおそらく完璧となる。
まず、登場人物の名前や通りの名前などがほとんど「色」になっている。これが大きな特徴なのだが、それがどんな効果を狙ったものなのかは正直分からない。ただ原題の「GHOSTS」というタイトルからして幽霊の透明度と生きている人間たちとの差異を色で表しているのかもしれない(実際に幽霊を見たことがないので分からないけど多分幽霊は透明だと思われる)。

まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。

いや、なにがやねん! と一見すると思うのだが、読み進めていくうちに主人公の私立探偵の名前がブルーで、依頼人がホワイトで、依頼内容がブラックという人物を見張ることで、ブルーの師匠の名がブラウンなのだと分かってくる。
これは倒置法のような笑いで、後で「ほな最初からそう言えよ!」と突っ込まれるタイプの言い方である。
お笑いの世界はテレビのバラエティでワイワイガヤガヤ騒いでいる人たちだけが売れているわけではない。
活動の場を舞台に限り、作り込まれた笑いを追求している芸人も多くいる。
その先駆けはラーメンズだろう。
もう解散してしまったが、その芸風に憧れたコント師は数知れない。
一切の無駄を省いた黒いシャツに黒いズボン(白いシャツの時は白いズボン)という衣装。舞台装置はほとんどなく、あとはマイムで表現し、小道具やセットなどはすべて排除する徹底ぶり。そうした「舞台にコントだけがある」状況を作り、笑いを作っていった。
コントのジャンルにシチュエーションコントというものがある。シチュエーションコントとは文字通り、シチュエーション(状況)が生み出す登場人物の食い違いや不条理さ、キャラクターの機微で笑わせるコントだ。
どんな状況でも使える言葉遊びやギャグは当然通用しない。
例えば「ゲッツ!」というギャグは何の脈絡もなくどんなシチュエーションでも笑いがとれる(はず)。それは言葉の持つ音の面白さや言い方の面白さでギャグ単体でも笑いがとれるからである(はず)。
ところが例えば「おはよう」という言葉はそれだけでは面白くもなんともない。
シチュエーションコントとはこの「おはよう」という言葉で爆笑をとれるように設定や状況を作り上げるコントのことである。
「幽霊たち」は小説だが、その特異な設定で小説家としてのジレンマや葛藤を描き、劇中劇のような設定や自問自答を具現化したような対峙が描かれる。
そして、シチュエーションがしっかりしているからこその笑いも発生させている。
ブルーは自分の書いている報告書の内容に不満を持ち、言葉が役に立たないのではないかと思い、部屋の中を見回しはじめる。

ランプを見て、彼は自分に言う。ランプ、と。ベッドを見て言う。ベッド、と。ノートを見て言う。ノート。ランプをベッドと呼んではならない。

いや、もうおかしなってきてるやん! めちゃくちゃ初歩的なところでつまずいてるやん! と思うが、それほどまでブルーは追い込まれてしまう。
「自己とは何か?」「仕事とは?」「生活とは?」と自問自答を繰り返す小説は読んでいてしんどいが、探偵が自分の分身のような人間を見張っている、という状況だと読んでいて面白く感じる。それが、たとえ退屈で堅苦しい問答だとしても。
ポール・オースターを日本に紹介した翻訳家の柴田元幸さんはこう言う。
「オースターの文学の大きな特徴として、『私』が語られるとき、それは常に『私というものをめぐる考察』を背後に含んでいる」
人生の「疑問」を解決するために小説を書いているのに決して「言葉」を信用していないように見えるポール・オースターは自分に属していないすべてのものを信用していなかったのかもしれない。
それゆえに、きちんとしたシチュエーションを小説の中に構築していたのだろう。
亡くなった偉人たちを「幽霊たち」とひとまとめにしてしまう失礼ボケも、まるでスタイリッシュな表現に思えてしまうのもポール・オースターの魅力のひとつなのかもしれない。

ジャンルで探す