寛一郎主演『シサム』アイヌと日本人との関係性を描いた作品。主人公が救えなかったアイヌの人々への想いを胸にとった行動とは
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映画『シサム』の意義
私は実はアイヌ文化ファン。阿寒湖温泉を訪ねた時にアイヌコタン村を見て、アイヌの踊りと音楽を堪能したのがきっかけ。だから今回の映画『シサム』の完成を知り、早速試写を申し込む。アイヌについては可能な限り資料を見ていたが、彼らは文字をもたなかったので、彼らが日本人による弾圧の中で何を思ったのかは、よくわからなかったが、アイヌの人々を弾圧し、その生きる土地を奪ったのは私たちなのではと心を痛めてきた。
古来アイヌの人々は自由に交易をし、狩りで得た毛皮などを日本本土の人々に売るなどして生活してきたが、江戸時代に入ると徳川幕府の命をうけた松前藩がアイヌとの交易を独占。要するに商社として取引に介入し、アイヌの人々に不利な交易をし、その生活を貧く追い詰めた。其れに対してアイヌ民族が蜂起し、交戦した時代がこの映画のバックグラウンドだ。
時代がさらに下って明治になると、「文明国」への発展目指す明治政府はアイヌの人々の文化を「野蛮」と見下し、強制的に土地を奪い、日本への同化政策を計った。要するにネイティブ・アメリカンを駆逐したアメリカと同じことを、日本政府はアイヌの人々にしたのである。
そのことをはっきりと描く映画や漫画が現れてきたのは、意義深いことだと思う。私達は間違ってきた過去については謝罪し、改めていく責任があるからだ。
しかし、この映画はそういった責任云々の物語ではなく、普通にヒューマン時代ドラマとして見られるので、ぜひ劇場に足を運んでほしい。何よりもおすすめしたいのは、北海道の大自然の中で、たくましくも人間らしく生きるアイヌの生活描写だ。
私達は、電化されて便利になった生活を「文明的」と思うのかもしれないが、自然と共生して生きていくことは、更に知的で文化的なのではと思わせされる。
アイヌの生活
アイヌの人々は自然そのものを神「カムイ」として崇め、クマやアザラシさえも狩猟する知恵と技能をもち、それを食するときは感謝の捧げものを神にしてからみんなで分け合う。
男には男の、女には女の役割があり、動物たちがそうなようにその関係性は平等に見える。ムックリなど自然界の音を音楽とする楽器を奏で、川を上ってくる鮭の漁は、産卵が終わった後で。そうすれば来年の鮭の水揚げ量の確保にもなるからだ。そんな風に豊かに暮らすアイヌの人々を、日本人は悲しいことだが迫害した。
映画の主人公で松前藩武士の息子・高坂孝二郎(寛一郎)と兄の栄之助(三浦貴大)は、アイヌの人々からコメとの交換で得た交易品を他藩に売る仕事をしている。孝二郎は交換される米俵が年々小さくなっていることを疑問に思うが、兄は「コメの値段が上がっているから仕方ないのだ」と言う。
要するに、アイヌの人々に不利な交易がはじまっているわけで、例えば元々はアザラシの毛皮5匹が10kgの米になっていたのが、8kg、6kg、と言った具合に減っていっているという事。本当はもう少し江戸幕府と松前藩の悪事をはっきり書いてほしかったところだが、映画は、使用人の善助が不審な行動をしているのを兄の栄之助が見つけ、咎めた栄之助が殺される事件から、「孝二郎が兄の仇討ちを決意して蝦夷の森に分け入る」という方向転換をする。
わたしは寛一郎と言う俳優を初めて見た。芝居はやや固いが逸材だと思う。アップに耐える甘すぎない美青年、体躯も立派、真摯な人柄が外面に透けて見えるような俳優だ。
さて、孝二郎は善助を見つけて斬りかかるも、反撃されて川へ転落。しかし傷を負いつつも川岸に流れ着き、アイヌの村人に発見されて救出され、手当てをうけることになる。孝二郎は言葉も通じない異文化の村の中で体が回復するのを待ちながら、だんだんアイヌの生活になじみ、彼らと心を交わしていく。
シサムとアイヌ
アイヌの人々が和人、即ち日本人のことを呼ぶ言葉が即ちこの映画のタイトルとなる「シサム」だ。
「我々を苦しめるシサムをなぜ手当てし、匿うのだ?」と言う村人も当然出てるが、心優しい村の長や女たちに守られ、孝二郎はだんだん回復、鮭漁にも参加する。このあたりになると、皆さんも相当に「アイヌファン」になってしまうのではないか。私も体が丈夫であったら、こんなふうに大自然の中で暮らしてみたい。実際はすぐに寒さや病にやられ、半年と持たないと思うが、憧れる生活だ。
さて、孝二郎とアイヌ娘との甘い恋愛も始まるのかと思ったが、本作はそんなイージーさを許さなかった。孝二郎はやがて善助と再会するが、その時には和人とアイヌの衝突と交戦が既に激化していた。
そんな中で遂に孝二郎は兄の仇、善助と再会。一度は完全に叩きのめされた善助に孝二郎は勝てるのか? 実は善助には、松前藩を裏切る理由があった。そのうえ更に重い宿命を抱えていることを、孝二郎は知ることになる。
孝二郎は仇討ちの「義」と、人としての「仁」の板挟みに懊悩することになるのだが、最終的に孝二郎がとった行動とは!?
善助との再会以降の展開は息を飲むばかり。実際は映画以上に残虐な殺戮があったろう。心に刺さる様々なシ―ンが続き、最終的にアイヌの苦難の未来を感じさせるが、映画を見終わって一抹のエクスタシーを感じるのは主人公や数人の武士たちの行動の中に、人間らしさを垣間見せてもらえたからだ。
見ごたえのある作品
最後、孝二郎は救えなかったアイヌの人々への想いを胸に、ある行動を選び取る。
孝二郎のような日本人がいたから、私たちは今、一抹でもアイヌの人々の生活を知り、その苦難の民族史を想像できるのだ。
その行動とは、文字をもたなかったアイヌの人々の悲哀を書き残すことだ。このストイックな役柄を、まだ若い寛一郎は立派に演じたと思う。
悲劇の女性を演じたサヘル・ローズ、過去を背負った仇の善助を演じた和田正人、松前藩を率いる大川役の緒形直人、和人に対抗するアイヌのリーダーに藤本隆宏など、実力派俳優が脇を固め。見ごたえのある作品になっている。是非劇場へ!
09/13 12:30
婦人公論.jp