飲食店を間借りして鮨屋を営む女性職人。握るのは人々の迷いと悩みを解きほぐす江戸前鮨!

『間借り鮨まさよ』(原宏一/双葉社)

『ヤッさん』『佳代のキッチン』など、食をモチーフにした人情エンターテイメント小説を数多く発表してきた原宏一氏。その最新刊『間借り鮨まさよ』(双葉社)も美味しい“鮨”が物語のエッセンスになっている作品だ。本作はオムニバス形式になっていて「バスクの誓い」「能登栗の声」「四方田食堂」の3編を収録している。各話に共通して登場するのが、飲食店を間借りして江戸前鮨を出す雅代という中年女性。その職人としての“仕事”がさまざまな人に影響を与えていくことになる。

 1作目「バスクの誓い」の主人公、椋太は妻とふたりでスペイン料理店を営んでいる。椋太はスペインのバスク地方で料理修業しているときに一人旅をしていた佑衣と出会い、帰国後に結婚して本格バスク料理を売りにしたレストランテを東京・人形町にオープン。たちまち人気店となったものの、コロナウイルスの感染拡大で大衆価格のスペイン食堂への切り替えを決断することに。しかし、店の経営方針をめぐって佑衣と喧嘩が絶えず、いつしか家庭内別居状態になってしまい……。

 2作目「能登栗の声」では、急逝した父に代わって故郷の金沢の洋菓子店「マロン亭」を継いだ2代目社長の陽菜が主人公。カリスマ創業者だった父の死を乗り越え、なんとか従業員の心をひとつにしようとする陽菜の目下の悩みは、売り上げが伸び悩んでいる商品の改良。しかし、古参のベテラン職人は陽菜の提案に聞く耳を持たない。そんな折、陽菜より年下の販売部長が東京の飲食会社との業務提携の話を持ち込んできたことで事態が動き出す。

 3作目「四方田食堂」で描かれるのは、千葉県富津市の漁師町にある小さな食堂にして漁師たちの憩いの場、四方田食堂の再生だ。主人公になるのは、東京で焼肉店の経営に失敗し、自己破産をして地元に戻ってきた晃成。ひとり暮らしをする母のもとに食事の用意をすることを条件に転がり込んだ晃成は、幼い頃にかわいがってもらっていた四方田夫婦が営む食堂を成り行きから手伝うことになる。母の冷たい態度に耐えつつ、厨房でせわしなく動き回る日々を送る晃成だが、四方田食堂の女将さんが怪我で入院してしまい、大将も意気消沈。さらにリゾート業者による四方田食堂の土地買収の話が持ち上がって……。

 舞台となる土地も登場人物も異なる3編だが、共通するのは主人公たちが自分の“仕事”について壁のように立ちはだかる問題に直面し、苦悩を抱えて前に進むことができなくなっている人物だということ。その壁を取り払うきっかけを作ってくれるのが、間借りの鮨職人の雅代なのだ。見た目は普通の中年女性だけれど職人としての腕はまさに一流。その仕事っぷりと職人としての矜持に惚れ込んで転々とする雅代の間借り店を探して追いかける常連客がいるほどだ。そんな雅代の職人としてのこだわり、仕事に向き合う姿勢、人に対する繊細な気遣いに触れることで、悩みを抱える人たちは自分の“仕事”についても見つめ直す。自分自身と周りを改めて見ることで、これまで見えていなかったものが見えてくるようになり、それが前に向かって一歩を踏み出す力を与えてくれるのだ。そのときの人々が心を開き、理解をし合い、ちょっとした成長を遂げる姿があたたかく胸にしみる。

 食に関するさまざまなウンチクや思わず食べたくなる料理の描写も楽しく、今後のシリーズ化も期待したい作品だ。

文=橋富政彦

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