【話の肖像画】シンガー・ソングライター BORO(65)(8)楽曲提供は100曲以上

ラジオ出演をきっかけに、島田紳助(左)の要請で映画作りに加わった

 〈「大阪で生まれた女」がヒットすると、歌手や俳優、お笑い芸人といったさまざまなジャンルの芸能人から楽曲提供の依頼が殺到した〉
 デビューしてすぐ、あちこちからアッという間に来ましたね。「大阪で生まれた女」の作者というだけで、まさかあんなに来るとは思いませんでした。沢田研二さんが一番早かったかもしれません。お笑いの方からもたくさん来ましたね。紳助(島田紳助)、オール巨人さん、山田邦子さん。歌手の小泉今日子さんからも。いっぱい作りました。
 内田裕也さんプロデュースで「大阪で生まれた女」を歌ったショーケン(萩原健一)がロックシンガーでありながら役者でしたから、ショーケンを意識した方からの依頼が多かったですね。松田優作さん、根津甚八さん。「BOROに頼んだら、あんな曲をかいてもらえる」ってね。ショーケンが歌うことによって株が一つ上がりました。
 最初のころは「大阪で生まれた女」みたいな曲をかいてくれといわれることが多かった。基本的には全部引き受けていました。提供したのは100曲、もっとあるかも分かりません。
 〈映画の音楽監督も担当した〉
 デビューしてすぐのころ、紳助のラジオ番組に出演し、紳助が夢を語るコーナーで、紳助が「おれは将来、青春映画を作るんや。その監督をやる。BORO、そのときは音楽監督頼むな」と言ったんです。そして何年か後に、紳助が「いよいよやるで」と依頼してきて。それで「はい分かりました」と。
 「風、スローダウン」(平成3年)という映画です。バイクレースで走り終わった後、選手はサーキット場をゆっくり1周するんですね。それがスローダウン。それと人生とをかけて。戦ったあとの静けさというか。人生には青春っていうものがあって、ヒートアップして事故ったり、いろいろなことがあるけど、最後は穏やかな風に戻っていくというね。
 「これが正しい青春映画や」って紳助は言うんです。ありのままに描く。映画の中で役者が泣くシーンがありました。その場面で、紳助が「BORO、ちょっときてくれ。ちょっと歌うてくれ」と。シーンを演じる直前、役者の耳元で歌うと、感情が高まってきて役者が泣き始めるんですよ。いろんなシーンでそれをやりました。そうするとね、台詞(せりふ)なんか聞こえてこないんですね。泣きすぎて。「紳助、何ゆうてるか分からへんやんっ」て言うと、「ええねン。何ゆうてるか分かってへんねや、実際も」って。そんな感じで、おもろい映画作りをしました。
 〈平成4年には舞台も経験した。大阪・道頓堀の中座で関西の大御所、ミヤコ蝶々との共演だった〉
 レコード会社を辞めて、次のレコード会社に行くまでに4年間くらいあって、その間にやらせていただきました。「母子(おやこ)泥棒」という芝居です。やってみたいという気持ちでした。人との出会いは幸運だと思います。ミヤコ蝶々さんに相手役として選んでいただいたのも。(聞き手 松田則章)
 コンサート情報・チケットの問い合わせは、BOROの音符工房(0797・61・3399、へ。

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