【書評】『一人称単数』村上春樹著 直進するニュー春樹

 3年前の長編『騎士団長殺し』は「過去のハルキ作品のリミックス」みたいな内容だった。村上春樹もひょっとして枯渇したか? そんな不安をかすかに感じた。今回の新作短編集は、この疑いを完全に払拭する。
 冒頭の『石のまくらに』のヒロインは、短歌を詠む女性。春樹は、日本の伝統と隔絶した「バタ臭い作家」といわれてきた。だが、両親から古典文学のスパルタ教育を受け、その反発からアメリカ文学にはまりこんだ作家である。短歌がしきりに引用されるこの一編に彼の「教養の地金」を見る思いがした。
 『クリーム』では、主人公が「あまりに不条理で心を深く乱す出来事」に遭遇する。途方にくれる主人公は、見知らぬ老人から、そうした事件は「人生のエッセンス」には無縁のものとしてやりすごせと教えられる。
 これまでの春樹は「心を乱す不条理」を描く作家であった。その構えを、「エッセンス」にせまるための「迂回(うかい)」と私はとらえていた。そんな春樹が今や、「人生のエッセンス」に直進しようとする。
 『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』では、「人生の至上の時=エッセンス」が直写される(夢のなかで、自分ひとりのために演奏してくれるチャーリー・パーカー!)。『ヤクルト・スワローズ詩集』に示された「甲子園球場で大リーガーのサインボールを手に入れた挿話」も、同様の「至高体験」だ。何の瑕(きず)もないが、「至上の時」をもたらしてはくれない恋人との別離を語る『ウィズ・ザ・ビートルズ』は悲しい。
 『謝肉祭』では、悪や狂気と引きかえてまで「エッセンス」を求めるべきかが問われる。『品川猿の告白』は、「至上の愛」を成就しえぬ渇きを描く。
 ここでの春樹はやはり、いろいろな意味でまっすぐ問題に迫ろうとしているようだ。これまでに浴びた非難の文言に、どれほど彼が傷ついていたか。巻末の『一人称単数』は、この点についての率直な告白だろう。
 個々の挿話のいくつかは、過去の作品を連想させる。だが、ここに見られる「問題をあつかう姿勢」は、従来のこの作者になかったものだ。直進するニュー春樹からのメッセージは、これまで以上に私の心に響いた。(文芸春秋・1500円+税)
 評・助川幸逸郎(岐阜女子大教授)

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