「もう二度とライブなんて出ない」そう心に誓い、ギターに一切触れないまま数年が経ち…/片岡健太(sumika)『凡者の合奏』

 あなたは、身近にいる人との縁や繋がりのきっかけを考えたことはありますか?

 今回ご紹介する書籍は、人気バンドsumikaの片岡健太さんと、彼と関わる人々との記録を綴った人間賛歌エッセイ『凡者の合奏』。

 多くの絶望や数々の挫折を経験してきたなかでも、それ以上に人との関わりに救われた片岡さん。

「さまざまな人にとっての“sumika(住処)"のような場所になって欲しい」バンド名の由来にもあるように、sumikaの音楽はとにかく優しく、人への愛にあふれている。

 彼が織り成す、そっと背中を押してくれるような優しい言葉の源とは――?

「特別な才能があるわけじゃない」「1人では何もできない」「昔も今も常にあがいている」、凡者・片岡健太さんのすべてをさらけ出した一冊。オール本人書き下ろしに加えて、故郷の川崎市や思い出の地を巡った撮り下ろし写真も多数収録。また、『凡者の合奏』未収録写真を、ダ・ヴィンチWebにて特別公開いたします!

 結婚式で演奏をすることになった父と僕。演奏はうまくいかず、思い返せばいつも父には敵ったことはなかった。「もう二度とライブなんて出ない」と心に誓い、ギターに触れないまま数年が経ち…。

※本作品は片岡健太著の書籍『凡者の合奏』から一部抜粋・編集しました

『凡者の合奏』(片岡健太/KADOKAWA)

 結婚式当日。会場にいる大人たちは、さまざまな余興とアルコールによって、すでにフワフワと高揚していた。司会者の女性の甲高い声により「ご親戚の片岡様と、その御子息である健太様による、特別ライブ演奏です!」と言って紹介された僕は、緊張の面持ちで人生初のステージに向かった。

 深呼吸がてら、音叉でチューニングを済ませた。礼服に身を包んだ父親を横目で見ると、うっすらと笑っている。完全に乾燥した状態の口から、なんとかついて出た「せーの」という僕のカウントに合わせて曲が始まった。イントロから、Cメジャー、Gメジャー、Aマイナー、僕の得意なコードによって曲がスイスイと進行してゆく。

 来賓の方々も「あらー、この子ったら天才ギター少年なんじゃないのー?」とうっとり顔で、僕の演奏を見つめていた。父親も歌詞を飛ばすことなく、順調に歌い上げている。どう考えても良い滑り出しだ。会場の手拍子も味方につけて「いよいよサビがきた」というところで、会場のボルテージはマックスに到達した。僕の心の高揚感が、知らない銀河に突入しかけていた最中、サビの3コード目。

 僕はギターを弾く手を止めた。代わりに左隣でFコードが鳴る。1拍休んだ僕が次のコードから復帰する。その瞬間、会場の手拍子の音量が少しだけ下がった。サビを数回繰り返して構成されているその曲の、クライマックスの3コード目を、僕は毎回休んだ。Fコードは僕の手元からは鳴らず、毎回左側からしか鳴らなかった。子どもが演奏しているのだから仕方ないと気を遣われて、失敗しても手拍子の音量が不自然に下がらない。それがとても悔しかった。

「このままでいいのか?」と自問自答した末に、最後のサビで、僕はFコードにトライすることにした。人生が変わる瞬間に奇跡が起きるって、何かのアニメで観たことがある。

 2コード目が終わって次のコードに移行した瞬間「ガスッ」という鈍い音が手元で鳴り、左側の父からは、美しい音が鳴った。

 思い返せば、いつもそうだった。いつだって、僕は父に敵わなかった。

 僕は片岡家の長男として生まれた。

〝もし男の子が生まれたら、やってみたいリスト〟が、僕が生まれる前から、父の中には存在していたのではないかと思う。野球やサッカー、キャンプ、釣り、サーフィンなど数えればキリがないほど色々な世界に、父は僕を連れ出してくれた。その度に僕は、純粋な好奇心を搔き立てられて、初めの一歩を難なくやり遂げた頃には「自分は天才かもしれない」と思っていた。

 しかし、どんなことでも歩みを進めていけば、Fコードのような壁は存在して、何度か挑戦するものの、乗り越えられずに僕が萎えるというのが、定番の流れだった。そして、そんな僕の真横を父親がすり抜けていき、軽々とその壁を乗り越えて、笑顔で手を差し伸べてくれた。自分が子どもだという自覚はあるが、子どもだから父より何かができないということを、素直に認められず父の手を素直に摑むことができなかった。その度に興味がないフリや、飽きたフリをして逃げ続けた。そんな感情が言葉になってしまったら、もう戻れない。このライブの最中に、僕は少しだけ冷めた大人になってしまったのだ。熱しにくく冷めやすいのではなく、何をやっても毎回父に勝てないことが、単純に悔しかったのだと、僕は認めた。

 来賓者による盛大な拍手のシャワーを浴び、嬉しそうな顔をした父が「いやー、緊張したけど、最高のライブだったな」と言ったが、それに対して「うん、そうだね」とかわいげのない返事をして、もう二度とライブなんて出ないと、心に誓ってステージを降りた。

 そして、ギターには一切触れないまま数年の時が流れた。父のギターブームも、とうに過ぎ去り、誰にも弾かれなくなった真っ黒のアコースティックギターには、たんまりと埃がかぶっていた。ある日、大掃除で模様替えをする際に、ギターを移動させた。誰もいない居間だったこともあって、何の気なしにギターを弾いてみると、いとも簡単にFコードが弾けるようになっていた。

 小学校の高学年になっていたので、物理的に手が大きくなったからなのか。それとも良い意味で力が抜けていたからなのか。理由は分からないが美しいFコードの音色が、埃まみれのギターから発せられた。

 できなかったことができるようになるのは、やはり嬉しいもので、さっそく寝室の掃除をしていた父を呼んできて、目の前でFコードを弾いて見せた。父は「おおー!スゴいなー!」と言って喜んだ。「やー、お父さんもあんまり得意じゃないんだよなー。Fコード」と言って目の前で弾きはじめた父のFコードからは「ガスッ」という鈍い音が鳴った。

 驚いた僕が「お父さん、結婚式のときはちゃんと弾けていたじゃん!」と言うと「あのときは歌とFコードだけだったからなあ」と、気の抜けた声で父が答えた。

 父はコードチェンジが苦手だったのだ。

 Fコードだけを必死に押さえ続けていれば、きれいに音は出るものの、素早くバレーコードの型を作ることができなかった。問題なく弾けているように見せていたが「ガスッ」という音は、上手に押さえられていない音だったのだとこのとき初めて気が付いた。「あのときは健太が他のコードを弾いてくれたから助かったよ」と言って、父は掃除に戻った。少しだけ寂しそうな背中には、萎れていく羽根が見えた。バレーコードを押さえた僕の人差し指には、錆びた弦の色が、生々しく着色している。

 その夜から、2階にある自分の部屋にギターを持っていって、毎日ギターを弾くようになった。僕が弾いていないときには、父が1階の居間で、また時折ギターを弾くようになった。2階で響くFコード。1階で響くAマイナー。

 ポロンポロン。

 何かが始まる音がした。

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