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【川村妙慶の人生相談】私は散骨で十分だけど…夫と同じ墓に入るべき?

相談
 病院事務の仕事を40年近くしていたので、職場で人が亡くなるということを経験しています。また3年前に大病を患い、さらに最近も別の病気が見つかって、死を身近なことと感じています。しかし私の死後、葬儀も墓地も不要、散骨で十分と考えています。戒名だっていりません。
 ただ、数年前に約140万円で近所のお寺に墓地を購入しています。今は嫁いだ一人娘の「心のよりどころとしてお墓は必要」という強い希望があったためです。しかし、納得して購入したわけではありませんでした。
 夫は優しい性格で、少し古風なところがあります。私の気持ちは頭では理解しているようですが、やはり夫婦は同じ墓に入るべきだと考えてゆずりません。自分の死後のことは残った人たちに任せるのがいいのでしょうが、気持ちの整理ができません。今後、お寺とどう付き合っていけばいいのかも分かりません。(東京都、60代女性)
解答
 ようこそお手紙をくださいました。浄土真宗のお墓の正面には、家名でなく「南無阿弥陀仏」または「倶会一処(くえいっしょ)」と刻んであるのをご存じですか? お墓の有無にとらわれず、亡き人と今を生きる私たちがもう一度出会い直す処(ところ)なのです。「あの世でお休みください」と願うのではなく、「倶会一処」とは「倶(とも)に一つの処で会う」という意味があるのです。一つの処は、お墓の中ではなく、極楽浄土を指します。阿弥陀さまの世界で必ず倶に会えますと誓う場所なのです。ですから必ずしもお墓限定ではありません。
 つれあいさんは、夫婦は一緒に入るべきだとおっしゃるのは「感情」の問題です。法律で決まっているわけではありません。また、お墓は入る、入らないという次元ではありません。
 皆さんは、死んだ後の問題になさっていますが、大切なのは今生きている私たちの問題なのです。しかし、私たちは「自分の思い」でもって、死んだときのことをあれこれ考え、思い悩んでいるのです。親鸞聖人は、煩悩にまみれた人間の世界は「そらごとたわごと」ばかりで「まこと」はないと教えられています。「そらごとたわごと」のことを深刻に考え悩み苦しんでいるのが私たちなのです。
 この世ではお互いの「思い」を通そうと憎み合ったり争ったりします。しかし、私たちが還(かえ)る世界は皆一つ「浄土(静かな平和な一つ世界)」なのです。
 あなたも病気を機縁にご自分の人生を考えるようになりました。これも「逆縁」なのですよ。避けたいつらいことが、実は自分の人生を考えさせてもらえるきっかけになったのです。病、死はすべての終わりではなく、新たな始まりであることを教えてくれるに違いありません。
 回答者
 川村妙慶 僧侶兼アナウンサー。52歳。ラジオのパーソナリティーとして活動するほか、ブログの法話を日替わりで更新している。著書に『人生が変わる親鸞の言葉』(講談社)など。
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