ヤマザキマリ 災害や事故を前にしても沈着冷静な様子が世界から賞賛される日本人。「危機的状況下こそ他人の指示なんて信じられない」と話すイタリア人夫の話を聞いて考えたこと

大震災の報道を見たイタリア人の友人から、一度は帰国の考えを改めるように促されたそうですがーー
フィレンツェの友人宅で阪神・淡路大震災の報道を見ていたというマリさん。最初は帰国の考えを改めるように促してきた友人でしたが、間もなく「日本へ帰ったほうがいいかもしれない」と言い始めたそうで――。(文・写真=ヤマザキマリ)

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【写真】整然と行列に並ぶ人たち(撮影:ヤマザキマリ)

フィレンツェで阪神・淡路大震災の報道を見て

1995年の1月、当時フィレンツェに暮らしていた私は、友人宅のテレビで阪神・淡路大震災の発生を告げるニュースを見ていた。ちょうどその頃、未婚で産んだ子どもを育てるために、11年ぶりに日本へ帰ろうかどうしようか迷っている最中だったが、この大震災の報道は友人から帰国の考えを改めるよう強く促されるきっかけになった。

しかしそれから間もなく、彼女は「やっぱり、ひとりで子育てをするなら、日本へ帰ったほうがいいかもしれない」と言い始めた。

震災後、被災地での炊き出しの様子が映し出されているテレビの報道で、惨憺たるありさまの中においても静かに順番を守って列に並ぶ人々の様子を見ていてそう感じたのだという。

こんな大惨事と向き合いつつも、みんな他者を慮って社会的秩序を保っているなんて素晴らしい、という彼女と同様の見解は他の国のメディアでも大きな話題になっていた。

災害が起これば商業施設などでの略奪の発生はわりと当たり前のことであり、支援物資の受け取りにも大人しく列に並べない人はたくさんいる。少なくとも子どものうちは、日本のように社会的秩序を育成してくれる国で育つべきだと友人は思ったのだという。

日本で重んじられているもの

震災時における日本人の沈着冷静な様子は、2011年の東日本大震災の発生時にも世界各国のメディアで話題になった。

原発事故も併発する規模の大震災でありながら、人々は怒りや不満に煽られ暴徒と化すわけでもない。個人主義が社会のベースとなっている国の人たちには、こうした心理が俄かには呑み込めないらしい。

実際、情動と抑制が保たれた、日本人に顕著なこうした精神性は、アメリカやブラジルなど過去に日本人が移民した国々でちょっとした脅威と捉えられていた場合もある。

宗教観の違いなど差異の理由はさまざまだと思うが、やはり日本のような島国では「自分が、自分が」という個人主義的な振る舞いは、社会をまとめるうえでは理想的手段にはならない。

日本は法が宗教的な戒律や理念と紐付いていないぶん、社会の流動的な兆候や空気が重んじられている。そうした心理構造が災害などのパニック時に顕在化するのだろう。

どちらが良い悪いという話ではないが

新年に能登で発生した地震は、知人が暮らす場所が震源地に近かっただけに自分も大きな衝撃を受けたが、ここでもまたつらさと悲しみの底にあっても、静かに現状を受け入れている人々の様子が世界中のテレビに映し出されることとなった。

そして、その直後に起きた羽田空港での衝突炎上事故でも、乗客たちが全員速やかに機体から脱出したことが世界中で絶賛されたが、イタリア人の夫曰く、「自分ならどんな指示をされようと鞄を機内に置いていくなんて無理。危機的状況下こそ他人の指示なんて信じられない」のだそうだ。

どちらが良い悪いという話ではない。ただやはり、地球に暮らす人の人間性が、一筋縄ではいかないほど多様であることは知っておく必要がある。

羽田空港のニュース映像を見ながら、「もしここに自分がいたら……」という夫の呟きにそんなことを考えさせられた。

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