『オッペンハイマー』この映画が描く恐ろしいものは「人間の心」と「権力の闇」。ノーベルはその名を冠した賞まで運営されているのに

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1989年に漫画家デビュー、その後、膠原病と闘いながら、作家・歌手・画家としても活動しているさかもと未明さんは、子どもの頃から大の映画好き。古今東西のさまざまな作品について、愛をこめて語りつくします!(写真・イラスト◎筆者)

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【漫画】核実験は世界を滅ぼすリスクを抱えて…

観客に一瞬の気の緩みも許さない

「プロメテウスは人間に火を与えた。その罰として永劫の苦しみを与えられた」

ギリシア神話の引用から始まるこの一文と、オッペンハイマーの人生解釈を凝縮し、IMAX社の最新フィルムで撮影された激しい炎の映像のオープニングは、たちまち私たちを映画の中に没入させてしまう。

瞬間、ヴィスコンティの『地獄に堕ちた勇者ども』、のオープニングを連想した。不朽の名作だが、立体感や迫力で言えばすでに「古典」なのだと思い知る。『オッペンハイマー』で、映画界は確かに新しい一歩を踏み出した!

原爆の父である科学者「オッペンハイマー」をプロメテウスに例えたこの作品は、実に見事なシナリオと構成、俳優、そして技術で成り立ち、観客に一瞬の気の緩みも許さない。

一時期のハリウッドは技術競争に溺れ、内容を失った。故に私はハリウッド映画を敬遠してきたが、最近のハリウッド、いいじゃないか!! 本作の技術は、見事な人間描写を掘り下げるために正しく活かされている。

アインシュタインにも認められる知の巨人

さて、オッペンハイマーはアインシュタインにも認められる知の巨人であり、第2次世界大戦中に米ソが競うようにして進めた原子力研究の頂点を極めた人物だ。科学者としてあらゆる栄誉に浴し、運命に導かれるようにアメリカ政府の進める原子力開発責任者に。 

砂漠の中に実験場の街を1つ造って、原爆実験をした。広島と長崎に原爆が投下されたのは、初の原爆実験が行われて間もなくだ。

時の大統領トルーマンはいう。

「原爆を落とすのが、日本を降伏させ、戦争を終わらせる唯一の手段だ」と。

日本人は、総じてこの映画を直視すべきだ

この映画は被爆地の惨禍を描写することがテーマではないため、現地被害の描写は決して多くない。あくまでもアメリカの科学者が感じた「ヒロシマ・ナガサキ」だが、原爆の威力の恐ろしさ、被害の悲惨さと、オッペンハイマーの罪の意識は十分描写されている。

実験前の計算式だけだと、「CHAIN REACTION(連鎖反応)」が止まらなかった場合、世界が火の海になる可能性があるとさえ指摘される。「爆発で終わるのか、世界が滅びるのか」という恐怖で実験を迷うオッペンハイマー。それでも実験は断行された。「ソ連より先に原爆を作らねばならない」という、アメリカ政府の要求が勝ったのだ。

実験は成功。そして人間は、「核の時代」という新しくも恐ろしい時代に踏み込んでいく。その様が実に綿密な取材に基づき、リアルなカメラワークで描写されるので、私たちは実際にその場にいるような感覚に襲われる。

この手腕には脱帽するほかはなく、こういった映画作りが可能なのは常にアメリカの機密情報公開が保証されている所以だろう。また、改めて広島と長崎の被害の甚大さ、何世代にも渡る被害者の苦しみを痛感した。私たち日本人は、総じてこの映画を直視すべきだ。

非核化は困難を極める

世界が第3次世界大戦の様相を帯びている現在、「核廃絶」がなされれば一番良いが、事実上の核保有国が国連の常任理事であり、第2次大戦後の「PAX AMERICANA」が、現実にはアメリカの「核の力」によってもたらされていたのも現実だ。

しかしそれが冷戦を生み出し、現在では国連もロシアの暴走を止めることができない。もしアメリカやイギリス、フランスが核放棄をすれば、ロシア・中国をはじめ他の保有国の暴走は加速するだろう。故に非核化は困難を極める。

かといって、原爆や水爆が実戦で使われることが在ってはならない。何世代に渡りその土地に人間が住めなくなるような核兵器は格別なのだ。私たち日本人は被爆国の一員として、もっと「ヒロシマ・ナガサキ」の惨禍を伝えるべきだろう。

そしてその時、70年に及ぶ核アレルギーを乗り越え、「議論することさえタブー」という空気を乗り越えなくてはいけない。なぜダメなのかをロジカルに立証しつつ、平和維持の為のよりよいシステムを提案すべきだ。そして核廃棄物の処理や、放射能汚染の除去の研究も進めるべきだろう。

「人間の心」と「権力の闇」

プロメテウスは人間を寒さから救った代わりに、永遠に山の頂に縛められ、禿鷹に内臓を食いちぎられ続けるという罰を受けた。それは未来永劫に続く、即ちその罰を受け続けるべきは私たち自身だろう。

人生は辛くて当たり前なのだ。私たちは神であるプロメテウスと違い、「死によって苦しみから解放されるのだからまだ楽だ」と思えばいい。それを考え続けることから逃げた時、私たちは地球さえ破壊する武器によって滅びるしかない。

さて、この映画が描くもう1つの恐ろしいものは「人間の心」と「権力の闇」だ。一度は科学者としての頂点を極めたオッペンハイマーだが、原爆が多くの日本人の命を奪ったことに苦悩し、更に強大な破壊力を持つ水爆の研究を求められたが拒絶する。

そのあと彼にはソ連のスパイであるという嫌疑がかけられ、弁護士もつかない密室の尋問のような聴聞会にかけられたうえ、名誉も生活基盤も剥奪される。「アメリカは民主主義の国ではなかったのか?」と叫びたくなるほどの不当な扱いだ。

「赤狩り」というものも、何のエビデンスもない迫害にしか見えない。共産主義という考え方に傾倒したからと言って何が悪いのか? 結局の処、「時の政権・権力に逆らうものに人権なし」が現実なのだろう。

戦争の影が濃い時ほど勢いがある

これはアメリカがもっとも豊かさを享受した時代のこと。この後は朝鮮戦争があり、マリリン・モンローが慰問にいって、アメリカ兵に熱狂的に迎えられた。ベトナム戦争やキューバ危機も起きた。現在もそうだが、戦争の影が濃い時ほどアメリカの映画界・エンタメ界には勢いがある。

アメリカのカルチャーとエンターテインメント界の才能が花咲く中、公職追放のまま残りの人生を過ごすオッペンハイマー。彼程、アメリカの光と影を色濃く受けた人物はいないだろう。彼の発明は多くの人の命を奪ったが、充分すぎる罰を受けたとも言える。

しかし、ダイナマイトを発明したノーベルはその名を冠した賞まで運営されているのとは大きな対比だ。其れだけ「原爆」と言うのは、ダイナマイトを遥かに越えた破壊力を持ったという事なのだ。

救いはオッペンハイマーの最晩年、まだ上院議員だったケネディによって、名誉回復がされたことだ。オッペンハイマーは受勲の2年後に喉頭がんで死去したが、彼の業績と人間性を正当に評価した人物がいたことは救いだ。しかしこのケネディも、大統領に就任して僅か2年数ヵ月で暗殺されている。

アメリカは果たして自由の国なのか、武器商人たちによって動かされる危険な国なのか。本作『オッペンハイマー』はアメリカの光と影を見事に描き出している。次期大統領選にも大きな影響を与えるだろう。

P.S.『オッペンハイマー』をみたあと、無性にJ.F.ケネディが気になり、オリバー・ストーンの『JFK』を見た。見事な映画で、抱き合わせで見ることをおすすめ。こういう映画を見て、日本の官界・政界も変わって欲しいです、マジで!

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