特殊詐欺犯罪に絡まり合う数々の事件。被疑者の発言の真意を見抜く裁判官の謎に迫る連作ミステリー『嘘か真言か』

『嘘か真言か』(五十嵐律人/文藝春秋)

 人間の大半は、死ぬまでの間に何らかの嘘をつく。自分を守るため、大切な誰かを守るため、憎い相手を陥れるため。嘘をつく理由は、千差万別である。五十嵐律人氏によるミステリー小説『嘘か真言か』(文藝春秋)は、裁判所を舞台として人間が嘘をつく理由と、嘘を暴く理由の両方が描かれている。

 本書は連作短編集で、章ごとの事件が密接に絡み合っている。何らかの犯罪“被疑者”が、何らかの犯罪“被害者”である場合は珍しくない。本書では、現実にも起こり得る罪人たちの連鎖が、法律の穴や社会問題と絡めながら展開されていく。裁判所書記官としての経験を持つ著者ならではの、リアリティあふれる裁判ミステリーは、本書がフィクションであることを一時忘れさせる。

 物語の主人公は、日向由衣。任官3年目の判事補で、念願だった刑事部への異動が叶ったばかりであった。しかし、先輩にあたる紀伊真言(きい まこと)は、「キカイ」という通称で呼ばれるほどの変わり者で、聞こえてくるのは悪評ばかり。「キカイ」とは、文字通り「機械」を意味する。情報工学系の大学院出身で、「プログラムを組むように淡々と裁判を進め、バグを処理するように有罪判決を宣告する」のだ。由衣は着任初日、刑事部部長・阿古からある指示を突きつけられる。

“「紀伊真言が嘘を見抜けるかを見抜け」”

 紀伊に関する噂の中で、突飛ともいえる話があった。それが、「紀伊真言は嘘が見抜ける」というものである。「キカイ」という通称名とは相反する、非科学的な噂がなぜ広まったのか。由衣が裁判官として研鑽を積むことができる「合議事件」(3人の裁判官が法壇に並ぶ事件のこと)もなく、部長の指示をクリアできなければ次のステップには進めない。そう悟った由衣は、紀伊の裁判を傍聴する中で噂の真相を明らかにすべく奮闘する。

 紀伊が担当する地域では、特殊詐欺犯罪グループによる詐欺事件が横行していた。詐欺事件と聞くと、「オレオレ詐欺」など広く知られる犯罪様式が真っ先に頭に浮かぶ。しかし、本書を読んでその認識を改めざるを得なかった。現況の詐欺犯罪は、実に巧妙な手口で行われている。被害者の家族構成や生活様式まで下調べをした上で犯行に及ぶため、家族の名前を語るのは常套手段。警察庁がHPで警戒を呼びかけている「キャッシュカード詐欺盗」も、本書には登場する。「詐欺罪」と「嘘」は、切っても切れない。なお、本書において嘘をつくのは加害者だけではない。被害者もまた、嘘をつく。

 紀伊は、あらゆる情報から正確に事実を導き出し、被疑者の「嘘」を鮮やかに見抜く。大抵の人は、嘘を暴かれることを嫌がるだろう。だが、紀伊に嘘を見抜かれた被疑者の多くが、最終的には救われているように見えた。嘘という荷物は、とても重い。一つ吐けば、その嘘を貫くためにまた嘘を吐かねばならない。雪だるま式に膨れ上がる借金のように、嘘は際限なく降り積もる。結果、何かを守れることもたしかにあるだろう。だが、それ以上に失うことのほうが多いのもまた、事実である。

 罪に手を染める人は、往々にしてそこに行き着くまでの過程がある。当然ながら、「だから許される」という話ではない。ただ、すべてを個人の「自己責任」として切り捨てるにはあまりに残酷な現実がある。「奨学金」という名の数百万円の借金に追い詰められた男性。無戸籍児として社会からはじき出された少年。家族に見放されることを恐れるあまり、詐欺被害に遭ったことを言い出せなかった女性。それぞれの分岐点において、「そっちじゃない」と正しい方向に導いてくれる人が一人でもいたら、社会のセーフティーネットが必要な人に届く仕組みになっていたなら、結果は違っていたのではないだろうか。

“今後の人生を大きく左右する裁判では、少なくない人間が一世一代の嘘を貫き通そうとする。その事実を理解しているからこそ、紀伊は決して妥協を許さない。”

「一世一代の嘘」を、なぜ紀伊はことごとく見破るのか。紀伊の噂の真相、法律が守れる領域の限界、それぞれの証人が吐いた「嘘」の内情。それらすべてが、現実の私たちにさまざまな問いを投げかける。本書で描かれる「罪」と「嘘」は、決して他人事ではない。私も、間違えるかもしれない。そんな境界線の上に、きっと誰もが立っている。

文=碧月はる

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