『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は映画なのか?

トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから130年余り。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、覇権を握るディズニーのディズニープラスへの業態移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、その誕生以来最大の転換期を迎えた「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作の映画批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく連載「130年目の映画革命」。第4回はMCU映画『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』に続く、シリーズ3作目『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』。同作には過去のサム・ライミ監督『スパイダーマン』シリーズとマーク・ウェブ監督『アメイジング・スパイダーマン』シリーズのヴィラン5人と、それぞれのシリーズでピーター・パーカー役を務めたトビー・マグワイアとアンドリュー・ガーフィールドが登場。世界的にオミクロン株が猛威を振るっていた時期の公開だったにもかかわらず、2022年2月4日時点で世界興行収入歴代6位の約17.4億ドル(約2000億円)という空前の大ヒットを記録している。

130年目の映画革命 第4回

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スクリーンを呆然と眺めながら「今、自分が観ているのは、一体何なのだろう?」と思わず自問自答せずにはいられなかった。頭の片隅で予感はしていたとはいえ、思いのほか早いタイミングでアンドリュー・ガーフィールドが登場し、続けざまにトビー・マグワイアも登場、しかも二人とも作品の後半はほぼ出ずっぱりという、本作に仕掛けられた最大のサプライズに目を疑ったこともあるだろう。また、それをただのサプライズに終わらせず、それぞれビジネス上の理由で中断を余儀なくされた過去の二つのシリーズに落とし前をつけた上に、ヴィラン役も含めてハードルの高いオファーを受け入れた役者たちの尊厳まで守ってみせたその手際の見事さに驚嘆したというのもあるだろう。しかし、自分が『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を観ながら小骨が喉に刺さったような気持ちになったのは、つまりこう思ったからだ。「今、自分が観ているのは、果たしてこれまで自分が長年慣れ親しんできた映画なのだろうか?」。

2012年に『アベンジャーズ』を観た時も、2019年に『アベンジャーズ/エンドゲーム』を観た時も、同じような思いが去来することはあった。映画のユニバース化とは、一つの作品のバリューを2時間の上映時間から解き放ち、過去と未来に拡張し、監督や主演俳優の記名性さえ剥ぎ取ってしまう、魔法の呪文のようなものだ。しかし、例えば2012年には『アルゴ』や『世界にひとつのプレイブック』のような、2019年には『パラサイト 半地下の家族』や『フォードvsフェラーリ』のような、2億ドル以上の世界興収を稼いだ優れたスタンドアローン作品があった。2021年になると、そのレベル(つまり『アベンジャーズ/エンドゲーム』や『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の10分の1程度)のヒット作でさえ、フランチャイズ以外の作品ではほとんど見当たらない。気がつけば、ブロックバスター作品とアートハウス作品の中間にあるハリウッドメジャーの作品が、集客面だけでなく劇場公開された本数においてもすっかりスカスカになっているのだ。

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』が北米で公開されたクリスマスシーズン真っ盛りの2021年12月第3週の週末、北米の全興行収入の実に92%が『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』によるものだったというニュースは、アメリカの全映画関係者(そこには同作のプロデューサーであるケヴィン・ファイギやエイミー・パスカルも含まれるはずだ)に大きな衝撃をもたらした。大手映画サイトのインディーワイアは「前週公開のスティーヴン・スピルバーグ監督『ウエスト・サイド・ストーリー』と同日公開のギレルモ・デル・トロ監督『ナイトメア・アレイ』の同期間の興収を合計しても、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の2.5%に過ぎない」とセンセーショナルに報じた。さらにギョッとすることを付け加えると、その『ウエスト・サイド・ストーリー』も『ナイトメア・アレイ』もディズニー傘下のFOXスタジオ作品、つまりはソニーとともに『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の権利を有するディズニー(本作では利益の25%を受け取る契約をソニーと締結している)の作品であるという事実だ。穿った見方をするなら、どうせ当たらないけれど劇場公開しなくてはいけない自社のFOX作品を、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』というモンスター作品の生贄に差し出したようでさえあった。

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年が明けてからも、ニューヨークタイムス紙は「『パラサイト 半地下の家族』や『フォードvsフェラーリ』が大ヒットした2年前までの世界はもう二度と戻ってこないだろう」とマーケットの急速な変化を分析したコラムを掲載し、エンターテインメント・ウィークリー誌は「もう『アルゴ』のような映画が劇場作品として作られることはない。今後、ああいう大人向けの作品はストリーミングサービスのリミテッドシリーズとして作られるようになる。映画館で上映される新作のほとんどは、MCUの展開を楽しみにしているような若者向けのものになっていくだろう」と語るベン・アフレックのインタビューを掲載した。

映画を取り巻くメディア環境も、雑誌からネットに移行したことで様変わりしつつある。エンパイア誌のように30年以上SF作品やスーパーヒーロー作品を中心に取り上げてきたメディアも健在ではあるが、新興の映画メディアの多くがスーパーヒーロー映画に関するリーク情報やイースターエッグ的考察を売りにするようになり、スーパーヒーロー映画の記事をメインコンテンツにするようになった、もともとはコミックやゲームのファンダムを由来とするメディアも近年目立っている。自分もここ10数年、「ジャニーズやLDHのタレントを表紙にしないと雑誌が売れない」という日本のメディア環境の中でたくさんの仕事をしてきたが、メディアがファンダムに飲み込まれたという意味では、世界中で同じことが起こっているように見える(ちなみに2020年代に入ってからビッグネームの監督や役者が最も有意義な発言をしている場は、インディペンデント系のポッドキャストだったりする)。

『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の上映時間は、過去の『スパイダーマン』作品では最長となる2時間28分。このところ、もともと長くなりがちだったアッセンブル作品以外の単独作品でも、スーパーヒーロー映画の新作が公開される度にシリーズ最長記録が更新されているが(3月に公開される『THE BATMAN ザ・バットマン』の上映時間は2時間56分である)、ネット上におけるスーパーヒーロー映画のファンダムの大部分はそれを好意的に受け止めている。バンドやアイドルのコンサートが長ければ長いほど、「推し」と時間を共有できたことの満足度が上がるのと似たファン心理がそこにはあるのかもしれない(個人的にはどんなライブや映画でも2時間を超えると長すぎると思ってしまうのだが)。もちろん、そこでは1時間30分〜2時間という上映時間から編み出された、映画脚本におけるいくつかの基本的なセオリーが顧みられることはない。ウェブで既に公開されている『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の脚本の精巧さには舌を巻くしかないが、それは「よくできた脚本」ではあっても、そのアクロバティックな構成や、過去作品のレファレンスによって可能となったキャラクターの背景描写の大胆な省略は、映画の脚本としてはあまりにもいびつなものだ。

とはいえ、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』終盤の忘れがたい名シーンについて触れないのはフェアではないだろう。恋人のMJや親友のネッドを含めたすべての人間が自分のことを忘れ去ってしまった世界で、「再会の挨拶」のメモを片手に意を決してMJがバイトをするドーナツショップへと向かうピーター・パーカー。ピーターがドーナツショップのドアを開けてMJに恐る恐る話しかけたところで、MJは彼の肩越しにガラスの向こうのネッドに微笑み、店に入ってきたネッドはそのままピーターの後ろを通りすぎて奥のカウンターに腰かけ―という一連のアクションに続く、画面の奥行きと表情のクローズアップを見事に捉えた切なすぎる数分間のシーンのことだ。YouTube動画の作り手から商業映画監督としてのキャリアを歩み始めたばかりのタイミングでこの巨大フランチャイズにスカウトされたジョン・ワッツは、複雑に入り組んだストーリーと次から次へと登場するキャラクターたちの処理に追われ続けた3部作の最後の最後で、その手腕と意地を見せつけたわけだ。作品が終わった直後、なんだかすごくいい映画を観たような錯覚にあなたが陥ってしまったとしたらそれはこのシーンのせいだろう、と言ったら言い過ぎだろうか。

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『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、プロデューサーも脚本家も監督も役者も考えうる限りの最善を尽くした文句のつけようのない作品であり、その成果もマーベルスタジオにとってもソニーにとってもディズニーにとっても文句のつけようのないものとなった。しかし、2年前の時点で映画から遠く離れて(ファー・フロム・ホーム)いたマーベル映画は、ここにきて後戻りのできないところ(ノー・ウェイ・ホーム)まで到達してしまったようにも思える。「大いなる力には大いなる責任が伴う」。今、その言葉を誰よりも噛み締めているのは、ケヴィン・ファイギとエイミー・パスカルかもしれない。

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