【話の肖像画】福岡ソフトバンクホークス球団会長・王貞治(79)(13) 現役引退…残留で後悔

会見で現役引退と助監督就任を発表した=昭和55年11月

 《昭和55年、30本塁打したのに現役生活に別れを告げた》
 大リーグのハンク・アーロンの記録を抜いたと騒がれた756号(52年9月3日)の頃はまだ37歳。体力的にも全然やれるという気がしていた。その年も50ホーマーしたし、僕自身43歳までやる予定だった。現役生活25年間という区切りもあったので。辞める年(55年)の8月までは、そのつもりだった。でもいままで何とも思わなかったボールが速く見え始めた。130キロに満たないような速球に差し込まれた。動体視力が急激に落ちてきたんです。
 やはり4番打者が4番の仕事ができなくなったらチームに迷惑がかかる。辞めた方がいいかな、と思ったときから、そういう思いがどんどん強くなっていった。でも打ったときは「まだいける」という気持ちにもなった。揺れ動きました。最後の最後まで葛藤の連続でした。一度辞めたら、戻れない世界ですからね。兄貴(鉄城(てつじょう)さん)にも「もう1年やったら」と言われたのですが、最後は自分で決断しました。
 女房にも伝えました。「決めたことには何も言いません」と言われた。僕は野球ばかりをやっていて、家のことは子育てを含めて全て女房に任せっきりだったが、最後の最後まで家を守ってくれた。そのことには本当に感謝しています。最終年はホームラン30本。周りからは「30本も打ってるのに…」ともいわれました。バットを置く寂しさはありましたが、王貞治としてのバッティングができなくなったということです。
 今思えば、“世界記録”だとか騒がれた756号を達成し、その年のオフには国民栄誉賞までいただいた。自分ではそんな意識は全くなかったが、一種の達成感のようなものが心の片隅に入ってきたのかもしれません。それでも悔いのない現役生活でした。
 《現役生活22年間、868本塁打、1967得点、5862塁打、2170打点、2390四球、427敬遠、出塁率4割4分6厘、長打率6割3分4厘は通算日本記録として燦然(さんぜん)と輝く。55年を最後に引退したが、長嶋茂雄監督“解任騒動”に巻き込まれた。そして今でも「悔いが残る巨人残留」》
 公式戦が終わった翌日(10月21日)に引退会見をやる予定でした。ところが、ミスターの監督退任騒動があって、それどころではなくなった。結局2週間後の11月4日に引退発表(東京・芝の東京グランドホテル)しましたが、この件でひとつ悔いが残っていることがあります。
 それはユニホームを脱いだら、一度外に出て野球を見るべきだったということです。ずっと同じ所にいると視野が狭くなる。外に出ると中からでは見えない部分も見えてくる。僕もそうするつもりでした。
 でもあの時は「長嶋さんが辞める。その上、王も」ということになると球団は大変だった。球団側に説得されました。僕もジャイアンツに恩義があったので、最後は折れて(助監督を)受けることにしましたが、今考えても毅然(きぜん)として、「将来的には戻って来ることはできますけど、ここは外に出ます」と言えなかったことは、今でも悔いが残ってます。(聞き手 清水満)

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