ヤマザキマリ 17歳から留学したことで<きつい>イタリア語が母国語に近い存在に。<優しい>はずの日本語で人から騙される私へ友人が助言した内容とは

今では環境によって「言語のスイッチ」が切り替わり――
17歳から留学をしたため、イタリア語が母国語に近い存在になったというマリさん。とくに「悪口」は、イタリア語でないと伝えられないものが多いそうで――。(文・写真=ヤマザキマリ)

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【写真】マリさん撮影。イタリアの街角で

日本語をしゃべっているつもりでイタリア語が

私の母国語は日本語だが、17歳でイタリアに留学してからイタリア語しか話せない環境のなかで過ごしていたため、2年後に日本に一時帰国したときは、驚くことに日本語がしゃべれなくなっていた。正確には、日本語をしゃべっているつもりでイタリア語が出てくるのだ。

決してわざとではないのに、会話中の相手に「イタリア語自慢?」などと突っ込まれても、ただ動揺するしかなかった。

14歳で出漁中に嵐に見舞われ遭難するも米国の船に助けられ、その後しばらく米国で暮らしたジョン万次郎も、日本に戻ってきたときには日本語をほとんど忘れてしまっていたという。

外国語を習得するなら脳がフレキシブルな10代まで、などとよく言われるが、おそらく何歳であろうと、母国語が一切通じない外国にしばらく放り出されれば、誰でもその土地の言葉を習得できるようにも思う。ただ、もともと話していた言葉を忘れてしまう、という現象は、若いときほど顕著かもしれない。

言語のスイッチ

その後、日本語をしゃべらないイタリア人と結婚し、今もイタリアと日本をたびたび往復していることもあり、イタリア語は私にとってほぼ母国語に近いものになっている。どちらかの言語をどちらかに翻訳しながら話したり聞いたりしているわけではなく、環境によって自動的に言語のスイッチが切り替わるのだ。

だから、日本語では表現できてもイタリア語ではなかなか正確に言い表せない言葉や、イタリア語でなければ伝えられないような言葉もたくさんある。とくに悪口がそうだ。

日本を去った17歳の私は、正直日本語が未熟だったし、人生経験も浅かったので、誰かに何かを訴えたり、口論をしたり、自己主張をしたりといった、生き延びるのに必要な強い言語表現はすべてイタリアへ行ってから習得した。

日本人と日本語をもっと理解しなさい

そもそもイタリア語は、標準レベルでも日本語よりきつい表現が多い。

当時同棲していた彼氏は、イタリア全土でも柄の悪さでは屈指と言われるフィレンツェことばのスピーカーで、下町で商売を始めるに至って、さらに輪をかけてオゲレツな下町バージョンを身につけてしまったので、私のイタリア語は、怒った場合に限り、夫が絶句するほどひどい。

先日、イタリアのドラマを見ていたら、登場人物たちが口にする強烈な言葉が日本語の字幕では柔らかい表現になっているのに気がついた。清楚な女性が怒りに任せて相手を罵る言葉が上品な表現に置き換えられているのは、言語コンプライアンス以前に、そのようにアレンジしなければ日本の人に届く表現にならないからなのだろう。

悪しき感情が芽生えると、その場で外へ放出してしまうイタリア語の世界で生きてきた私にとって、日本語は悪口に至るまでが優しく感じられる。にもかかわらず人に騙されたり辛辣な目にあったりしたのは、その言語表現の先入観のせいではないか。

そんな話を友人にしてみたところ、「言語は関係なし。あんたがお人好しすぎるだけ。日本人と日本語をもっと理解しなさい」と断言された。

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