ジェーン・スー 宇多田ヒカルデビュー25年周年のライブを観に国立代々木競技場へ。傍観者だった私は、いつの間にか彼女と一対一で対峙していた
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6年ぶりにライブへ
午後3時をとっくに過ぎているというのに、夕方の気配など微塵も感じさせない陽射しの強さだ。首筋から汗がとめどなく滴り落ちる。タオルハンカチでそれを受け止める。帽子をかぶってくればよかったと頭に手をやると、つむじのあたりはホットカーペットのように熱い。体感気温は35度といったところ。夏がどんどん暑くなっているのか、私が加齢で弱って耐えきれなくなっているのか、両方か。
その日、私は原宿にいた。デビュー25周年を記念したポッドキャスト番組のナビゲーターを務めたご縁で、宇多田ヒカルさんのライブにご招待いただき、国立代々木競技場第一体育館までの道を歩いていた。ライブを観るのは6年ぶりだった。彼女のライブが開催されるのも6年ぶり。ツアーを頻繁に行うアーティストではない。
国立代々木競技場第一体育館のキャパシティは約1万3000人だ。それだけの人が集まれば、そこには熱気が渦を巻く。入場すると、当然ながらすべての席は埋まっていた。人々の胸が期待で高鳴っているのが伝わってくる。しかし、その熱は「熱狂」とは少し温度が違うのだ。もっと控えめでパーソナルな、しかし確固とした約束や信頼のような、たとえるなら空港のターミナル到着口で大切な人を待つ1万3000人。塊ではなく、ひとりひとりが個として宇多田ヒカルを待っている。私はといえば、この時はまだ傍観者だった。
ほどなくして白いジャンプスーツに白いジャケットを羽織った彼女がステージに降り立つと、観客は感嘆と歓声で出迎えた。初のベストアルバム発売を記念したツアーなので、誰もが口ずさめる曲が年代順に歌われていく。一曲ずつ年表にピンを打っていくように。
ひとりひとり
通常のライブでは、中盤や終盤にヤマを持ってくる演出が施される。意図的なのか否かわからないが、あえてヤマを作らないようにしているふうに私には見えた。MCで観客を煽ることも、ダンサーを従えることもなく、彼女もまた1万3000人と一対一の会話をする。客もそれを心から祝福している。あたたかく静かな空間。気づけば汗はすっかり引いていた。
途中のMCで彼女は、ファンのみんなにとっての25年でもあると話した。見回すと、確かに25年の月日を経た顔の大人が多い。私も例外ではない。それぞれの25年に、それぞれのヤマがある。
終盤に差し掛かったころ、彼女が「花束を君に」を歌い出した。
「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」から始まるこの曲を初めて聴いた時、彼女が亡き母のことを歌っているとすぐにわかった。私の母も、普段はほとんどメイクをしない人だったから。病院から家に戻ってきてからもパンパンにむくんだままだった顔は、翌朝にはすっかりしぼみ、死に化粧が施された姿は、よく知る母のようでもあり、知らない人のようでもあった。
母が亡くなって27年になる。あれからずっと、私はなにも弔えていないような気がする。申し訳なさが一気に襲ってくる。喪失感や後悔や憤怒がないまぜになって、涙がどんどんあふれてきた。
傍観者だった私は、いつの間にか宇多田ヒカルと一対一で対峙していた。「みんな」のうちのひとりとして、彼女は私を扱わない。
宇多田ヒカルがファンにとって、たったひとりのアーティストである所以が理解できたような気がした。と同時に、「個」と「個」としてファンと対峙するには膨大なエネルギーが必要だろうと、天を仰ぎたくもなった。
10/23 12:30
婦人公論.jp