【新・仕事の周辺】島本理生(作家) 思い出した「小説の本懐」

 講演会やイベントで話をする機会があると、よく「作家になるにはどうしたらいいか?」という質問が出る。
 大抵は「最初のうちは多少矛盾があってもいいから作品を完結させる癖をつけてください。発表するものとしないものを含めても年間1000枚は書けたほうがいいです」と答えるようにしている。
 枚数に関してはプロでもばらつきがあるし、数年に一作だけ素晴らしい小説を発表する作家もいるが、やはりある程度以上の分量に慣れておいたほうが、さまざまな依頼が来たときに困らずに済むからだ。
 私自身、作家になって間もない頃はまだ大学生だったこともあってペースが分からず、〆切(しめきり)が重なってパニックになって結局ひとつは遅れる…という時期があった。
 そのときに、私の原稿が遅れれば挿絵を描く方の時間もどんどん短くなることを初めて雑誌の担当者から教わり、「すみません、もう遅れません」と心を入れ替えた。
 社会人経験もなく一から自力で学んだ分、非常識な面も多々あったが、それでも女子大生作家というくくり方で「小説がお好きなんですね。ところで作家以外で将来の夢はあるんですか?」などと失礼な質問を受けたときは「自分は作品でもっと作家として認められるようになろう」という思いを強くし、仕事に励んだ。
 作家になって意外だったのは、人前に出る機会が予想以上に多いことだ。
 もともと目立ったり主張したりするのが苦手で本ばかり読んでいたはずが、突然、1人で講演会をといわれても最初は「絶対に無理です!」と断っていた。それが今では経験を積んだおかげで、テレビに出たり、イベントで読者を前にして好き放題しゃべったりしているのだから、自分のことだって決めつけてはいけないな、と実感する。
 今年の夏は『ファーストラヴ』という拙著が直木賞を頂いたこともあり、人前に出る機会も増えた。
 うれしい半面、華やかで動きのある環境の中で、なかなか執筆には集中できずにいた。
 ところが先日、あまりに落ち込んでベッドから半日起き上がれなくなる出来事があった。
 外にも出られず、仕事場にこもって原稿を書いては、昔から愛読していた小説を読むことを繰り返していた私は、ふと思い出した。小説の本懐とはこういうところにあったのではないか、と。
 幼い頃、孤独だったときに誰も知らぬ胸の内まで下りてきて、一緒にいてくれたのが小説だったと。
 年齢を重ねるうちに仕事の幅は広がり、自分も変化していくけれど、帰る場所はひとつなのだ。
 そう気付いた私はまだショックからは立ち直れぬまま今日も小説を書ける幸福の中にいる。
                   ◇
【プロフィル】島本理生
 しまもと・りお 昭和58年生まれ、東京都出身。平成10年『ヨル』で、鳩よ!掌編小説コンクール年間MVP。15年『リトル・バイ・リトル』で第25回野間文芸新人賞。26年『Red』で第21回島清恋愛文学賞。30年、『ファーストラヴ』で第159回直木賞。

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