61歳で先に逝った妻。生命力がなくなる中でも嘆くことなく明るい声で語り、笑って…ベストセラー作家の夫を驚かせた<あっぱれな最期>

妻は最期まで嘆かず焦らず、泰然としていてーー(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

2022年、61歳の奥様に先立たれたというベストセラー作家の樋口裕一さん。10歳年下の奥様は、1年余りの闘病ののちに亡くなられたとのことですが、樋口さんいわく「家族がうろたえる中、本人は愚痴や泣き言をほとんど言わずに泰然と死んでいった」そうです。「怒りっぽく、欠点も少なくなかった」という奥様が、なぜ<あっぱれな最期>を迎えられたのでしょうか? 樋口さんが奥様と自らの人生を振り返りながら「よく死ぬための生き方」を問います。

【書影】ベストセラー作家は自分の妻の死をどう受け止めた?『凡人のためのあっぱれな最期』

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私の死後30年は生きると思っていた妻に先立たれて

2022年8月、妻・紀子が亡くなった。61歳だった。現在では若すぎる死と言って間違いないだろう。

妻は私より10歳年下の専業主婦。私の死後30年か、ことによったら40年も生きていくものと思い込んでいたのだったが、私よりも先に逝ってしまった。

2021年の4月に異常出血があり、近くの医院で診てもらったところ、癌(がん)の疑いがあるとのことで大きな病院での検査を勧められ、結果として、子宮体癌が見つかった。

病院で6月に手術。ともあれ手術は成功した。その後、標準治療を進め、8月から抗癌剤治療も行った。

少しやせ、髪は抜けたが、その時点では、抗癌剤の副作用も覚悟していたほどひどいものではなく、このまま治療を続ければ、あと数年は少なくとも生きていけるに違いない、うまくすると、癌と付き合いながら天寿を全うできるかもしれないという期待を抱いていた。

手術は成功したが再発。ホスピスに入って…

ところが、2022年に入ったばかりの1月にMRI検査を受けて再発が判明した。

病院での治療は妻に合わず、少しも効果を示さないばかりか、むしろ妻の身体は弱るばかりだった。標準治療だけでなく、怪しげな「先端医療」も試みた。

治療がむしろ体力をなくしてしまうということで、毛髪も再び生えてきたこともあり、しばらく抗癌剤治療を中止して、温泉に行くなどして過ごしていたが、8月に病状が急変して、そのまま入院、すぐにホスピスに入って帰らぬ人になったのだった。

その間、家族はあたふたとし、時に絶望し、検査結果に一喜一憂したのだったが、ただ一人、泰然(たいぜん)としていたのが妻本人だった。

『イワン・イリイチの死』

レフ・トルストイの中編小説『イワン・イリイチの死』は、死をリアルに描き、人間の死について深く考察した不朽の名作として知られている。

そこには、それなりの苦難の道を歩みながらも人生の成功者だった裁判官イワン・イリイチが病に冒され、死を意識して、最後には諦めて死んでいく様子が克明に描かれている。それが死を予感した人間の普遍的な姿だろう。私はずっとそう思っていた。

『イワン・イリイチの死』では、病に冒されて治療を受けるイワンは自分の苦しみをわかってくれない家族や友人に不満を抱く。時に当たり散らす。いっそのこと遊びまくろうとも思う。死が逃れようがないと意識すると、絶望にかられる。どうしても自分が死ぬことには納得がいかない。

「私が死ななくてはならないなんて、ありえないじゃないか。それはあまりにも非道なことだ」(『イワン・イリイチの死』望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)

と考える。そして、絶望と希望の間を行ったり来たりし、医師や周囲の人の、本当の病状を悟らせまいとする嘘に苛立つ。仕事に励もうと考えたり、そして、なぜ真面目に、堅実に生きてきた自分がこんな目に遭うのだと運命を呪ったりを繰り返す。

「抵抗しても無駄だ」彼は自分に言った。「だが、せめてその理由が知りたい。だがそれも不可能だ。仮に私が誤った生き方をしてきたのなら、説明もつくだろう。だがいまさらそんなことを認めるわけにはいかない」自分の人生が法にかなった、正しい、立派な人生であったことを思い起こしながら、彼はそうつぶやいた。「そんなことは決して認めるわけにはいかないぞ」彼は唇を笑いにゆがめた――まるで誰かがその笑いに目を留めて、それにだまされることがあるかのように。「説明はない! ただ苦しみ、死んでいくだけだ……何のために?」(同)

そのような煩悶(はんもん)の後、イワン・イリイチは最後になってやっと死を受け入れる。

最期までいつも通り過ごした妻

これまで読んだ小説や観た映画でも、死の宣告から死までを描く経緯はそのように描かれていたような気がする。

一例をあげるなら、黒澤明監督の『生きる』もまさに同じような経緯を描いていた。

市役所勤めの定年を間近にした男(志村喬が演じていた)は胃癌で余命いくばくもないことを知り、絶望し、遊ぼうとしたり、自棄になったりした後、徐々に自分の死を受け入れていく。

妻はそのような様子をまったく見せなかった。

絶望している様子も煩悶している様子も見せなかった。涙を流すこともなかった。もしかしたら、人知れずイワン・イリイチのような思いを抱いていたのかもしれないが、少なくとも、そんな様子は少しも外には見せなかった。

私はセミリタイアしている身なので、ほとんどの時間を妻と同じ家の中で過ごした。不定期の仕事で出かけたり、コンサートを聴きに行くことはかなりあったが、基本的には仕事のほとんども自宅でしていた。

妻が元気な時は、妻が家事をし、元気がなくなると私が掃除、洗濯などをして、料理は出前やデパートの弁当、スーパーの総菜、冷凍食品などで済ませた。その間、私が死を前にしての妻の苦悩を目撃することはなかった。

決して人格者ではなく欠点も多い普通の人間だった

再発が発見されてからの7か月間。体力がだんだんと失われて、生命力がなくなっていく妻は本当につらく、苦しかっただろう。しかし、抗癌剤で苦しんでいる時を除いて、妻は大きな声でいつも通りの生活を送っていた。

いつも通り、明るい声で語り、笑っていた。闘病中の人間を持つ家庭は暗くつらいものだと思うが、その中でもそれほど暗い気持ちにならずに済んだのは、妻本人がずっと泰然とし平気な顔でいたからだった。

妻の姉にとっても、兄たちにとっても、妻の危篤は寝耳に水だったようだ。きょうだいたちは、妻の癌についてはもちろん知っていたが、電話で話をしても、嘆くわけでもなく、泣き言をいうわけでもなく、いつも通り明るい声で語るので、快方に向かっていると信じていたという。

友人、知人にもくわしくは話していなかったようだ。不自然に帽子をかぶっているのを見られた人には癌治療について話していたようだが、おそらく妻は深刻な様子を見せなかっただろうから、誰もがすぐに回復すると思っていたに違いない。

私を含めて、妻は誰にも死について嘆くことなく、苦しみを口にすることなく、あっぱれな最期を迎えたのだった。

だが、それにしても、なぜ妻はこのようなあっぱれな死を迎えられたのだろう。妻は達観した人間ではなかった。悟りを開いた高僧のような人格者ではなかった。

しばしば感情的になり、あれこれ当たり散らすこともある欠点の多い普通の人間だった。それなのに、本当にあっぱれな最期を迎えた。私は妻の最期に驚嘆し、なぜ妻がこのような最期を迎えることができたのか疑問に思うばかりだった。

※本稿は『凡人のためのあっぱれな最期』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

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