コロナ禍での誓いから実現まで2年!日本を代表するオケ奏者15人が会した<あり得ない>有観客コンサート「共生へのアンサンブル」実現の裏側

「新たな歩みを進めていることに対する、音楽家たちの確信に満ちた笑顔なのだ」(写真提供:著者)
ここに、一枚の写真がある。15人の音楽家たちがステージ袖に集い、満面の笑顔で収まっている。単なるコンサートを終えたばかりの写真、というわけではない。この写真は、3年にわたる新型コロナウイルスとの闘いを乗り越え、新たな歩みを進めていることに対する、音楽家たちの確信に満ちた笑顔なのだ。コンサートの名は、「『共生へのアンサンブル』コンサート  ~“孤独のアンサンブル”をこえて~」。一体どんな演奏会だったのだろうか。開催のきっかけとなったテレビの特集番組「孤独のアンサンブル」の生みの親で、コンサートの企画演出も担当した元NHKプロデューサー・村松秀さんが振り返る。

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【写真】メンバーたちはそれでも本能的に「集いたい」と思っているのはたしかだった

「孤独のアンサンブル」

2020年4月。未知の新型コロナウイルスの感染拡大による、緊急事態宣言が出された。職場へ行けない、学校へ行けない。すべてが止まった。あらゆる人々が外出自粛し、不要不急を控える日々がやってきた。

NHKのプロデューサーだった筆者も、抱えていた複数の番組が、唐突に延期や中止の憂き目にあうことになった。延期になった一つが、あるオーケストラの特集番組だった。そしてそのとき、オケ奏者たちの窮状を知ることとなる。

この時期、全国ほぼすべてのコンサートは中止に追い込まれていた。オーケストラ奏者たちは、練習で集うこともできない。外出自粛の中で、自宅の狭い防音室にこもり、たった一人で、誰に聴かれるわけでもない音を紡ぐしかなかったのである。

そのとき、番組のタイトルが湧いてきた。

「孤独のアンサンブル」。

ふだん、仲間とともに音を奏で、アンサンブルをすることこそが生きる証であるはずのオーケストラのプレイヤー達が、孤独と向き合い、たった一人だけで奏でる「孤独の音楽」。それを届ける番組を作らなくてはならない、そう思ったのだった。

N響のコンサートマスター・篠崎史紀、都響のコンマス・矢部達哉など、日本のクラシック界の顔であるいくつものオーケストラのトッププレイヤー7名に依頼し、孤独の演奏とインタビューをすべてリモートで収録。それらを数珠つなぎのように並べ、演奏の合間には、東京の無人となった夜景を挟んだ。

着想からわずか3週間強で制作した「オーケストラ・孤独のアンサンブル」(NHK・BS1、2020年5月5日放送)は、人々に癒しと、「孤独だけれど、ひとりぼっちじゃない」というメッセージを届け、大いに話題となった。

その3週間後には続編となる「希望編」も放送。

緊急事態宣言が明けた後の7月には、孤独の音楽を奏でた各オケの超一流プレイヤーたち13名がついに一同に会し、リアルなアンサンブルを演奏した。ヴィオラやコントラバスもいないいびつな編成で、また2mのソーシャルディスタンスを保つという困難を乗り越えてのものだった。それは当時の私たち誰もが、必死につながりを求め活路を見いだしていったことと相似していた。

「明日へのアンサンブル」と題したこの番組は8月22日に放送された。篠崎、矢部、さらに神奈川フィルの石田泰尚という、日本が世界に誇るコンサートマスター3人が初めて一緒に演奏した事実だけでも、クラシック界の事件だった。これら3部作はその後、計20回以上も再放送されるほどの注目を集めていった。

コロナ禍で葛藤し続けた音楽家たちの心の歩みは、拙著「孤独のアンサンブル ~コロナ禍に『音楽の力』を信じる」や以下記事に詳しいので、ご参照されたい。

「コロナで「居場所を失った“13人の音楽家”」はなぜ「奇跡の演奏」を実現できたのか…?」『現代ビジネス』

奇跡の一日

だが。このアンサンブルには、決定的に欠けているものがあった。

『孤独のアンサンブル-コロナ禍に「音楽の力」を信じる』著:村松秀/中央公論新社

それは、「観客」である。

いつか必ず、有観客でのコンサートを実現させる。それこそが、このとき集ったトッププレイヤー達と筆者らの誓いとなった。

そこからが大変だった。実現に至るまで、2年以上もの長い時間がかかることとなる。

「有観客コンサートを実現させたい」と叫び続けて1年近く経った2021年10月ごろ。「NHK音楽祭」の一環として演奏会ができないかと打診があった。担当者がたまたま、かつて筆者が制作していた番組「すイエんサー」のイベントを手掛けていた縁で、声をかけてもらえたのだった。

だが、立ちはだかったのは、スケジュールの壁だった。

すでにコロナ禍も落ち着きを見せ、クラシックのコンサートも概ね正常化へと向かっていた。超一流のプレイヤーであるアンサンブルのメンバーはみな、オーケストラや室内楽、教育などで日々きわめて忙しくなっていた。音楽祭の会場となる東京・渋谷のNHKホールも空きの日にちは限られる。

「明日へのアンサンブル」には出産で参加できなかった二人の女性奏者も合わせ、15名の奏者全員に、急ぎ連絡をとった。

たった一日だけ、すべての空きスケジュールがピッタリ合う日にちがあった。

それは1年後、2022年の12月1日。

各オーケストラの首席級、日本を代表する凄腕のトッププレイヤー15人が一堂に会する、あり得ないような有観客のコンサートが実現する。奇跡の一日である。

集う意味

次なる壁は、いったいどういうコンサートにすべきか、ということだった。

コロナ禍の始まりのときには、誰しもが「孤独」だったからこそ、「孤独のアンサンブル」が多くの視聴者に響いた。ようやく人々が集い始め、明日を見据えられるようになってきたときには「明日へのアンサンブル」が響いた。コロナ禍と対峙する私たちの「心の位置」と連動しながら番組を展開し、癒しと感動を届けることができた。

では2022年12月における、私たちの「心の位置」はどこなのだろうか。

コロナ感染者数が急増する波は、何度も何度も押し寄せていた。だがワクチン接種は進み、規制も緩くなる方向だ。コロナ禍は私たちの願望に沿って、社会的な収斂へ向かっているようでもある。コロナに慣れ、怖いという感覚が遠のいているかもしれない。もはや2022年の年末には、私たちはコロナ禍を「忘却」しているのでは、そんなことを強く感じていた。

であるなら、クラシックのコンサートが正常化する中で、「孤独のアンサンブル」の面々がいまさら集う意味などあるのだろうか?

都響の矢部に相談すると、ともに悩んでくれた。あの当時と違い、メンバーも今は、各々のオーケストラ活動に注力しているし、ともすると単なる「寄せ集め」のコンサートになってしまう、それを打破する意味合いを見つける必要がありますね、と言われた。ただ、矢部を始め、メンバーたちはそれでも本能的に「集いたい」と思っているのはたしかだった。その想いを言語化しなくてはならない。そう思った。

とはいえ、半年たっても、良い言葉は出てこなかった。「希望へのアンサンブル」「未来へのアンサンブル」・・・いろいろと考えたが、どれもしっくりこない。

未来だけを見ていては、何か大事なことを置きざりにしてしまうのではないか。私たちの心の位置が、コロナ禍を忘却しかかっているのだとしても、あのとき強く感じた「孤独」という想いまで忘れてしまってはいけないのではないか。

そうして、ついに出てきた言葉。それが、「共生へのアンサンブル」だった。思いついた途端、一気に企画書の筆が走り始めた。

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私たちは、コロナ禍の「孤独」を決して忘れない。

あのとき、みんな孤独だった。

あなたも、私も、そして音楽家たちも。

私たちの誰もがいたたまれないほどの不安に苛まれた、孤独の日々。

でも、孤独だけれど、ひとりぼっちじゃなかった。

もう一度、みなが共につながる力を確かめよう。

音楽の持つ、心をつなぐ力を確かめよう。

そして、共に生きることで、コロナ禍の先にある未来へと、足を踏み出そう。

「共生へのアンサンブル」。

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「孤独」から「共生」へ

コンセプトができた。次は選曲である。

「明日へのアンサンブル」に続き、今回も曲目はすべて筆者が選ばせていただいた。奏者の皆様の寛大さに、改めて感謝である。

まず決めたのは、コンサートは「孤独」から始まり、徐々に人数が増えて、後半に15人全員のアンサンブルになる、ということだった。文字通り、「孤独」から「共生」へ、という流れそのものを生み出す。

では、「共生」というコンセプトを際立たせる、この15人のアンサンブルでしか聴けない曲とは何なのか。

悩みに悩み、ようやくたどり着いた曲がある。

それが、マーラーの交響曲第6番イ短調『悲劇的』から「アンダンテ」だった。

マーラー自身、仕事にも脂が乗り、結婚生活も一番幸福だったとされる時代になぜか書かれていて、のちの第一子の死や本人の心臓病といった悲劇の予兆とも思える曲である。この「アンダンテ」は、悲しみや切なさ、祈りが同居していて、本当に美しい。幸せと悲しみは背中合わせであり、辛さや苦しみを決して忘れず、それでも前を向いて進まねばならない、とも感じる曲の佇まいは、「共生」への希求を示してくれるはずである。

だが。この曲を矢部に告げたときの反応は、芳しくなかった。電話口の向こうで、矢部は「うーん・・・」と言いながら押し黙る。そして「うーん。いま、頭の中でアンダンテを鳴らしているんですが・・・やっぱりどうしても15人だけの響きがしてこないんですよ」と言うのだった。原曲の、100人以上の大編成で演奏されるイメージが失われるのではと心配したのも無理はない。なにより、難しい曲なのだ。

篠崎の反応も似たようなものだった。

しかし、都響の首席オーボエ奏者・広田智之からのリアクションは、まったく違っていた。

「すごい!!それやりたいです!!」

興奮気味に賛同の声をあげてくれた。

「孤独」から「共生」へ。悲しみを乗り越え、一人一人がつながって、次へ進んでいく。コンサートのコンセプトを表すのに、この曲は絶対に必要だ、よくぞこの曲にたどり着いた、と言ってくれたのだった。

また、編曲を担当する山下康介も、「あれだけのコンマス二人が躊躇するくらいだから、逆に挑戦しがいがある、ということですよ。やりましょう」と背中を押してくれた。

数日後、広田から、矢部を説得しておいた、大丈夫、との連絡が入った。

矢部も、できるかぎりのことはする、と言ってくれた。

こうして15人による「アンダンテ」にチャレンジすることになったのだった。

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