「力(権力)を持っている人は誰かを口説いてはいけない」林真理子が語る自身が受けたセクハラ体験と、令和における適切な女と男の距離とは

作家の林真理子氏の成熟世代に向けた人生論『成熟スイッチ』。自身でもキワモノ的存在だったと語るデビュー期から、いかにして己は成熟していったのか、そしてそこから学んだ人生のヒントとは。本記事では人付き合い、特に男女の関係の変化について切り込んだ章を一部抜粋して紹介する。

『成熟スイッチ』 #1

私のセクハラ体験

ハラスメントは私のまわりにも溢れています。まずは最大の男尊女卑の根源が家の中にいる。もちろん夫のことです。

「女のくせに、遅くに帰ってくるなんて」

と平気で言い、どんなに私が忙しくても妻が食事の用意をするのが当たり前だと思っている。他にも例をあげるとキリがないので、ここではこれ以上やめておきます。

家の外では、会食している店で、「おーい、ちょっとそこの女の子~」と言ってお店の女性を呼ぶ男性をしばしば見かけます。こちらもカチンときますし、今どきこんなに意識が低い人がまだいるんだと思って、二度見してしまったりする。

先日も頼まれてあるパーティーに行ったところ、想像のはるか上をいく男尊女卑の巣窟のような場で、「こんなジイさんたちがまだいるんだ……」と感動すら覚えました。

少し前のことになりますが、私よりやや年下の女性作家たちと話していた時に、当時騒がれていたセクハラ事件が話題に上ったことがありました。その流れで私が、「私たちの業界ってさあ、いっさいセクハラ無くてよかったよね」と同意を求めたところ、私以外の全員が表情を硬くして「スッ……」と引くではありませんか。

あったんだー!と思って、すごく驚いたものです。私は一度もそういうことがなかったので、さすが健全な業界だなあと感心していたのです。今の若手作家に聞いてみても依然としてそれらしきことはあるらしい。だからみんなフェミニズムやジェンダー問題に敏感になっていくのかと合点がいきました。

思えば、私がセクハラと言ってしかるべきことを体験したのは、まだ「セクハラ」という言葉がなかった時代のこと。

コピーライターの養成所に通っていた頃、講師をやっていた大手広告代理店勤務の人と2人で飲みに行ったら、「ホテルに行こう」と誘われたのです。

今はその瞬間に「アウト!」という時代ですが、当時の私がまず思ったのは、「へー、私なんかを誘うんだ……」ということでした。さすがに「ありがたい」とまでは思いませんでしたが、「どうもどうも。恐れ入ります」みたいな感じで、全然腹が立ったりはしなかった。

そうして、「一応、講師やってる立場で誘ったりしていいわけ?」「こういうのに乗ってくる女の子もいるんだろうなあ」という興味の方が勝ってしまい、「世の中ってこういうふうに回っているのかー。面白いなあ」と学ばせてもらったものです(一応お断りしておきますが、もちろんついて行かなかったですよ。まったく好みのタイプではありませんでしたし)。

力を持っている人は
誰かを口説いてはいけない

時は流れ、そんな牧歌的な時代は遠い昔になりました。オペラ歌手のプラシド・ドミンゴがセクハラで訴えられたり、息をするように女性を口説くスペインやイタリアの男性は路頭に迷う時代になっています。

知り合いの男性は、部下の女性と2人で食事をする必要がある時は、「もう1人か2人、誰か誘ってください」と気をつけているとか。パワーバランスが釣り合う男女でないとサシでの食事をするのは難しい世の中になってしまったのかもしれませんね。

ただ、はっきりと一つ言えることがあります。

「力を持っている人は誰かを口説いてはいけない」

今や、これを死守しなければ、口説いた方は社会から抹殺されるようになりました。1回でも手を出したら終わり。二者の間で「自分が優位にいる」「自分の方が権力がある」と思ったら口説いてはいけないのです。

口説いたわけではないですが、最近、気をつけなければいけないと思ったことが一つ。日大の廊下にカッコいい男性ばかり立っていることがあって思わず、「何!? イケメンばっかりどうしたんですか!?」と口走ってしまったのです。

あるスポーツ部の集いがあるということだったのですが、今の私の立場で「イケメン」などと学内で言っちゃまずかろうと、ハッとしました。口のきき方を今後は気をつけなければいけないなと反省した出来事でした。

男女間の友情と連帯

時々、私より少し下の世代の女性から、「ハヤシさんが、私たちが進む道を切り開いてくれました」と感謝されることがあり、とても恐縮してしまうことがあります。最近になって大学でフェミニズムを学んだ友人からも、「2年間フェミニズムをやると、あなたの名前が必ず出てくる」と教えてもらいました。

実は私自身、そうしたことにまったく意識が高い方ではありません。「あまり触らないようにしている」と言った方がいいかもしれない。「女流作家」という言葉にしても華やかな感じがして好きなのですが、今の時代はそう言うと怒られそうだから「女性作家」と言うようにしていたり……。

もともと私には「男が」「女が」という意識が希薄でした。たとえば私の世代だと就職の時にはじめて女性差別を感じた人が多かったと思います。

しかし私の場合、自分が就職出来なかったのは単に能力がないせいだと思って、女性差別という問題意識にはつながりませんでした。女の中で適当にやって、その中でちょっと目立てばいいやぐらいに考えていましたし、男、女と目くじらを立てるよりも、女であることを楽しみたかった。勉強も嫌いだったので、フェミニズム的な考えにまったく興味が向かなかったのです。

ところが、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』で世に私が出てきた時、男性たちからの叩かれ方は異常といっていいほど激烈なものでした。どうしてここまで憎まれるんだろうと理解できなかったのですが、ある時、筑紫哲也さんにこんなことを言われました。

「『あんたたち何よ!』と男性にわかりやすく歯向かってくる女性のことを、実は男性は嫌いではない。ハヤシさんは捉えどころがないから、嫌われるんじゃないの」男性と戦おうとするわけでもなく、ムキになるわけでもなく、普通にヘラヘラと接してくるし、敵か味方かワケがわからないから嫌われる、というのです。

理由はともかく、あの時代に男性から異常に嫌われていたことは、私がフェミニズム的にも戦ってきたという印象に一役買っているのかもしれません。

経験上、男性は女性をある程度のレベルまでは叩きません。叩くどころか、庇護してくれます。叩き始めるのは、その女性が思いのほか頭角をあらわしてきたり、はっきりと自分の敵となるレベルにまで達してからです。そのいじめ方は尋常ではなく、つらいですが、頭ひとつ抜きん出るとまた違った景色が見えてくるはずです。

私は若い頃、赤塚不二夫さんが小説誌でやっていた連載で、信じられないほど下品な内容の漫画を描かれて揶揄されたことがあります。今の時代なら、即炎上するような名誉毀損レベルの描かれ方をしたのですが、泣き寝入りするしかなかった。その後飲みに行った先で偶然一緒になり、赤塚さんから「あの時はごめんね」と謝罪されました。

遅れている日本でも、男の人の中にはフェアな目を持った人も増えてきています。レベルの高い男性と、いかにうまく友情と連帯関係を結んでいけるか。これからの女性の知恵の見せどころだと思います。

文/林真理子

写真/shutterstock

『成熟スイッチ』(講談社現代新書)

林真理子

2022年11月7日

840円

192 ページ

ISBN:

978-4065302743

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