【ザ・インタビュー】男たちが語る「伝説の大女優」 朝井まかてさん新刊「輪舞曲」

作家の朝井まかてさん(C)新潮社

 「私、四十になったら死ぬの」-。大正時代の演劇界で一瞬の煌(きら)めきを放った“伝説の名女優”、伊澤蘭奢(らんじゃ)(1889~1928年)の生涯を色鮮やかに描いた時代小説だ。夫と幼い子を捨て演劇の道に入り、生前に残した言葉通り数え年40歳で死去した蘭奢。彼女を見つめた4人の男たちの目線を通じて、“悪女”が演じた生涯を時代小説の名手が浮き彫りにした。
 島根・津和野の旧家に嫁いだ繁(後の蘭奢)は、上京時に見た大女優・松井須磨子の舞台に心を奪われる。演劇への憧れが高じ、繁は27歳の時に“妻と母の役”から逃げた。出奔先の東京で新劇女優として生まれ変わり、代表作「マダムX」が大ヒット。女優としての絶頂期を迎える。
 「妻や母の役を自ら放棄した女性が、女優・伊澤蘭奢になっていく。彼女の華やかさも罪深さも、私にとっては魅力的でした」
 時は大正。文章からはこの時代特有の自由な空気と若々しさが伝わる一方で、貧しさや息苦しさも随所から漏れる。そんな時代に、演劇界を駆け足で上った蘭奢。数え年40歳の時、かねての口癖通り世を去った。
 「私も最初は名前しか知りませんでしたが、『私、四十になったら死ぬの』という言葉が強烈でした。それと、大正時代は江戸幕府による女歌舞伎の禁止以降、日本の女性が300年ぶりにプロとして演じることを取り戻した時代。日本の女優の創成期を書いてみたい気持ちがありました」
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 物語の語り部は蘭奢本人を含め5人。このうち4人は彼女を取り巻く男性だ。彼らのキャラクターがまた濃い。愛人の出版社社主・政治フィクサー、内藤民治。若く、まだ何者でもなかった頃の活動写真弁士、徳川夢声。後に児童文学者となる帝大生の福田清人。そして、息子で後の作家、伊藤佐喜雄。森鴎外や芥川龍之介ら文豪も、物語に華やかな彩りを添える。
 「周囲の男性たちがすごく魅力的なんです。彼女をめぐり、輪舞曲(ロンド)を踊らせてみたいと思いました」
 4人が蘭奢を見る目は少しずつ異なる。人々の称賛を浴びる華やかな姿。舞台裏の忍耐と努力、人間臭さ。生涯抱え続けた弱さと寂しさ。そして、母としての蘭奢…。読み進めるうちに、“悪女”という記号じみた言葉では言い表せない、一人の生きた人間が浮かび上がってくる。
 「5人分の人生がシャッフルする書き方は小説手法としては危険で、私自身『どうなるのかな』と思いながら書きました。『多視点ならではの小説の美しさというものがある』と思い、挑んだ作品でした」
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 物心ついた頃から文章に親しんできた。ただ、「書きたい」という思いとは裏腹に、小説のタイトルだけを書いて何年も放置するという状態が続いた。
 「死ぬまでに一作書きたい。10年頑張って、一作も書けなかったら自分に引導を渡そう」。こう思い詰めたすえ、46歳の時に大阪文学学校に通い始めたのが転機となった。48歳で作家デビュー。井原西鶴から大坂の商家、妓楼(ぎろう)の女将(おかみ)、名もなき市井の人々まで、江戸期を生きた人々への慈しみが込められた時代小説を発表し続けている。
 「そりゃあ締め切り前は泣いて苦しんでますよ。でも、私は書くことが一番好きなんです。まかり間違って若い頃デビューしてたら少し違う感覚を持ったと思いますが、この先あと何年生きるか分からない。世の中で今何が起きていても、自分が書くべきことを粛々と書くしかありません」
 本書の終盤で、作者本人も「全く予期していなかった俳優が突如舞台に現れた」という。
 「映画や舞台ではありえない、小説ならではの面白さでした。小説を書きたいと思っている人は、今こそ書いてほしいと思っています」
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3つのQ
Qペンネームの由来は?
不思議がられる名前ですが、沖縄出身の祖母の名前からもらいました
Q新型コロナウイルス禍の現在、気晴らしの方法は?
夕食後に映画を見たり、寝る前に趣味の本を読んだりすること。最近は英作家ヴァージニア・ウルフを久しぶりに読んでいます
Q大の愛猫家。近況は?
ヤンチャですが、もう23歳の猫。衰えるのは自然の流れですし、死は戦うものではないという感覚が私にはあります。生の光が色を変えていくさまを見守っています(本間英士)
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 あさい・まかて 昭和34年、大阪府生まれ。甲南女子大卒。広告制作会社でコピーライターとして勤務したのち、独立。平成20年、小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し作家デビュー。26年、『恋歌』で直木賞、『阿蘭陀(おらんだ)西鶴』で織田作之助賞。28年、『眩(くらら)』で中山義秀文学賞。29年、『福袋』で舟橋聖一文学賞。30年、『雲上雲下』で中央公論文芸賞、『悪玉伝』で司馬遼太郎賞。

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