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観察と想像、そして説得…スパイ人生にみる人気作家ジョン・ル・カレの真髄

 英スパイ小説の巨匠として知られ、昨年12月に他界したジョン・ル・カレ。同時代には先輩格のグレアム・グリーンやイアン・フレミングがいる。いずれも冷戦時代に実際に諜報の現場で活動した強者だ。「観察力と好奇心はスパイと作家に共通する」というのはル・カレの見方だが、スパイと作家の間には異様な時代を生き抜いた者にしかない精神的なつながりがあった。
生来のスパイ
 「ジョン・ル・カレ」はペンネームだが、由来は不明だ。ロンドンでバスから見た靴屋の名前を借りたと語ったことがあるが、それは嘘で、真の理由は記憶に定かではなかったらしい。出版当初はまだ公務に就いており、本名を明かせなかったが、姓を2語にすれば外国風になると考えていたという。
 本名はデービッド・コーンウェル。父親は詐欺の犯罪者で、その元を逃れようと父親の日常をうかがう少年時代だった。「生まれつきのスパイ」といわれるのもそのためだ。組織内部の二重スパイを暴く代表作『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』でスパイに観察力をほめられる眼鏡の少年が登場するが、それは当時のル・カレそのものだった。
 自伝や伝記もどこまで正確かは分からないが、情報機関で働くようになったのは1958年に26歳で英保安局「MI5」に入ってからだ。60年に英秘密情報部「MI6」に移り、冷戦の最前線の西ドイツで在ボン英国大使館に赴任した。
 MI5を勧めたのは実は、フレミングのジェームズ・ボンド・シリーズに登場する上司「M」のモデルという元MI5幹部だった。観察力の適性を買ったのだが、絵のうまかったル・カレが「M」の著書の挿絵を描いて収入の足しにしていた間柄でもあった。
事実と記憶
 「吐き気と恐怖を覚えるだけだった」。61年8月、ベルリンの壁の構築が始まり、情報提供者の西側への脱出に協力を要請される。事態の衝撃を伝えようと著したのが、壁をはさむ英国と東ドイツの不条理な諜報戦を描いた『寒い国から帰ってきたスパイ』だった。作家の仕事はすでに始めており、3作目となるこの作品でその名が知られる。
 西ドイツでは、連邦議会の外交官席に陣取り、政界やメディアにも人脈を広げた。親しげに接触を図ってきて、その後消息不明となったソ連大使館員や、戦後の法律のおかげで戦争捕虜から外務省高官になった元公務員といった奇妙な話の一方で、連邦情報局員の大掛かりな二重スパイ事件の摘発を目の当たりにしている。
 ただ、ル・カレは、真実は物事の機微の中にあり、自らの生涯を「経験と想像を混ぜ合わせてきた」と自伝で記しているように、小説は記憶を基にした想像の産物である。映画でリチャード・バートンが迫真の演技を見せた主人公も、ロンドンの空港のバーでウイスキーを飲んでいたレインコートの目立たない男性をモデルにしたという。
 『スパイだったスパイ小説家たち』(アンソニー・マスターズ著)によると、ル・カレは、観察して記録する作家の心がスパイの世界で機能すると考えた。グリーンも同様だった。スパイ活動に必要な洞察力や想像力、説得力という資質が創作活動にも共通することに気づいていたという。
荒廃した社会
 冷戦時代に英国でスパイ作家が活躍した背景には当時の英社会の荒廃がある。1930年代に知識層で共産主義への傾倒が広がったことがそこに影響してくるのだが、ル・カレは冷戦時代に、希望の見えない戦後の社会と、ともに破綻がみえる資本主義と共産主義の陰鬱な泥仕合を見ていた。
 MI6の指導教官や上司らがエリートの精神的な荒廃を象徴するかのように二重スパイとして祖国を裏切る。裏切りを嫌ったル・カレはスパイ活動をめぐる政治的な問題ではなく、組織の指示にかかわる人々の道徳の問題に焦点を当てた。裏切りを認められる形で描いたのは、冷戦崩壊直前のソ連訪問でアンドレイ・サハロフ博士と面会した話を基にした『ロシアハウス』が初めてだった。
 一方で、想像の産物ゆえに組織をおとしめるところもあったようで、諜報の世界にいた者からは批判も多かった。ル・カレは「作家は危険分子であり、典型的な裏切り者である」と英紙に語ったことがあるが、どこにいても歓迎される存在とはいえなかったようだ。
 ただ、描いた世界はなお存在感を保っている。日本のスパイ小説作家の先駆者でもある中薗英助氏の指摘を借りると、冷戦崩壊から30年がたっても国家の機密はなくならず、スパイ活動の余地は残る。記憶を基にした虚構にどう事実を見いだすかは読み手しだいだ。ル・カレの作品は変わることなく楽しまれるだろう。
 (文化部 蔭山実)

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