【ゆうゆうLife】家族がいてもいなくても(577)共に年重ね 仲間との初正月

 この年末年始は充実していた。
 大みそかにはお餅つきをして年越しそばを食べた。元旦には森の空に広がる朝焼け雲にうっとり。美しいおせちとお雑煮を食し、そのまま三が日は毎夜、毎夜のほろよい気分。
 さらに、志ん朝の落語をみんなで聞いたり、七草がゆを食べたり…。出来過ぎのフルコース。ちゃんとしたお正月だった。
 父を亡くし、東京で1人暮らしを始めてからの十数年、年末年始はおおむね、何の感慨もなく過ぎていった。
 大みそかは映画館のオールナイトとか、元旦はお1人様ツアーで沖縄の久米島で、ということもあったけれど、今年ほどお正月らしいお正月はなかった。
 おかげで、のどかな気分からなかなか抜け出せない。抜け出せないまま、わが家と決めた小さな家で、ストーブの炎の暖かさにくるまれ、まったりしていると、「今、ここにいる不思議」にしみじみと打たれてしまう。
 「私が、今、ここにいるのって、どういう巡り合わせだったのかなあ」などと思う。
 10カ月前、取材で那須に来て、「ここに来よう」と決めた自分の衝動が、よく分からなくなったのだ。人に理由を聞かれると、「風の音に、幼い頃の記憶が呼び覚まされて」とか言ってきた。確かに、風の音を聞いてなぜか号泣したくなった自分がいる。
 だからといって、いきなり引っ越すかなあ、と、10カ月たって自分の選択に謎を深めている。
 とはいえ、燃えるストーブの音を聞き、心地よい睡魔に襲われる日々に、なんの不足もなんの不満もない。平穏なこの事態を、ことさら考える必要もないのだとは思う。
 そもそも人生は選択の連続。選ばなかった人生をたどり直すことは不可能だから、今、自分に降ってきている人生を、素直に受け止めて生き抜くしかない。
 などと思い、ハッと気づくと、お昼の時間はとうに過ぎていた。慌てて外に出ると冷たい空気に目が覚めた。食堂に着くとカウンターには、メンチカツとポテトサラダ、私のお昼ご飯がちゃんと残っていた。
 雪の残る庭を眺め1人でご飯を食べながら思った。
 今年は、あと10年、もしかしたら20年も、ここで共に暮らし、共に年を重ねていく人たちと運命的に出会ってしまった最初のお正月なのだ、と。はてさて、「脱家族」の新しいコミュニティーは10年後、どうなっているのか? なにやらワクワクとゾクゾクが入り交じった心境になる。(ノンフィクション作家・久田恵)

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